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第25話 当たり前の距離感

 予定はあっさり取り付けることができた。


 こちらの条件も全部のんでもらえた。俺が同席することと、会うのは三日後の14時、場所は栞を送り届ける時に途中で見つけたファミレスにしておいた。


 家に帰って風呂に入り、ベッドに横になると途端にドッと疲れが押し寄せてきた。最後に慣れないことをしたせいもあるけど、栞を探して走り回って、栞を家まで送って、普段運動不足の身体にはなかなかにヘビーな一日だった。でも栞のために頑張った結果だと思うと、その疲れすら心地良く感じてしまう。


 そんな心地良さの中で、俺はあっという間に眠りに落ちた。



「うぅ……、あっつ……」


 翌朝、暑さとじっとりとした不快感で目が覚めた。すでに日は高く登り、カーテンを閉めているとはいえ部屋の中は明るい。疲れた身体は正直で、どうやら寝すぎてしまったようだ。枕元の目覚まし時計を確認すると10時前だった。


 冷房はかけていたのだが、寝ている間に身体を冷やしすぎないように設定温度を上げていたのが災いして、寝間着は汗でぐっしょり。上昇していく気温に冷房が追いついていないらしい。


 とりあえず喉が渇いたので、リビングへ降りると母さんが迎えてくれた。


「あら、涼、おはよう。今日は随分ゆっくりじゃない」


「おはよ。昨日は色々あったから寝すぎたみたい」


 冷蔵庫から作り置きのお茶を取り出して、グラスに注いで一気に飲み干す。よく冷えたお茶がスーッと身体の熱を下げてくれる。


「あんた汗だくじゃない。シャワーくらい浴びときなさいよ? 汗臭くしてると栞ちゃんに嫌われちゃうわよ?」


「言われなくても行くつもりだって。さすがにベタベタで気持ち悪いし」


「それならさっさと行ってきなさい。その間に朝ご飯準備しておいてあげるから」


「はいはい」



 一度部屋に戻り、下着と部屋着のハーフパンツだけ掴んで浴室へ。シャワーの後は暑いので、とりあえず上は後でいいだろう。


 ざっとシャワーを浴びると不快感とともに少しだけ残っていた眠気も流れていく気がする。


 シャワーを浴びながら、またついつい栞のことを考えてしまう。


 『また明日』と言っていたから、きっと栞は今日もうちに来るのだろう。来たら美紀さんとの約束のことも伝えとかないと。たぶんいつも通り午後になってすぐくらいに来るんだろう。伝えなきゃならない内容はちょっとアレだけど、栞に会えるのは待ち遠しい、そう思いながら脱衣所を出た時だ。


 インターホンが鳴り、リビングから母さんの声が聞こえてくる。


「あら、栞ちゃんじゃない。ちょっと待っててね」


 え? もう来たの? 連絡なんてなかったはずだけど……。いや、そういえば起きてからスマホ見てないや。


「涼? シャワーあがったなら栞ちゃんお出迎えしてあげて!」 


「わかった!」


 母さんの言葉にそう応えて玄関へ向かう。ドアを開けると、栞が恥ずかしげに少し俯いて立っていた。


「栞、おはよ」


「お、おはよう、涼。いつもより早いけど、来ちゃっ──」


 挨拶とともに顔を上げた栞の言葉が途切れる。そしてみるみる顔が赤くなっていく。そして今度は完全に俯いて、俺から視線を外してしまった。


「栞……?」


「りょ、涼……? な、な、なんで上、服着てないのっ……?」


 栞に言われてようやく今の状態に気付いた。下はハーフパンツを履いているけど、上半身が裸ということに。首からバスタオルはかけているけども。


 これは完全に俺の落ち度だ。栞が来たことに浮かれて確認しなかったのが悪い。シャワーを浴びたところだというのに冷や汗が吹き出してくる。


「ご、ごめん! 着てくるからあがって待ってて!」


 自分の部屋にすっ飛んでいってTシャツを着る、と同時にやってしまったという後悔がわいてくる。こんな醜態を晒して、穴があったら入りたい。このままウジウジしてても栞を待たせるだけなので出ていくのだけど。


 驚いて栞が帰ってしまっていないか心配だったけど、リビングで待っててくれた。栞から話を聞いたであろう母さんの呆れた視線が痛いけど。


「涼……。あんた何やってるのよ……」


「い、いや、ほら……、暑いじゃん? だから……。ごめん、栞。朝からお見苦しいものを……」


「ううん……。見苦しくはないけど……。ちょっと、びっくりした、だけだから……」


 栞の顔はまだ真っ赤なままだった。


「本当に気を付けなさいよ? それで栞ちゃんに嫌われても私は知らないからね?」


「いえ、それくらいじゃ嫌いには……」


「そうよねぇ。そのうち栞ちゃんに上から下まで見られることになるだろうし? これくらいじゃねぇ?」


「母さん何言ってんだよ!」「水希さん?!」


「そんなに必死にならなくてもいいじゃない。ちょっとした冗談よ。でもね、栞ちゃん?」


「は、はい。なんでしょう?」


「涼はちょーっと素直じゃなくて捻くれてるけど、根は真っ直ぐで基本的にはいい子だから、これからも仲良くしてあげてね?」


 母さんの褒めてるとも貶してるともとれるフォローになんともいえない気分になる。そういうことは俺のいないところで言ってほしい。


「大丈夫ですよ。それは私もよく知ってますから」


 栞の言葉には少しの恥ずかしさとともに嬉しくなった。ちゃんと見ててくれてるんだなって。


「ま、あんまり心配はしてないけどね。あなた達最近ずっとべったりだもん。というか、もう早く付き合っちゃいなさいよ」


「う、うるさいな。俺達にも色々あるんだよ。なぁ、栞?」


「う、うん。まだ友達になったばっかりだし、ね?」


 友達になったばっかりというのは事実だけど、俺としてはそういうことじゃない。栞の問題が片付いてから、そう決めてるんだ。


「とにかく、栞にも話があるから俺の部屋行こう」


「ついに告白?!」


「違うって言ってるだろうが……」


 今日の母さんはやたらとしつこい。どんだけ俺と栞をくっつけたいんだか。まだだって言ってるのに……。


「ほら、栞もこんなのほっといて行こう」


 朝食は食べそこねたけど、このまま母さんにイジられ続けるよりはマシだ。


「う、うん。それじゃ水希さんまた後で」


「はいはーい。ごゆっくり〜。あ、栞ちゃんのお昼ご飯も用意するから食べていきなさいね」


「あ……。すいません、気を遣わせてしまって」


「いいのいいの。栞ちゃんがいてくれたほうが涼も元気だし、私も楽しいから、ね?」


「はい、ありがとうございます」


「栞、早くー」


「あ、待ってよ、涼」


 このままだとずっと母さんに捕まってそうな栞を急かして自室へと引っ込んだ。



 ◆黒羽栞◆



 涼の部屋で二人きりになって、さっきの話の件を聞くことにした。だいたい予想はできてるけど。


「それで、話って?」


「うん、えっとね……」


 話の予想はできてるけど、ちょっとだけ期待もしてしまう。水希さんに言われて涼は否定してたから違うのはわかってるんだけどね。


 そんなに言いにくそうにしなくてもいいのに。私はもう、ちゃんと向き合うって決めてるんだから。それに涼がついてきてくれる、隣りにいてくれるって思ったら全然怖くないもの。


「例の件、決まったよ。明後日の14時からになった」


 やっぱりそっちだよね。残念だけど、仕方がない。


「うん、わかった。ありがとう、涼」


「栞は平気?」


 心配してくれるのは嬉しいけど、そんな顔をしないでほしい。これじゃ私よりも涼のほうが気にしてるみたいなんだもん。


「大丈夫だよ。ちゃんと覚悟したから。だからね、できればそれまではいつも通りにしててほしいな。一緒に宿題やって、次の遊ぶ予定でも考えよ?」


「栞がそう言うなら、わかった」


 ようやく涼も力を抜いてくれた。やっぱりこっちの表情のほうがいい。こうやって穏やかで優しい顔をしてる涼に私は癒やされているのだから。


「で、遊ぶって栞は何か案があったりするの?」


「んー……。定番で言えば海とかプールとか……?」


 自分で言っておいて全然考えてなくて、ありきたりなものしか出てこなかった。私は涼といられるだけで、それだけで満足しちゃってるんだもの。


「夏らしいといえばらしいけど、俺達からは縁遠い場所な気が……。それに俺の裸見て真っ赤になってたけど、そんなところ行って大丈夫?」


「それはっ……」


 涼のバカ……。思い出しちゃったじゃない。


 ヒョロっとしてるくせに、男の子なんだってわかる身体。肩はしっかりしてるし、贅肉がほとんどないせいでうっすらと浮いてる腹筋……。


 ってダメダメ。こんなこと考えてたら涼の顔見れなくなっちゃう……。


「栞……?」


「さっきはビックリしただけだから! 平気だから! もうこの話はおしまい! 適当に本借りるからね!」


「栞から始めたのに……」


 強がってしまった。たぶん……全然平気じゃない。でも涼とはそういうところも行ってみたい。たくさんたくさん楽しい思い出を作って、辛かったことを上書きしてほしい。


 苦し紛れに言った通り、本棚から適当に本を取ってきて開く。もちろん涼の肩に身を寄せて。もうこの距離感が私にとっては当たり前な気がしてる。本の内容は全然頭に入ってこないし、顔は熱いけど、ドキドキと心臓は幸せなリズムを刻む。


 涼もちょっとだけ苦笑いを浮かべながらも、それを受け入れてくれて。


 やっぱり大好きだなぁ……。


 水希さんからお昼ご飯に呼ばれるまで、そうやって涼のぬくもりを感じてすごした。この気持ちが少しでも伝わっていたらいいなって思いながら。



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