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第32話 気合を入れて

 セットしておいたアラームで目覚めると、準備を開始する。


 いつもと違う変な時間に寝たせいで少し違和感は残るが、睡眠時間的には十分。たぶん隈も消えてると思う。


 準備というと大袈裟だけど、栞に気持ちを伝えるために気合を入れるってだけのことだ。普段通りで落ち着いてっていうのもありといえばありなんだけど、それだとやっぱり栞に対して失礼かなという気持ちがしてしまうのだ。それに見た目的にも少しはマシに見られたいという思いもある。


 ベッドを抜け出して、まずはシャワーを浴びる。俺は寝相が良い方ではないので、いつも寝起きは寝癖がひどい。いっそ全部濡らしてから直す方が手っ取り早い。あと、寝てる間にかいた汗も一緒に洗い流す。前に母さんにも言われたけど、汗臭いままなのはよろしくないだろう。


 シャワーから上がるとドライヤーで髪を乾かしながらセットする。普段が適当だから下手にいじるとおかしくなりそうなので、慣れないことはせず、変じゃないと思う程度で終わりにする。


 服装は持っている服の中でまともそうに見えるものをチョイスした。と言っても、服装にも無頓着なのでヨレてたりしないって程度だけど。そのうち服もちゃんとしたものを揃えたほうがいいかもしれない。栞と一緒に出かけることがあったりしたら、俺の見た目が変なせいで栞までおかしな目で見られたくない。まぁ、これは追々考えるとして。今更慌てても、ないものはないのだ。


 いつもより入念に身だしなみを整えてリビングへ行くと、ボーッと昼間のワイドショーを見ていた母さんが顔を上げた。


「あら、涼。起きたのね。今日は起きてこないのかと思ってたわよ」


「ごめん、ちょっと夜寝れなくてさ」


「ふ〜ん? ま、いいけどね。それより、ちょっとは見れるようになったじゃない」


「そう、かな? そうだといいけど」


 珍しく母さんが褒めてくれた。母さんに褒められたところでちっとも嬉しくはないけども。できることなら、そういうことは栞に言ってもらいたかったり。


「さて、珍しく気合が入ってる息子のために、ちょっと遅いけどお昼ご飯でも用意してあげますかね」


「いや、もう遅いし、夕飯まで我慢できるけど……」


「いいから食べときなさい。何か大事な用があるんでしょ? 腹が減っては戦はできぬ、よ」


 戦をするつもりはないんだけど……。

 いや、でもある意味戦いではあるのかもしれない。 


 昼ご飯を平らげると、気力が湧いてくる気がした。なんだかんだいいながら、空腹だったみたいだ。


 昼ご飯を用意してくれた母さんには、少し申し訳なさを感じながら、一つのお願いをしておく。


「今日さ、栞が4時頃うちにくるんだけど……、1時間くらいでいいから、家を空けてくれないかな?」


 これは単純に母さんがいる状態では落ち着いて話ができないと思ったからだ。たぶん栞もその方が気を遣わなくていいだろうし。


「私を追い出して栞ちゃんに何するつもりかしら?」


「別に何もしないって。ただ少し大事な話をしたくて……」


「まぁ、わかってたけどね。了解、適当に時間つぶしてくるから、しっかりやりなさいよ」


「ん、ありがと」


 これだけ情報があれば母さんも俺が何をするつもりかわかってるんだと思う。とにかくお願いは聞いてもらえたし、応援もされてしまったので頑張るつもりだ。


 ……栞が来ると言っていた時間まで後もう少し。



 ◆黒羽栞◆


 涼からの電話を切ると、胸がドキドキと高鳴っていた。本当は電話の途中からなんだけどね。


 お互い少しでも寝ようって言ったのは私だけど、全く眠れそうにない。


 なんていうのかな。

 きっと昨夜私が感じたものは間違いじゃなかったってことなのかな。でも……、違うかも。いつもよりちょっとだけ格好良いどころじゃない。


 もうね……。


 ものっっっっすごく格好良いんですけど!


 いったいなんなの……?!


『俺が栞に会いたいんだ』『ちゃんと会って伝えたいんだ』


 あんなに真っ直ぐでちょっと強引で。あんな言い方されたら気まずいから無理なんて言えなくなっちゃうんだもん……。


 教室で背中を丸めてた姿からはもう想像できないくらい涼は格好良くなった。顔は最初から悪くないかなって思ってたけど、そういうことじゃない。もっと本質的な変化で、惚れた欲目なのかもしれないけど……。


 ……。 


 でも待って。電話でこんなになってて、これが直接だったら私どうなっちゃうの……?


 これはダメだ。想像だけでクラクラしてきた。


 うん、きっとほとんど寝てないせいだ。そうに違いない。眠れなさそうだけど、少し目を閉じて……。



 * 



 結果的に少しは寝ることができた。じっと目を閉じて何も考えないようにしていたら、いつの間にか眠っていた。人間の身体は実によくできてる。いつもより短い睡眠時間だったけど、頭はスッキリしてるしきっと問題なし。


 まずはシャワーを浴びて、身体を隅々まで磨き上げた。別に見せる予定なんかないけど、それだけ気合を入れてってことだ。髪を乾かして、ヘアオイルを少しつけてしっかりと梳かして、艶々さらさらに。普段は口うるさいと思っていたけど、手入れに気をつけるように言ってくれてたお母さんには感謝しないと。


 下着も真新しいものを身につけて。何度も言うけど、別に見せる予定はないから! 気持ちの問題なの!


 それから……、服。どうしようか……。


 とりあえず部屋着を着て自室に戻り、クローゼットを物色することに。持ってる服をあれこれ引っ張り出して、あーでもない、こーでもないとやっていると、あっという間に部屋がとんでもない状態になってしまった。


「ちょっと栞? 起きたならお昼ご飯くらい……。ってどうしたのこれ?!」


 起きた気配がするのに顔を出さない私を心配したらしいお母さんが私の部屋を覗きに来た。この惨状を見て目を丸くしてる。自分でも悲惨だと思うからしょうがないけど、片付けは大変そう。持ってる服の大半が部屋のそこかしこに散らばってるんだもの。でもそれも帰ってからだ。今はそれどころじゃない。


「お、お母さん! 助けてぇ!! 私、何着たらいいと思う……?」


「何着たらって……、どういうこと?」


「えっと、涼がね、私に会いたいって言ってくれて、その、だから……。どうしたらいいかな……?」


「ごめんね。それじゃさっぱり意味がわからないわ……」


 ちょっとパニックになっていて要領を得なかったと思うけど、数分かけて説明して状況を理解してもらった。


「なるほどね。それで可愛い格好して行きたいと」


「うん……」


 最近の私の服は地味なものばかりなんだもん。昔はそれなりに女の子らしい可愛い服とかあったんだけど、そんな気分じゃなくなってから買った服はどうしても野暮ったい感じのものが多い。


 普段涼にはそういう姿しか見せていないから、今更といえば今更なんだけど。


「そこまで気にしなくても栞は十分可愛いと思うんだけどねぇ。気持ちはわからなくもないけど」


「だってぇ……」


 涼はきっと私にとっていい返事をくれるつもりだと思う。なら今の私にできる最高の姿を見てほしい。


「ん〜……。そうねぇ……」


 お母さんは顎に手を当てて、少し考えた後、何か思い出したような顔をしてパチリと手を叩いた。


「そういえば、栞。ワンピース持ってなかった? ほら、一昨年くらいに買ったやつ」


 ……そういえばあったかもしれない。最近ずっと着てなかったから奥の方にしまったきりになってるはず。


 記憶を辿って探すと、すぐにそれは見つかった。淡い水色の割とシンプルなデザイン。気に入って買ったけど、当時は少しだけサイズが大きくてあまり袖を通すことはなかった。


「あった……」


「それそれ。ちょっと着てみなさいよ」


 お母さんに言われて着てみると……、少し胸元が窮屈でスカートも少し短い気が。膝上くらいまでしかなくて心もとない。胸はここ一年くらいで結構成長したし、身長も少しだけ伸びた。でも他はちょうどいいサイズだし。これが着れるのも今年が最後かもしれないと思うと着ておきたい気もする。


「いいじゃない! それにしなさいよ」


「でも少しきついよ……?」


「ん〜……まぁ、変じゃないから今日のところはそれで我慢するのね。服が欲しかったら涼君誘ってショッピングデートでもしたらいいじゃない」


「そんな、まだうまくいくかわかんないし……」


 いい返事をくれる気はしてるんだけど、どうしても不安にもなったりして。この辺りは私の弱いところだ。


「大丈夫よ。その服もとっても似合ってるし、どーんとぶつかってきなさい」


 そう言われると、これ以外にない気がしてきた。


「じゃあ、これにしようかな……。ありがと、お母さん」


「どういたしまして。頑張ってね、応援してるから。あ、うまくいったら報告してね?」


 どうせならと、メイクもしっかりさせられることに。


 出かける間際、玄関の姿見に映った自分を見て、気合い入れ過ぎなんじゃないかって思ったけどね。


 でも、今日はこれくらいでいいの。今度は逃げずにもう一度涼に気持ちを伝えるんだから。


 いつもより少し時間に余裕を持って家を出て、予定の5分前に涼の家に着いた。


 そして震える指でインターホンのボタンを……。


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