28になるフォスティは式を挙げたら知らない土地へと行く。
地元で挙げる代わりに住む場所は彼の土地。
その条件をフォスティは快く飲んだ。
いい場所だし、いい人だし、環境もいい。
フォスティにも親にとっても悪くない結婚だ。
フォスティの旦那となる男性は温和で優しく、気遣いに溢れた人だった。
旦那様はフォスティに言った。
「フォスティさんの好きに過ごしていたらいい。家のことは最低限してくれていたらお金も自由に使っていい。僕は性欲がなさすぎて子を成せない体で中々お嫁さんになってくれる人がいなかった。最初から養子を選ぶという選択にだれも同意してくれなかった。フォスティさんはそんな欠陥だらけの僕を受け入れてくれた。同じベッドで毎日健全に寝るだけの夫婦でもいいと受け入れてくれた。だから僕は、フォスティさんの自由を尊重したい」
フォスティの両親は言った。
「土地もお金も持っていて申し分ない家柄の男性。血のつながった孫が見れないのは残念だけど、養子を受け入れることで孫は見れる。私たちにとって十分に有難い申し出だ。一人娘が独り身にならないだけで満足だから離れて暮らすのも耐えられる」
フォスティは言った。
「自由が得られるのなら、結婚します」
利害が一致し、とんとん拍子で結婚の話は決まっていった。
そして明日、フォスティは結婚式を挙げる。
いよいよ、人生で最も特別な日を迎える
――それなのに、何故かフォスティは幸せでなかった。
結婚は自分で選んだことだし別の地へ住むことを望んだのもフォスティだ。つまり今日は人生で特別な日で、フォスティの願いが全て叶う日でもある。それなのに何故そう思ってしまうのかわからなくて、フォスティは幼い頃いつも遊んでいた季節花が咲き誇る泉に来ていた。
地元を出て新しい所で住むことにワクワクしていた。
昨日まではワクワクとした興奮と喜びでいっぱいの筈だった。
むしろフォスティは新しい場所で何不自由なく自由に生きれることを心待ちにしていた。
なのに、妙にモヤモヤと沸き上がるこの憂鬱な気持ちはなんなのか
外出していてヒールが折れた時とか、お気に入りのドレスを柵にひっかけて破けてしまった時とか、親に小言を言われ続けて落ち込んだ時とか、それらの憂鬱とは全く違う種類の憂鬱でフォスティは自分の気持ちに混乱していた。
フォスティは、ぼんやりと泉の景色を見つめた。
太陽の光で反射する水が揺れる様子と、チューリップが可愛らしく小首を傾げる様子を見て癒され、少し笑みを零した。
春はチューリップ、夏はひまわり、秋はコスモス、冬はスノードロップ。
季節花がどの季節でも美しく咲き誇るちょっと不思議な泉。
「どうしてここが好きなんだっけ」
ぽつりと呟いて、ふわふわとした芝生に腰かける。
レモン色のドレスのフレアスカートが足首までふわりと覆い芝生に着地する。お尻の下に敷かれた布は恐らく重みで土がついてしまっていることだろう。それで汚れてしまうのを重々承知していながらも、全く気にすることなく膝を抱えるように座って、フォスティはまず自分のことについて考えた。
結婚するには遅い方の年齢であるフォスティは、どうして今まで誰にも恋を出来なかったのだろうと自分に疑問を抱いていた。
ちゃんと男性にときめくのに、「好き」まではどうしてもいかなかった。
1人が好きで本が好きな変人でありすぎたために、恋愛小説のような恋愛に憧れすぎていたせいだろうか。恋は、燃えるようにくっつき燃え盛るものだと思い込みすぎているせいだろうか。一度でいいから心に炎が灯るような恋をしてみたい、と幼い頃望んできたせいだろうか。
それとも、自分は恋を出来ない体質なのだろうか。
だから、恋を出来ず結婚しちゃうことに憂鬱を感じるのだろうか。
憧れていた恋愛結婚というのを出来ないことに、少なからずショックを受けているから心が晴れないのだろうか。
そこまで考えて、そうかもしれない、と思ったフォスティは視線を落とす。無意識に指が地面に伸び、傍にある草花を指にからめて、ほどいてを繰り返す遊びをしはじめる。自分が原因で憂鬱など、なんと滑稽なものであろうか。数度目の指遊びの際に、からめた草を少し力を込めて引っ張ればプチリと草が千切れた。この草のように憂鬱も引っこ抜いて捨てられれば、どれだけ楽だろうか。
「どんな時が、楽しかったっけ」
涙が落ちるように言葉を零したフォスティは、抱えた膝に頬をのせた。花の香りをそよりと運ぶ優しい風と、温かな太陽に包まれて眠気を感じたフォスティはその心地よさに身を任せて目を閉じる。
そうして瞼の裏に浮かんだのは――8つ下のタナストの記憶だった。
――『姉さんは綺麗だね』
私に似合わぬ言葉を投げかけてきた緑色の瞳が思い出される。
目が合えば、ふわっと笑った顔が綺麗な黒髪のタナスト。
短い前髪はタナストの表情をハッキリと見せてくれ、耳の上で刈り揃えられた短髪はタナストが激しく動いても乱れない。まるで私の足下にある芝生のようにふわっとした髪は、撫でたりぐしゃぐしゃにしてもすぐに元の姿に戻っていた。そのふわふわ頭を何の意味もなくナデナデするのが、私のお気に入りだった。
『僕のお姫様!』
そう言って私の柔らかなパーマがかかった金髪に花冠をのせてくれたのはいつのことだっただろうか。のせられたときに甘い香りがただよってきて心地よかったのをよく覚えている。
今の私は腰まで届きそうなほど髪が長いが、その時は肩に届く程度だった。いつもお母様が櫛でといて、くるくると巻いて、『可愛いわね』と毎朝言ってくれる自慢の私の髪。その肩につく毛先に『これはおまけだよ』と上品な香りのするバラのゴムを結んでくれたタナスト。
そのゴムは、今も私の宝石箱で眠っている。
『今日は僕がエスコートするよ!ついてきてっ』
いつも私があの子の前を歩くのだが、その日はタナストが私の手を引いて前を歩いた。頬を緊張で赤らめ、じっと前を見据えて歩き慣れた街を練り歩くタナスト。その後姿は可愛らしいのに、背中はどこか逞しさがあってずっと見ていたのを覚えている。
会えばいくつになっても手を繋いで街を歩いたことは、いい思い出だ。
そういえば最後に会ったのは、タナストが16になった頃だったろうか。
「会いたい、かも」
どうしてそう思うのだろう。
数年会わなくても平気だったはずなのに。
(どうして私はこんなことを考えて、思い出の場所に居るのだろう)
フォスティが自分に謎の疑問を持ち始めた、時だった。
「ああ、やっぱりここだ」
声が聞こえて勢いよく顔を上げれば、記憶のタナストが大人になった姿がそこにあった。
凛々しい顔つきに、見上げないと顔が見えないくらいの背丈、細身だけどまくった袖から見えるがっしりとした男らしい血管を帯びた腕。
ドキリ、とフォスティの胸が鳴った。
それを誤魔化すようにフォスティは「ターナ」と風に吹かれて消えそうな呟きを零した。ターナは、タナストの愛称だ。幼い頃何度もその名を口にしたはずなのに、呟き終えた唇は緊張したように震え続けていた。
「明日、結婚式でしょ」
そう言ってタナストはフォスティの隣に腰かける。
肩を並べて座ることはこれまで何度もあったのに、タナストが居る側が妙に熱く感じていた。自然と頬も熱くなるのでフォスティが首を傾げながら自分の頬に冷たい手の甲を当てていると、タナストは言葉を続けた。
「人生で特別な日だよね」
その言葉に、妙な寂しさを覚えた。
だが、何故だろう、と考えても答えは出てこない。
フォスティは「そうだよ」と肯定の言葉を返すことしかできなかった。
「すごいなぁ。昔から遊んでいた姉さんがお嫁さんになるのか」
「フフ。ここで過ごすのも今日で最後になるのね」
「そっかぁ。てっきり、姉さんは独り身でいるのかと思ったけど、違ったかぁ」
「とても条件のいい伯爵様からのお声だったからね。断る理由がなかったのよ」
「ふぅん、そっか。……ねぇ、姉さん」
「ん、なあに?」
「その人のこと、好き?」
「――……」
聞かれて、すぐにフォスティは答えられなかった。
無意識に息を飲んで、膝元のスカートをぎぅ、と握っていた。
そよ、と柔らかな風が頬を撫でた。その感触や温かさが好きなはずなのに、フォスティの胸は冷たい雪が降っているかのような心地だった。
「それはわからないわ」
言ってから、フォスティは旦那様の顔を思い浮かべた。
性欲がない、という理由で幻滅されるだけで、彼の顔は悪くない方であった。美しい、とまではいかないが、醜い、でもない。いわゆる平凡という位置にくる容姿なのであろうが、男らしい体つきをした彼は物腰が柔らかで人柄が非常にいい。
フォスティにとって、気を遣わなくていい異性だった。
変に心を動かされない人だから、フォスティにとって丁度いい相手だった。
(……あれ)
何に、丁度いいのだろう
自分の気持ちを確認すればするほど湧く疑問にフォスティが思い悩んでいると、ふとタナストが「姉さん」と声をかけた。
顔を向ければ、フォスティの頬にひやりとした指が触れた。
「結婚祝いのプレゼント」
タナストの柔らかい笑顔を見ながら、フォスティは冷たい感触が残る熱い頬に触れた。
すると、指先にシャラリと音が鳴るものが触れた。
「……イヤリング?」
「そうだよ」
指先の感触で耳元についたアクセサリーに気づいたフォスティが言葉を零すと、タナストは木漏れ日のように微笑んだ。
「姉さん、人魚姫の話が好きだったでしょ。だから、お姫様に相応しい真珠のイヤリング」
金色の長細い棒が真珠に添うように3つ並んだイヤリングをタナストは目の前に掲げた。シャラリと鳴ったのは金色の棒が真珠に当たる音か、と認識したフォスティは自然と微笑んだ。自分の好みをよくわかっているタナストの好意が嬉しくて、次に何をされるかわかっているフォスティは何もついていない耳を向けるように首を動かした。大人しくじっとしていると、クス、と笑う気配がしてタナストがイヤリングをつけはじめた。
「耳、柔らかいね」
ぷに、と耳たぶを触る気配がしてフォスティの身体がぶわりと熱くなった。
言葉だけじゃなく、吐息が頬にかかることと目の端の視界で見える顔の近さに「触れるのは今だけよ」と恥ずかしさからつんけんした口調で言い、ぎゅっと目をつぶった。目を開けたままでは、心臓が爆発しそうだったからだ。
けれど、それは余計心臓に悪い行為だった。
息遣いが聞こえ、指の感触が妙にリアルに感じる。
タナストの指先は冷たいはずなのに、フォスティは触れられるたびに火を入れられた暖炉のように身体が燃え上がりそうだった。
「目、開けて」
その言葉に反射的に目を開ける。
――綺麗な笑顔が、目の前にあった
「綺麗だよ、姉さん」
ド、と心臓が止まったかのような感覚に、フォスティは無意識に胸元の布をぎゅうっと握りしめていた。瞬間、自分が悲しかった意味も、憂鬱になってしまう心の理由も全部わかってしまったフォスティは情けなく笑った。
どうかこの感情がバレないようにと、感動で泣いて笑っていると見えますようにと願い、フォスティは表情を崩した。
「ありがとう、ターナ」
***
――今日はフォスティにとって特別な日。
28になるフォスティが結婚式を挙げる日。
予定していた真珠のブレスレットにぴったりの真珠のイヤリング。バッチリおめかしをして、ウェディングドレスを纏ったフォスティは、我儘を言って作って貰ったチューリップのブーケを両手で宝物のように抱えてそっと口づける。
「ありがとう、大好きなターナ」
フォスティの小さな呟きを知るのはチューリップだけ。
フォスティの気持ちを知るのはチューリップだけ。
思い出の花畑で咲いたこのチューリップだけ。
「今日は、本当に特別ね」
初めて”好き”の感情を知ったフォスティは、真っ赤な蕾の中に涙を一粒落とし、化粧が崩れないよう指先で目尻を拭って、人生で一度きりの日を成功させるために皆が待っている光の方へと足を進めた。
fin