「母さん、明日うちに友達来るから」
一応言っておいたほうがいいだろう。いきなり連れてきたら驚くだろうし。
「は? 友達? あんたの?」
「そうだけど、なんか問題でもあるのかよ」
「問題はないけど……、イマジナリーフレンドじゃないわよね?」
よくそんな言葉知ってたな……。
さすがに栞と話をするようになる前でも空想の友人なんていなかったのだけど。
「実在の人間だって。とにかく明日うちで一緒に宿題やるから」
「……夢じゃないわよね?」
「どんだけ疑ってるんだよ」
「だってあんた、友達なんてうちに連れてきたことないじゃない」
「それはそうだけど……」
「騙されてたりしない? 本当に友達?」
「失礼だな。俺にだって友達の一人や二人……」
いや、一人しかいなかったわ……。悲しいことに……。
いや、今は栞がいるからそれだけで満足してるけどね?
「とにかく、これ以上言うと怒るからな!」
「涼に友達ができる日が来るなんて……」
怒るって言ったばっかりなんだけど?
さすがに腹が立ってきたけど、母さんの目に涙が浮かんでいることに気付いた。
なんで泣いてるんだよ……。
これじゃ怒れないじゃん……。
そこは心配かけてた俺が悪いんだけどさ。
「はぁ……。とりあえず俺、部屋の片付けしてくるから」
「涼、その子大事にしなさいよ」
部屋に戻る俺の背中に向けて、母さんがそう言った。
言われなくてもわかってるよ、そんなこと。
栞は大事な大事な友達だから。今はまだ……。
*
「さて、どこから手を付けるか……」
俺はあまり片付けが得意な方ではない。というわけで現在俺の部屋は結構散らかっている。
服が脱ぎ散らかされていたりはしないものの、読み終わった漫画やラノベがそこかしこに積まれていて、足の踏み場もない。
「さすがにこれを栞に見せるわけにいかないよなぁ……」
栞はなんというか、真面目だ。そりゃ、冗談を言ったりもするけれど、ちゃんとするべきところはちゃんとしている。だからこんな部屋を見られて幻滅されるのだけは避けたい。
こんなことになるなら普段からやっておけばよかった。今更嘆いても仕方がないから片付けるんだけど。
とりあえず手当たり次第に本棚に突っ込んでいく。
つもりだったんだけど……。本の整理というのはなかなかやっかいなもので、ついページを開いてしまいがちになる。漫画を一冊読んでは我に返り、片付けを再開する。そんなことを繰り返しながら少しずつ進めて、なんとか見れるようにした。
「こんなもんか?」
正直まだどうにかできそうだけど、すでにすっかり日も暮れてしまったし、何より疲れた。疲れの原因には本を読んでたせいも含まれているけれど。
「明日、か……」
疲れた身体をベッドに横たえて、天井を見つめながらそう呟く。
友達を家に招く。それだけのことなのになんだかワクワクしてくる。
「……楽しみだな」
きっと今夜はあまり眠れそうにない。
***
夏休み二日目の昼過ぎ。夏の日差しが照りつける中、最寄り駅へと向かう。たかだか5分程度の距離なのにじっとりと汗が滲んでくる。
なんでこんな暑い中、夏休みだというのに駅に向かっているかと言うと、もちろん栞を迎えに行くためだ。
利用している駅が一つしか違わないというのは初めて一緒に帰った時から知っていたけど、今回の待ち合わせをする際、家もかなり近いことがわかった。たぶん歩いて20分もかからないくらいだろう。
今日のところは暑いし、待ち合わせるならわかりやすい方がいいよね、ということで栞は電車で来ることになっている。
到着の時間は教えてもらっていたので、それに合わせて出てくるつもりが、ソワソワと落ち着かなくて早々に家を出てきてしまった。早く着いたところで電車の時間が早まることはないのだが。
「早く来ないかな……」
長年のぼっち生活のせいか、独り言を言う癖がすっかり染み付いてしまっている。
改札付近の日陰で壁にもたれてぼんやりと待っていると、ほどなくして栞が乗ると言っていた電車が駅へ入ってきた。
昼過ぎということもあって、電車を利用する人はあまりいないらしい。パラパラと数人が改札を出ていく。
──おばあさん。
──大学生くらいのカップル。
──サラリーマン風のおっさん。
──ちびっ子を連れたママさん。
……あれ? 栞は?
と思ったところで最後にもう一人。少しだけ遅れて同年代くらいの女の子が出てきた。かなり可愛い子だ。
でも栞じゃないな……。
おかしいなと思いつつスマホを見る。栞なら遅れる時は連絡をくれるはずだ。
でも今のところそれもない。さすがに心配になって、メッセージを送るのももどかしくなった俺は電話をかけることにした。
呼び出しのコールが始まると、すぐ近くで着信を告げるメロディが流れ出す。最後に出てきた女の子に着信があったようだ。
彼女は立ち止まりコテンと小首をかしげて電話に出る。
俺の方も同じタイミングで電話が繋がる。
「ねぇ、涼? 目の前にいるのになんで電話するの?」
『ねぇ、涼? 目の前にいるのになんで電話するの?』
先程の女の子の言葉とスマホから聞こえる言葉が少しだけタイミングをずらして完全に一致した。
「は?」
思い切り混乱した。
まさかこの子が栞ってこと? 涼って俺の名前を呼んでいるし……。でも栞の髪は……。
俺の混乱をよそに女の子は電話を切って俺の前までトコトコとやってくる。
「お待たせ、涼」
にっこりと微笑む彼女に見惚れた。それくらいの破壊力があった。
「えっと……栞?」
「そうだけど、わからなかった?」
「それでわかれって言う方が無理があると思うんだけど……」
いや、声はちゃんと聞き覚えのある栞のものなんだ。でも、その姿はまるで違っていた。
前髪は短くなっていて、両目がしっかりと見えるようになっている。パッチリとした二重まぶたで、まつげも長い。それでいて優しそうで柔らかな印象を受ける。目が合うと吸い込まれそうな綺麗な瞳は少し前にチラッと見たものと同じで。
こうやってしっかり見ると確かに栞だった。笑った口元にも見覚えがあるし。さすがにここまでこればもう疑ってはいないのだが。
「涼ならわかってくれると思ったんだけどなぁ。私の友達は冷たいなぁ」
拗ねるように少し頬を膨らませて栞が言う。
「ごめん……」
女の子はこういう変化に気付いてもらえると嬉しいって聞いたことがある。そういう点では俺は全然ダメってことになるわけだ。変化というより、もう別人ってくらい違うけど。
「冗談だよ。わからないかもって予想してたから。それでさ、ちょっと思い切ってみたんだけど……どうかな? 変じゃない?」
一転して照れくさそうな表情を浮かべて前髪をいじる栞。表情の変化にさえ俺は翻弄されている。
だってどの顔も可愛いんだもの!
「全然変じゃないよ。というか、えっと、可愛いと思う……。って俺何言ってんだ……。と、とにかく似合ってる!」
あまりの衝撃に思ったことをそのまま口にしてしまった。友達に対して可愛いとか言うのはどうかと思うんだけど……。
「そっか。よかったぁ……」
はにかむように頬を染めて、それでいて嬉しそうな顔に心臓を掴まれるようだった。
可愛すぎるんだけど……。
こりゃ母さん、卒倒するかもな……。
「ほら、早く行こ?」
栞は未だ戸惑う俺の手首を掴むと歩き出す。
「ちょっと?! 栞が先に行っても道わからないだろ?」
「あっ、そうだった。それじゃ、案内よろしくね、涼?」
今度は並んで歩き出す。それでも手首は離してくれなくて。手を繋いでるわけでもないのに、熱を帯びた栞の手にドキドキした。