油断すると栞へと向きそうな意識を無理矢理ねじ伏せて、目の前の宿題へ向ける。そんなことをしていれば当然疲れるのは早くなるわけで、30分くらいで集中力が切れてきた。
すると、まるでタイミングを見計らったかのように母さんが戻ってきた。
「結構がんばってるみたいだし、そろそろ休憩にする? コーヒーでも淹れるけど」
「あ、私も手伝います!」
「あら、ありがと。栞ちゃんは気も利くのね。涼も見習ってほしいくらいだわ……」
「悪かったな、気が利かなくて」
「でも、涼も私に気を遣ってくれますから」
「へ〜ぇ。涼がねぇ……。そっかそっかぁ」
人から、それも栞から言われるとなんだかこそばゆくて。それに母さんも何やら言いたげな顔をしているので、だんまりを決め込むことで難を逃れることに。
栞も母さんもキッチンに行ってしまったので、それ以上の追求がなかったのが幸いだ。
栞と母さんがキッチンで準備しているのをただぼーっと眺める。最初こそ母さんの勢いに気圧されていたいた栞だが、どうやらうまく馴染んでくれたらしい。そのことに安堵しつつも、やはり気になるのは栞のことだ。
人とのコミュニケーションが苦手だった俺とは違って、栞は初対面の母さんとも普通に話をしている。俺とだってこうやって友達になってくれた。
コミュニケーションが苦手なわけじゃないんだ。
ならなんで『私に関わるな』なんて言ったんだろう。人を遠ざけたい理由。過去になにかあったとか……? でも、それだと俺との関係は矛盾してないか? 他の人とは関わりたくないのに、俺には仲良くしようと言ってくれた理由。
ダメだ、考えれば考えるほどわからなくなってくる。
さすがにここで、俺のことが好きだったからなんて自惚れたりはしない。だって図書室で栞から話しかけてもらうまで、俺達は一言だって喋ったことはなかったのだから。
それに自分で言うのも悲しくなってくるけど、あの頃の俺には魅力のカケラもなかったと思うし。多少マシにはなってきたとは思うけど、今がどうかはとりあえず保留ということで。そもそも人の評価なんて他人がするものなんだから。
俺のことはともかく今は栞のことだ。
栞が過去になにかあったとして、今はそれを乗り越えることができていて、何も悩んでいないなら別にいいんだ。俺も迷いなく栞と仲良くやっていけると思う。告白できるかは別として。
でももし、今でも心の内で悩んで苦しんでることがあるなら力になってあげたい。そう思うくらい俺の中で栞の存在は大きなものになっている。それになにより俺ばかり色々もらいすぎてる気がする。
勉強を教えてもらって試験で好成績を取れた。勇気をもらって栞と友達になれた。俺ごときがどうにかできるかなんてわからないけど、全くの無力ってことはないだろう。話を聞くだけでも悩みが軽くなることもあるだろうし。そんな自信も栞からもらったものだ。
だから、今度は俺が栞を助けてあげたい……。
「涼? どうしたのぼーっとして。はい、コーヒーだよ」
俺の前に栞がグラスを差し出してきた。
「あ、ごめん。ちょっと栞のこと考えて──」
「え? 私のこと?」
……俺、何言ってるんだよ!
ちょっと考えるのに集中しすぎていた。
「いや……、母さんと仲良くなったなって……」
また誤魔化してしまった。なんか俺、誤魔化してばっかりだな……。こんなんで力になれるのかな……。
「あれー? 涼ったら嫉妬? 大丈夫よ。あんたの大事な栞ちゃんをとったりしないから」
そんなセリフと共に母さんも戻ってきた。
「何言ってんだよ、母さん! そりゃ大事な友達だけど……」
「大丈夫だよ。私も涼のこと大事な友達だって思ってるから」
「栞まで!」
今日の栞はどういうわけか、言動がいつもと違う気がする。距離が近いと言うかなんというか。
俺は栞のことが気になって心配で仕方がないというのに。俺の杞憂なら構わないんだけど。
「それより二人とも、宿題もいいけど遊びに行ったりする予定は何かたててるの?」
「いや、全く」
「とりあえず一緒に宿題片付けることしか決めてないですね」
俺達が答えると母さんは得意げに「ふふん」と鼻を鳴らして続ける。
「花火大会とかどうかしら?」
「「花火?」」
「さっきスーパー行ったときにポスターが貼ってあったのよ。今週末だって。どう? 興味ない?」
確かに毎年この時期に花火の音が聞こえていた気がする。もちろん一緒に行く友達なんていなかった俺には無縁のことだったが。でも今年の俺には友達がいる。たった一人だけど、たった一人だからこそ特別で大切な友達が。
俺がチラッと栞の様子を窺うと、栞も同じように俺の方を見ていて目が合った。たぶん考えてることは同じなんだろう。
「行きたいです! ね、涼。一緒に行ってくれる?」
「まぁせっかく夏らしいイベントだし、栞が行きたいなら」
「なら決まり! 当日は車出してあげるから。あとね、栞ちゃん。浴衣とか着てみる気はある?」
言葉は栞に向けてなのに、なぜか母さんは俺の方をチラチラ見ながら言う。
「浴衣、ですか? 私持ってないですけど……」
「私の昔のがあるから、それ貸してあげる。たぶんまだ着れると思うよ」
「いいんですか?」
「私はもう着ないからね。このままタンスの肥やしにしておくのももったいないし、それなら栞ちゃんが着てくれたら私は嬉しいかなぁ」
「じゃ、じゃあお願いしようかな……」
「だって。よかったわね、涼?」
「なんでそこで俺に振るんだよ?」
「そりゃ、こんな可愛い子の浴衣姿だもん。涼だって見たいでしょ?」
さっきの視線はそういうことか。
「そりゃあ見たいけど……。絶対似合うと思うし……」
顔を隠していた時ならともかく、髪を切った今の栞ならきっとなんでも着こなしてしまいそうだ。
「浴衣なんて着たことないけど……、涼も楽しみにしててくれる……?」
「お、おう……」
不安そうに尋ねる栞に、そう返すことしかできなかった。実際ものすごく楽しみなんだけど。
「これで付き合ってないなんてねぇ……」
また母さんは余計なことを。
そんなお気楽に考えられたら楽なんだけどな……。