一通り話し終えて、栞は大きく息を吐いた。目にはまたうっすらと涙が滲んでいる。やっぱり話すのも相当つらかったんだと思う。俺も話を聞いただけでもらい泣きしてしまった。
ちょっとだけ、俺の隣から栞がいなくなることを想像してしまったんだ。今からまた一人ぼっちに戻ることを思ったら、途端に恐ろしくなった。
失うことがこんなに怖いなんて。それが大切であればあるほど、恐怖も大きくなる。栞と仲良くなる前なら無理だったかもしれないが、今の俺には少しだけ理解できた。想像だけでこんなにも、なら実際にそうなった栞は……。
「そうだったのか。だから自己紹介の時、あんなことを……」
「うん。誰とも関わらなければ裏切られて傷付くこともないでしょ? 怖かったの、誰かを信用することが」
なるほど。自己紹介の件も顔を隠していたことも納得がいった。そりゃ人間不信にもなるわけだ。俺だったら、たぶん不登校にでもなってると思う。何もかもイヤになって投げ出してしまうだろう。そもそも友達なんていなかったから、同じ境遇になりようがないのだけど。
栞は強いな……。
そんな状態だったのに勉強はしっかりやって学年トップを維持してるし、入学式では新入生を代表して挨拶までしてる。
さらにこんな俺にまで声をかけてくれて──
…………。
──あれ? じゃあ俺はどうなるんだ?
「ねぇ、栞? 栞の境遇はわかったんだけど、それならなんで俺には声をかけてくれたの?」
「うっ……。それは……。言わなきゃダメ……?」
俺の問いかけに栞は一気に顔を赤くした。さっきの話とは別の意味で言いにくそうな感じだ。
「いや、言いたくないなら無理にとは言わないけど……。でも気にはなるかな」
「そりゃそうだよね……。気になるよね……。えっと、笑わない?」
「笑わないよ」
「じゃあ……。えっと、あのね……、寂しかったの」
栞は恥ずかしそうに消え入りそうな声で呟いた。
「寂しかった?」
「うん……。高校に入って環境が変わったていうのもあるし、周りは皆楽しそうにしてるでしょ? たぶん羨ましかったんだと思う。自分で関わるな、なんて言っておいておかしな話なんだけどね」
「でも、それなら俺じゃなくても……」
「ううん。涼しかいなかったんだよ。私と同じでいつも一人で、そんな涼なら私の寂しいって気持ちが理解できるでしょ?」
「それは確かに……」
「誰も信じられなくて、でも一人は寂しくて、どうにもならなくなって……。寄りかかれる場所が欲しかったの。そのために、私は涼を利用したの。って私、ひどいよね……」
「利用ってそんな……」
自嘲気味に栞は言うけれど、利用するためだけなら別に勉強を教える必要もなかったし、ここまで仲良くなる必要もない。つまりこれはきっと栞の本心じゃない、と思いたい。
確かめないと。
「栞は俺のこと友達だって思ってないの?」
「思ってるよ……。今は、誰よりも大事な友達だって、そう思ってる。最初は打算的なこと、考えてたけど……」
「なら利用したなんて言わないでよ。寄りかかりたければ寄りかかればいいじゃないか。それが友達、ってものなんじゃないかな? 友達なんて栞以外にいない俺が言うのも変な話だけどさ」
偉そうなことを言ってる自覚はある。でもこれが俺の本心だ。栞のおかげで、栞が勇気と自信をくれたおかげで俺は少しだけ強くなれた。これだってたぶん寄りかかってることになるんだろう。でもそれでいいんだ。だってお互いがより良くなれる関係なんて素晴らしいじゃないか。そんな相手と出会えた俺はきっと運がいいんだろうな。
「涼はいいの? 私、こんなだけど友達でいてくれるの?」
「当たり前じゃん。そもそも友達になろうって言ったの俺なんだけど? イヤなら最初からそんな事言わないよ。栞が俺のことなんて必要ないって言うなら、考えるけどさ……」
本当はそんなこと考えたくもないのだが……。
「必要だよ……。私もう、涼がいないとダメになっちゃったんだから……」
「よかった。栞にいらないって言われたら、俺もまたぼっちに逆戻りなんだからさ」
「そんな……。今の涼なら他に友達くらいいくらでも……」
「そんな簡単にできないって。俺の根暗っぷりを舐めてもらったら困るよ? 俺がこんなふうにいられるのは栞のおかげなんだからさ」
「もう……。私達、二人ともどうしようもないね」
「そうかも」
繋いだ手に力を込めると、栞も応じてくれる。お互いにこんなに必要としてることが嬉しい。今はまだ友達として。さすがにこの流れで告白なんてできないし、それにまだやらないといけないことも残っているから。
「ねぇ、栞?」
「なに?」
「俺さ、栞に伝言を預かってるんだ」
栞の話を聞いて伝えるかどうか悩んだ。でもやっぱり伝えることにした。栞の問題を完全に解決するには、一度しっかり向き合う必要があると思う。あの子も謝りたいと言っていたし、たぶん悪いことにはならないだろう。
「それは、美紀から、ってことだよね……?」
「うん。栞と話がしたいって、そう言ってた」
「……今更だなぁ。でも、いいよ。美紀に会う。私も文句の一つでも言ってやらないと気がすまないし。せっかくの花火も邪魔されちゃったしね」
栞はそう言って笑った。青い顔をして震えてた時とはもう違うらしい。
「じゃあ後でそう伝えとく。連絡先押し付けられてるから」
「あ、待って」
「ん?」
「会うのはいいんだけど、言いたい事整理したいから、少しだけ時間が欲しいの。あと、これは涼にお願いなんだけど……」
「うん、なに?」
「美紀に会う時、涼も一緒に来てくれる……?」
「俺がいてもたぶん何もできないけど?」
「いてくれるだけでいいよ。一人だと、まだちょっと怖いから」
「そういうことなら、わかった」
「ありがと、涼」
そこでひとまず話は終わり、また二人で空を見上げた。
話をしていたせいで、花火はそろそろ終盤らしい。終わりに向けて勢いを増して、次々に空に花を咲かせていく。
俺はチラッと横にいる栞の顔を盗み見た。
その時の栞の顔は今まで見てきた中でも一番綺麗だった。たくさん泣いたせいで目は腫れぼったくなってしまっていたけど、全ての悩みや迷いから開放されたようなスッキリした顔で、微笑みを浮かべて、花火の光に照らされていた。
夜空に今日一番の大きさの花火が上がった。全部見てたわけじゃないからたぶんだけど。それもやがて夜の闇に消えていった。
「終わっちゃったね」
どうやら今のが最後の一発だったらしい。周りには静けさが漂い、少しだけ寂しい気持ちになる。
「みたいだね」
俺は栞の顔から目が離せなくなっていた。
「ねぇ、涼。来年は最初から最後までしっかり楽しもうね?」
「うん……。ん? 来年?」
栞に目を奪われていたせいで反射的に返事をしてしまった。
「うん、来年。また一緒に来ようね」
どうやらもう来年の約束をしてくれるらしい。
「そう、だね」
そのためにもしっかり目の前のことを片付けなければ。そしてできることなら来年は友達としてではなく……。
*
ここからは余談となるのだが、迎えに来た母さんと合流した時のことだ。
母さんは真っ赤になっていた栞の目にギョッとした。それをあろうことか俺のせいにしたのだ。
「ちょっと栞ちゃん?! 目が真っ赤じゃない。あ、わかった! 涼に何かされたんでしょ?」
「いや、何もしてないから」
「そうじゃなきゃ栞ちゃんがこんなに泣き腫らした目をしてるわけないじゃない。どうせ栞ちゃんの浴衣姿に欲情して不埒なことでもしようとしたんでしよ?」
「するか、そんなこと!」
なんでこうも自分の息子に対する信頼がないかね?
「え? しないの? 私、魅力ない?」
「そんなことないけど……。ってなんで栞までそっちに乗っかるの?!」
「その方が面白いかなーって」
「なら、せめて誤解を解いてからにしてほしいんだけど……」
「しょうがないなぁ……。水希さん、大丈夫です。涼は何もしてませんよ。これはちょっとした私の問題なんです」
「あら、そうなの? ごめんね、涼。疑ったりして」
「もういいよ……」
この差はなんなんだよ……。確かに栞は母さんに気に入られてるけどさ……。
ちょっとだけ寂しくなってみたりした。
「まぁ、大丈夫ならいいわ。それより涼。家に帰って栞ちゃんが着替えたら、ちゃんと家まで送ってくのよ。あ、その間に襲ったりしたら──」
「しないって言ってるだろうが!」
「え? しないの?」
「栞……。それはもういいから……」
「ま、涼にそんな度胸ないわよね」
「母さんうるさい。それに度胸とかそういう問題じゃないから」
そういうのは後先考えない愚か者のすることだと思う。それにそんなことして栞に嫌われでもしたらひとたまりもない。
「大丈夫だよ。私はちゃんと涼のことわかってるから。私の嫌がることは絶対にしないって」
栞は俺にだけこそっとそう言って、母さんが車の運転で見てないのをいいことにまた手を繋いできた。それにずっと笑顔だ。
ずっとこんな顔をしててほしい。そしてできることなら俺が……。