約束の時間の5分前にインターホンが来客を告げる。栞なのはわかりきってるのでそのまま玄関へ。こんな時でも栞は真面目だなぁとちょっとだけ苦笑しつつ。
玄関のドアを開けると当然栞が立っているのだが。
誰、この可愛い子……?
それが俺の最初の感想だった。
栞以外にないんだけどさ。でも髪は今まで見てきた中で一番艶々のサラッサラで、メイクまでしっかりしてる。目はいつも以上にパッチリで、唇もしっとりと柔らかそう。それに恥ずかしげな表情は庇護欲をそそるというか。
更に普段はパンツスタイルばかりの栞がワンピースを身に着けていて、スカートの裾から覗く脚が眩しくて……。
うん……。これ以上は変な気分になりそうだからやめておいて……。
とにかく今日の栞は目が離せなくなるほどの魅力を放っている。なんというかものすごく気合が入ってる気が。俺も色々気にして整えたけど、そんなの霞んでしまいそうなくらいに。まぁ、俺は元々が冴えない感じだから仕方がないのだけど……。
「えっと、お待たせ」
「いやっ……。時間通りっていうか少し早いくらいだよ。と、とりあえずあがって」
栞をリビングへ通して二人でソファに腰を落ち着ける。少しだけ距離を置いて。拳一つ分くらいだから十分近いのだけど、最近はもたれかかってくることが多かったせいでちょっと気にはなる。俺は栞の姿にドキドキしっぱなしだし、栞は昨日のことを引きずっているらしく、二人ともどことなくぎこちないので、今はこれくらいがちょうどいいのだろう。
「ご、ごめん。急に会いたいなんて言って」
「ううん。私も涼に会えるのは、その、嬉しいよ? 今日はちょっと顔合わせづらかっただけで……」
俺に会えるのが嬉しい、この言葉だけで満足してしまいそうな自分がいる。でも今日はそこから更にもう一歩……。
「俺もどうしたらいいのかわからなくなりそうだったんだけどさ、でもこういうのはちゃんとしないとって思って。えっと、それじゃ早速で悪いけど、俺の話聞いてもらっても、いいかな?」
こういうことは決意が鈍る前にさっさと伝えてしまうに限る。
と思ってたんだけど、栞は栞で思うところがあるらしく、申し訳なさそうに口を開いた。
「はい……、って言いたいんだけどね。もう一度、先に私に言わせてもらえないかな? 昨日逃げて有耶無耶にしちゃったから、ちゃんとやり直したいの」
「あ、うん。わかったよ」
出鼻をくじかれたような気がするけど、そもそものきっかけは栞が作ってくれたので、先を譲ることに。
「ありがと。それと、逃げてごめんなさい。急に恥ずかしくなっちゃって、それに返事を聞くのもちょっと怖くて……。言い逃げみたいなことして、涼も戸惑ったよね?」
「ううん、いいよ。俺もビックリして固まってたからさ」
「そっか……。それでね、昨日言った通りなんだけど……。私、涼のことが好き、ううん、それじゃ全然足りなくて。本当に大好きなの。近くにいるようになって、涼の言葉で心が軽くなることがたくさんあってね。最初はもっと側にいたいってだけだったの。すごく安心できたから。たぶんこのころから涼のこと気にはなってたんだけど……。でもね、友達にしてもらって美紀とのこともいっぱい助けてもらって。いつも涼は優しくて温かくて。私が悩んでたこと、全部涼に溶かされちゃったの。だから、私は涼のことが大好きです。私が今笑っていられるのは涼のおかげなの」
栞は真っ赤になりながらも俺から目を逸らさずに想いを伝えてくれた。言い終わると俯いてしまったけど、それでも栞の想いは十分に伝わった。こんな俺のことを好きだって、大好きだって言ってくれた。これだけで踊りだしそうなくらい嬉しくて。なら、俺もそれにしっかり応えなければ。
俺だって栞に負けないくらいの想いを持ってるんだから。先に栞が手を差し伸べてくれた。次は俺が手を伸ばす。片方だけじゃ届かない。でも、お互いに手を伸ばせばきっと掴める。掴めたら引き寄せて、絶対に離すつもりはない。栞が俺を必要としなくならない限りは。
「じゃあ、今度は俺の番、でいいかな?」
「う、うん」
「俺もね、栞のことが大好きだよ。理由は、栞と同じような感じだけどさ、栞の言葉にたくさん助けられたんだ。自信の欠片もなかった俺が少しだけ自信を持てるようになったのは栞のおかげなんだよ。栞が隣りにいるだけで強くなれる気がしたんだ。それにね、花火の日、栞が泣いてるのを見て、二度とこんな顔させたくないって、守りたいって思ったんだ。もっと笑った顔が見たいって」
俺の言葉に栞は瞳を潤ませる。泣いてほしくないと言った直後に泣かせかけてるわけだけど……。あれは悲しませたくないという意味なので今回はセーフということで。
「ありがと……、嬉しい。涼に好きって言ってもらえたのがこんなにも……。で、でも涼は私でいいの? こんなに弱くて、迷惑ばっかりかけてる私で」
「俺は栞を弱いなんて思ったことはないし、迷惑にも感じたことはないよ」
「でも、でもっ……、私きっと重い女だよ? きっと困らせることも多いと思うし、面倒くさいよ? 涼が離れていっちゃったら……私、どうなるか、わかんないよ……?」
きっと俺も栞も根っこの部分は同じなんだろう。いざという時に弱い自分が顔を出して尻込みして、本当の気持ちから逃げそうになる。でも今は栞と一緒に不安に飲まれる時じゃない。
「絶対、って言い切れるほどの自信はまだ俺にもないけどさ、不思議と栞とならなんか大丈夫だって思えるんだよね。もちろん喧嘩するかもしれないし、トラブルに巻き込まれたりとか色々あると思う。でも、俺達なら乗り越えられるんじゃないかなって、そう思うんだ」
それくらい俺の中で栞の存在は大きなものになっている。
「でも……」
「栞が不安なら俺にもそれを分けてよ。頼りないかもしれないけど、解決できなくても一緒に悩むくらいはできるから。だからさ、俺と付き合ってほしい」
一人じゃ無理でも二人ならどうにかやっていけるはずだから。栞が美紀さんとの問題をひとまずとはいえ解決できたように。
「頼りなくなんかないよ。今だってこんなに真っ直ぐで……。私、涼から離れられなくなっちゃうからね?」
「望むところだよ。俺だって栞と離れたくない」
「ずっと一緒にいてくれなきゃヤダよ?」
「うん、ずっと一緒にいよう。俺も栞には隣りにいてほしい。栞じゃなきゃダメなんだ」
「もう、そんなこと言われたら私、どんどん涼なしじゃダメになっちゃうんだから……。でも、ありがと。えっと……、私からもお願いしなきゃ、だよね? 私を、涼の彼女にしてください。ずっと離さないで、側にいさせてください」
ようやく聞けた。好きという言葉だけでは足りなくて、きっと俺達には絶対に必要な言葉が。友達から恋人へと関係を変化させるために。俺は栞の不安を取り除けたことに安堵した。
「うん、もちろんだよ。これからもよろしくね、栞」
「うんっ……」
そこから栞は泣き出してしまった。不安とか緊張がなくなって、安心したんだと思う。泣きながらも幸せそうな顔をしてくれる栞に愛おしさが溢れ出して、俺は栞を抱き寄せた。
そうして栞が泣き止むまで優しく頭を撫で続けた。
*
「涼はずるいなぁ〜……」
泣き止んだ栞は開口一番そう言った。
「ずるいって、なにが?」
「だって……、友達になった時もそうだけど、私がウジウジしてる間にさらっと言葉にしちゃってさ。今度こそ私から付き合ってほしいって言うつもりだったのに……」
今度こそというのは友達になった時のことを言ってるんだろう。ということは、あの時も俺が言う前から友達になりたいって思ってくれてたってことになる。今回のこともそうだし、俺達はつくづく考えることが似てるらしい。
「それは、なんかごめん……。でもこういうのって男から言ったほうがいいのかなって思ってさ」
「涼って結構考え方が古くさいよね」
泣き止んでから、栞はずっと笑っている。今だってクスクス笑いながらこんなことを言ってるし。
「しょうがないじゃん、性分なんだから。それに俺もさ、栞が最初のきっかけを作ってくれたから、次は俺がって思ってて……。それともそういうのは嫌いだった?」
俺達の関係が始まったのは、あの日、栞が俺に声をかけてくれたおかげだって思ってる。あれがなかったら栞と友達になることもなかったし、好きになることもなかったわけだから。それに比べたら俺のしたことなんて些末とまでは言わなくても、小さなものだ。
「そんなわけないでしょ? 今の涼の嫌いなところなんて探しても見つからないもん」
「お、おぉ……。それなら、よかった、かな?」
ここまで全肯定されてしまうと、それはそれでこそばゆかったり。
「うん。今の涼ね、なんだか男らしくなって、その……、すごく格好いいよ?」
想いを吐き出した直後なせいか、栞はポンポンこういうことを言ってくる。栞は俺のことをずるいって言ったけど、栞も十分ずるいと思う。
「そうなれてたとしたら、それはきっと栞のおかげだよ」
俺の見た目に関してはこれから要改善な気がするけど、まずは内面からってことで。聡さんにも言われているし、これからももっと胸を張れるように頑張るつもりだ。
「う〜ん、それでもやっぱり涼はずるい、かなぁ。あっという間にこんなに格好良くなっちゃってさ。でも……、先に好きって言ったのは私だもんね。今はそれで良しとしてあげるね」
「そりゃどうも……」
栞もどんどん可愛くなってくし、お互い様だとは思うけども。
「ねぇ、涼?」
「なに?」
「へへっ。大好きっ」
「俺も、栞が大好きだよ」
栞は真っ直ぐ俺の目を見つめて、俺もそんな栞から目が離せなくなる。自然と手が重なって、指を絡ませて。
二人の距離が近付いて、栞が目を閉じる。
キスをせがむような栞の表情に、ドキドキと心臓が暴れ出す。俺だって栞とキスとか、したいわけで……。
衝動に身を任せて、ゆっくりと唇を近付けていき……。
『ただいまー』
お約束のようなタイミングで帰宅した母さんの声に邪魔された。まるでどこかで見てたんじゃないかって思うくらいに。
あまりの間の悪さに、俺達は弾かれるように身体を離した。さっきまでとは違う意味でドキドキする。
でも栞はどこか悔しそうにしていて。俺が母さんが入ってくるであろうリビングのドアに気を取られた瞬間、俺の頬にふにっと柔らかいものが押し当てられた。
慌てて栞の方を向くと、栞はいたずらっぽく笑って小首を傾げ、唇に指を当てて、
「こっちは……、また今度、ね?」
こっそりとそう呟いた。
俺はこの時一回死んだと思う。栞の表情はそれくらいの破壊力を持っていた。