窓の外がだんだんと明るくなり、セミまで鳴き始めて、もうすっかり朝である。時計を見れば今の時刻は午前7時。最近の起きる時間まであと一時間といったところだ。
カーテンの隙間から外を覗いたら、朝陽が眩しすぎて頭がクラクラする。カーテンを戻して再びベッドに身体を横たえると、浮かんでくるのは昨夜のこと。帰る前に立ち寄った公園で栞から告げられた言葉だ。昨夜からもう何度思い返してるのかわからない。
『あのね、涼。私、涼のことが好き、大好きなの……』
突然抱きしめられたことに驚いていて、返事をする間もなく栞は走り去ってしまった。一人取り残された俺は呆然と立ち尽くすしかなくて。しばらくの後我に返って、ぼんやりとしたままなんとか帰宅した。
その後、寝る支度を済ませてベッドに横になると、さっきの言葉と抱き締められた感触、走り去る後ろ姿が順番に浮かんできて眠れなくなってしまった。結局、俺はこの時間まで一睡もしていない。一晩中ベッドの上でゴロゴロジタバタしていた。
だって、栞が俺のことを好きだって、大好きだって言ってくれた。そんなの嬉しいなんて言葉では到底表しきれない。『あー』とか『うー』とか言いながら、ベッドでジタバタと悶えてしまうのも無理からぬことだと思う。
そもそも俺が本気で好きになった人は栞が初めてなのだ。この歳で初恋というのもおかしいのかもしれないけど、人との関わりから逃げていた俺には好きという感情を向ける相手すらいなかったわけで。
そんな俺が初めて好きになった人と両想いになれたなんて……。
でも一方で、栞に言わせてしまったという思いもある。俺から伝えるはずだったのに。俺がもう少し機を見てなんて思っている間に……。
それになんであの時、栞を抱きしめ返さなかったのか。そうしたら返事をすることだってできたはずなのに。
とっさに何もできなくなってしまった自分が情けなくて……。
「ちょっと涼? ずっとバタバタうるさいんだけど! いったい何してるの?」
俺が悶えていた時の音がうるさかったらしく、母さんが俺の部屋まで文句を言いに来た。
「あー……、いや、ごめん。ちょっと考え事を……」
「昨日帰ってからもなんか変だったけど、どうしたの? 栞ちゃんと喧嘩でもした?」
「いや、喧嘩なんかしてないよ」
告白はされたけど。
「喧嘩じゃないなら……。って、あぁ……。涼、あんたもう少ししゃんとしなさいよ。情けない顔してるし、隈できてるわよ」
それだけ言うと母さんは出ていった。
なんなんだ、いきなり。母さんは何が言いたかったんだよ。
でも、『しゃんとしなさいよ』という言葉がやけに頭に残った。
…………。
そうだよ、俺は一度栞に告白する覚悟を決めたはずなんだ。栞が好きだと伝えてくれたなら、むしろ難易度は格段に下がってるはずじゃないか。
それに栞は昨夜逃げ去ってしまった。このまま俺が何もしなければ、栞はうちに来なくなってしまうかもしれない。愛想も尽かされてしまうかも。そうなればまた俺は一人ぼっちだ。それは、それだけは避けなければならない。
なんていったって俺も栞のことが好きなのだ。栞が側にいない生活なんて、もう考えることすらできない。側にいてほしい、誰よりも近くに。
栞がいるだけで少しだけ自信が持てた、強くなれた。それに、辛い思いをしてきた栞を今度は幸せにしてあげたい。できることなら俺の手で。
俺はベッドを抜け出して、洗面所へ向かった。冷たい水で顔を洗い、眠気とウダウダした気持ちを流し、母さんから情けないと言われた顔を引き締める。鏡を確認すると、隈こそ消えないものの、少しはマシな表情になった気がする。
部屋に戻り、スマホで時間を確認すると午前8時。普段通りならたぶん栞は起きている時間。
大きく深呼吸をしてから、栞に電話をかける。
もちろん電話で事を済ませるつもりはない。栞は直接伝えてくれた。なら、俺もしっかり栞に向き合って伝えるべきだ。それが礼儀ってものだと思うから。
呼び出し中のコールが続く。栞はなかなか出なかった。こういう時間が一番緊張するんだ。思い切って口を開いてしまえば、勢いも手伝って言えると思うんだけど。
あまりに出ないので、もう少し後でかけ直そうかと思い始めた頃、ようやく繋がった。
『んぅ……。ぁい……』
やけに眠そうな声が聞こえてくる。舌っ足らずな感じで、あまりのほにゃほにゃした声に少しだけ緊張が解れた。
「俺、涼だけど。もしかして寝てた、かな?」
『涼……? おぁよ……。こんな夜中に涼から……? 夢かな? なら、いいよね……。涼、あのね、大好きっ……。えへへ』
……完全に寝ぼけていらっしゃる。今は夜中じゃなくて朝だし。また大好きと言われてしまったし、なんか甘えるような声でめちゃくちゃ可愛い。本人は否定してるけどしっかり甘えん坊だ。
って、今はそうでなくて……。
このまま言ってしまおうかという気にもなるけどぐっと我慢する。
「栞? もう朝だよ。寝ぼけてないで聞いてほしい話があるんだけど」
『?? あれ? 夢、じゃない、の? 本当に、涼……?』
「うん、夢じゃないよ」
『っっ……!!』
──プツッ。
栞の声にならない悲鳴のようなものが聞こえたかと思ったら、無常にも電話が切られてしまった。
仕方がないのでもう一度。
今度は数コールで出た。
『お、おはよ、涼! いい朝だね』
「おはよ。いい朝かどうかはともかく、それはちょっと苦しいと思うよ?」
さすがに仕切り直しには無理がありすぎると思う。
『だって……、私完全に寝ぼけてたし。その、全然寝れなくて……。ねぇ、私、変なこと言わなかった……?』
「そ、それはたぶん大丈夫、かなぁ……」
また大好きって言ってたよ、とは言える感じじゃない。また切られたら困るし。
『やっぱり何か言ったんだ……。うぅ、恥ずかしい……』
「そこはほら、深く考えないようにしよ? それより栞も寝れなかったの?」
俺が気になったのはむしろそっちの方だ。俺も全く寝れなかったわけだけど、同じように栞も。自分のことはともかく、栞が寝ていないと聞くとものすごく心配になってしまった。
『そっ、それはだって……、ね? って私もってことは涼も寝れなかったの?』
「うん……、あれから今まで起きてたよ」
『うっ……、なんか、ごめんね?』
「いや、それは全然いいよ。それよりさ、栞は今日何か予定はある?」
『特にはないけど……。なんで?』
「えっと、毎日のように会ってて今更こんなこと言うのもどうかと思うんだけど、今日も会えないかなって……」
あぁ、なんでこんな言い方……。
栞はきっとものすごく勇気を出してくれたんだと思う。その気持ちに応えるためにはこんなんじゃいけないだろ。あまり情けないところは見せたくないし。それに栞をこれから守って、幸せにしたいって思ってるのにこんなんじゃダメなはずだ。
『えっとえっと……、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、今日は気まずいっていうか……』
なんというか、予想通りの展開に。正直、俺も栞と顔を合わせるのは照れくさい。でもここで引いたらダメなんだ。
「ごめん、栞。言い方を間違えたよ。会えないかな、じゃなかった。俺が栞に会いたいんだ。会って話したいことがあるんだよ。だから……、予定がないなら、その時間を作ってほしい」
うん。今度は大丈夫だ。これでダメならまた考える。
『えっと、話って何、かな? 今じゃダメ……?』
「昨日の返事、ちゃんと会って伝えたいんだ。ちゃんと栞の顔を見て、ね」
『うぅ……。そんな言い方されたら断れないじゃん……。わかったよ。でも……、お互い寝てないでしょ?』
「まぁ、そうだね」
『涼も今から少しでもいいから寝て? 私も少し寝るからさ。睡眠不足で涼が倒れたら嫌だもん。それで、夕方4時くらいに涼の家行くから、待っててくれる?』
「俺が行かなくて平気?」
『うん。ほら、私が逃げちゃったせいもあるから……。だから、私が行くよ』
「わかった。それじゃ待ってるから」
『ん。それじゃ、おやすみ』
「あぁ、おやすみ」
どうにか約束を取り付けられた。
後は栞に向き合って、しっかり言葉にするだけだ。大丈夫、もう心は決まってる。
少し安心したせいか、眠気はすぐにやってきた。少し早めの14時半にアラームをかけて、その眠気に身を任せた。