すごい衝撃と音にびっくりして、俺はレモン羊の頭の向こう側をのぞきこんだ。
ウブラーがいた。羽根つき帽子はかぶっていない。
満身創痍なようで、片腕を失っており、傷口から溢れる血を必死に押さえている。脂汗を顔に滲ませて、とても苦しそうだ。
「あぁぁ、頼む、命だけはァ、命だけはァ、すまない、俺が悪かったァ……」
クウォンは得意げな笑みを浮かべ、羽根つき帽子を頭にかぶっていた。
ボコして帽子を奪ったらしい。ところでなんか新しい渓谷が生成されているのだが。さっきまで一本道だったのに、ここにきて三叉路になってしまっている。これはまさか……クウォンが?
「影よ‼」
クウォンがそう言って、被っている帽子を手で撫でた。
クウォンの足元で影が変形し、現実世界に飛びだしてくる。影の触腕は泣きじゃくるウブラーを縛りあげ拘束した。
「その傷だと死ぬかもしれないな」
俺が言うと、クウォンはこちらに向き直る。
「死んだら貰える懸賞金がさがっちゃう……ほら、ウブラー、もっと必死に傷口押さえなよ」
クウォンは腕を失ったやつを足蹴にしながら喝をいれた。ウブラーは泣きながら、懸命に腕を押さえて「助けてくれ……助けてくれぇ……」と繰り返していた。
「おじちゃん、レモン羊、大丈夫かな?」
セツは俺のそばでしゃがみこんで、レモン羊のおおきな鼻頭を撫でた。
「大丈夫さ、きっとどうにかなる」
ラトリスとナツも仕事を終えたようで、俺のところに集まってくる。
「ウブラーの海賊パーティは壊滅しました。みんな船長をおいて逃げちゃいました」
「追撃、だよ」
「いや、放っておいていいさ、ナツ。もう十分だ。俺たちは殺し屋じゃない」
人間っていうのはよくできていて、殺すと罪悪感が蓄積する。
それが必要な殺しや、悪い奴を殺した時でも、もれなくパラメータは溜まっていっちまう。これは負債になる。心の負債だ。
「再起して報復にくるなら可能性はまずない。船長がこのザマだしな」
船長に忠義をもっているのなら、逃げずに最後まで戦うだろう。
逃げたということは、その程度の忠義。船長のために命をかけて復讐にはこない。
「わぁ‼ レモン羊、超怪我してるじゃん⁉」
クウォンはびっくりしたように声をだし、こちらへ駆け寄ってきた。
「あんた今更気づいたの?」
呆れたように言うラトリス。
「動かないなとは思ってたけど……うわぁ、足をこんなに怪我して‼」
クウォンはムッとした顔でラトリスを見やる。
「むしゃくしゃしてやったの? 今なら怒らないから言って‼」
「わたしじゃないってば⁉」
「クウォン、ラトリスじゃない。あと犯人はもう死んでる。羊が自分で復讐した」
向こうにシミのように広がる赤い血だまりを見やる。
クウォンは納得した風にうなずいた。
「どうにか治してやれたらいいんだが。誰か回復の魔法とか使えたりしないか」
「すみません、先生、わたしにはとてもそのようなものは」
首を横にふるラトリス。
「あっ‼ そういえば狼お姉ちゃん、治癒霊薬もってなかった?」
セツはそう言ってクウォンの腰のポーチをまさぐりだした。
クウォンは「たしかに!」とセツにされるがままに、ポンッと手を打つ。
レモン羊の足に緑色の液体がかけられていく。
効果はすぐに現れた。赤々とした血を傷口はふさがり、ピンク色の肉質で補われた。つついたら痛そうだが、もう血は出ていない。
「めぇぇぇええ~」
レモン羊が起きあがった。表情は晴れやかだ。
「ふふ、なんだか喜んでるみたいだわ」
「うわぁーい、レモン羊大復活なのですっ‼」
なんとも気分がいい。
自然と頬が緩む。よかったな、レモン羊。
「めぇぇぇええ~」
おおきな声で鳴いた。レモン羊が体をぶるりと揺する。
すると背中から生えていたレモンの木たちがモコモコのなかへと引っこんだ。木が見えなくなると殊更デカいだけの羊だ。
「それってしまえるんだ」
と皆で感動していると、次の瞬間、羊がまばゆい輝きを放った。
その輝きはまさしく太陽のごとし。おおきなモコモコすべてが光を生み出し、目を開けるのさえ躊躇われるほど光っている。俺たちはいっせいに顔を伏せて耐えた。
ラトリスが叫んだ。「見て、あれ‼」光が収まるなかで、どうにか俺は目を開いた。
純白の羊毛が黄金の色合いをもっていた。
目を疑うような光景だった。
「こ、これは……‼」
「黄金の、羊毛‼」
「すごーい‼ あんた光れるの⁉」
「うわぁ‼ ついに伝説の羊を見つけたのですっ‼」パシャ。
「めぇぇぇええ~♪」
「ねえ、先生、もしかしてレモン羊はお礼をしてくれてるのかな?」
クウォンは楽しそうに言った。
レモンの羊のご機嫌さを見ていると、彼女の言う通りに思えた。
「羊自ら協力してくれるのなら助かるな。それじゃあ、その羊毛いただくぞ」
「めぇぇええ~♪」
谷底でのんびりぐでーんとするレモン羊を俺たちは協力して毛刈りした。
完全なる無抵抗。もう好きなようにんしてくれ。
そう言わんばかりのだらけきった姿勢。可愛い。
持ってきたハサミで夢中でチョキチョキすること数時間後──。
「めぇぇぇぇえ~」
「ばいばーい、レモン羊、達者で暮らすのですっ‼」
「毛が溜まったら手紙を送って、ね」
レモン羊は蹄をうまく使って、ほぼ垂直の岩壁を器用にのぼっていった。驚くような光景に目を奪われていると、あっという間に巨体の姿はなくなってしまった。
「体が軽そうで喜んでましたね」
「そりゃあこれだけくっつけてればな」
俺たちは背後を見やる。
黄金の羊毛が山を築いていた。
「まだ仕事は終わってない。こいつを運ばにゃならん」
「そうだった。うわぁ来た道戻るのかぁ。けっこう長いよね~」
帰るまでが宝探し。
俺たちは腕いっぱいに羊毛を抱きかかえた。
「これの出番かな?」
クウォンは得意げな顔で帽子をひと撫でする。
影たちが伸びてきて、黄金の羊毛をまとめて持ちあげた。
「そういやそれ何なんだ。ウブラーのアイテムだったみたいだが」
「この帽子のこと? へへーん、これはね暗黒の秘宝だよ。とっても貴重なんだよ~‼」
「暗黒の秘宝には、強力な魔法が宿ってます。だから、クウォンみたいな馬鹿狼でも、呼びかけるだけで、道具に宿った魔法の力を引きだすことができるんですよ」
ラトリスが説明を補って教えてくれた。
有名な代物なようだ。俺が知らないだけか。
「学も魔力もなしで使える魔法のアイテムか。いいものを手に入れたな。荷車代わりには便利そうだ。あと重症の悪党を運ぶのにも」
クウォンの足元から伸びる影の一本は、大人しくなったウブラーをと羊毛を抱えている。才能ある者にしか扱えない魔法を手軽に使えるようになるとはな、俺もあとで帽子を貸してもらおう。
一仕事終えたあとの緩い雰囲気、俺たちは星空の綺麗な谷底をひきかえした。
──しばらく後
暗く湿った洞窟を、松明を片手に進む。
突き当りまでたどり着いたら、壁をノックする。
ジメジメした、かび臭い暗闇で少し待つと、錆びついた仕掛けの動く音が聞こえた。壁がズズズーっとスライドして向こう側の明るさがこちら側に溢れてくる。
こちらを警戒した眼差しで見ていた老人は、俺たちを見るなり驚愕を顔に張りつけた。