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⑥トレーニングは順調…だけど?

 その日の帰り道。境界を歩いていたら、ヒュ、と音がした。


「痛っ」


 小石が足に当たる。誰の仕業だ、と周囲を見回す。


「に、人間やい!」


 あばら家の角に、焦げ茶色の丸い耳が三つ覗いていた。

 人型ながらむっくるしたフォルムは、熊のあやかしかな。半分隠れている上に子どもだから、熊といってもちっとも威圧感はない。

 心当たりもないのだけど……。


「月羽を返せ! さいきん、どこに連れてってるんだっ」


 いや、思い出した。いじめっ子トリオだ。

 わたしに石をぶつけたのも含めて、一言言ってやらなくちゃ。


「君たちねえ。それが人に教えてもらう態度なの?」


 一歩踏み出す。それだけで、トリオが「ぎゃー」と叫ぶ。


「く、く、熊鍋にされるっ」

「ちょっと、そんなに怖がらないでよ。熊、食べたことないし」


 あまりに蒼白になるから、つい宥めてしまった。

 意地悪な術を掛けられたり無視されたりよりはましだけれど、この反応もこの反応で複雑だ。


「ウソだ! 長老が言ってた、人間は自分からさまよい込んでくるくせに、オレたちを見たらおそうって」

「ええ? 理由もなくそんなことしません」

「したんだよ! だからオレたちは、ゆうがさま率いる人間ふかんしょう派だっ。たぶん近々でっかいことが起こるぞ、覚えてろー!」


 トリオは精一杯という感じでわたしを睨みつけ、走り去っていった。わたしはぽかんと小さな背中を見送るしかできない。


「月羽ちゃんの居場所はいいの……?」


 何なんだ。なぜかわたしのほうがもやもやしてしまう。

 叱り損ねた上、ものすごく誤解された。「熊食べそうに見える」って、女子大生として結構ゆゆしき事態じゃない?


 それに、人間不干渉派、というのも少し引っ掛かる。真高個人のポリシーではなく、あやかし全体の傾向のひとつらしい。

 あのトリオ、人間に良い印象がないのかな。そんなに頻繁に人間に会わなさそうだけれど。


(ううん。わたしだって同じだ)


 彼らのことをとやかく言えない、と思い直す。わたしもはじめてこちらに来たとき、少し接しただけであやかしに恐怖を覚えた。今は慣れたけれど、もし姿を見るなり襲い掛かられたりしていたら、あやかしが嫌いになっていたかもしれない。


 もしかして、あやかし界で他の人間をちっとも見かけないのは、人間鍋にされているからとか……。

 いやいやいや。「不干渉」なら、そんなことはないはず。わたしは半ば自分に言い聞かせるようにして、薄暮の境界を越えた。





 あやかし界でのサポートの日々は、飛ぶように過ぎていく。

 監督と言うより、学生コーチとマネージャーとトレーナーの兼任という感じ。

 メニューの組み立てから、走っているときのタイム計測、フォーム確認用の動画撮影、終わったあとの身体のケアまで。


「ラスト一周!」


 今日のメニューは、石段の横のゆるやかな九十九折りを活用した、五キロペース走×三本(月羽ちゃんは二キロ)。一定のスピードを維持して走ってもらう。


 人生にもたとえられる長距離走は、何となくではなくペースを意識して走るのが大切だ。コースは山あり谷あり。調子がいいからといって飛ばし過ぎると後に響く。苦しいときも淡々と歩を重ねれば、確実にゴールに近づける。


「それにしても、あやかしって運動能力高いんだなあ」


 一周一キロごとのタイムを六人分集計しながら、しみじみ言う。

 以前あやかしを診ていたおじいちゃんにアドバイスを求めたところ、「人型は基本、人間と変わらん」と言っていた。とはいえ、寄せ集めの割に、大学の駅伝競走部のBチーム並のタイムをクリアしている。


 それとも、神使だからだろうか。走る才能を見込まれて、並みいるあやかしの中から神使に選ばれたのかもしれない。


「だったら練習、今の週四より少なくてよくないすか」

「だめだめ。神使の仕事、今は滅多にないんでしょ? いきなり本番じゃ怪我のリスクが上がっちゃう。それに、飛鳥くんは羽ばたきと腕振りを連動させたら、もっと楽に走れるよ」

「連動とか考えたことないんすけど……」


 五周走り終えるなり抜け目なく提案してきた飛鳥くんに、撮ったばかりの動画を見せる。本来、技術的なアドバイスはトレーナーの専門外だけれど、状況が状況なので最低限だけさせてもらう。


「某にも助言を頼む、明香里殿」

「猛生くんは、どしん! って着地しないよう気をつけて」


 足に馴染みつつある蛍光カラーのシューズを示す。


「私も手取り足取り頼むよ」

「う、透翠さんヘンな言い方しないでください……」


 勝手に顏がにやける。頼られると、つい張り切ってしまう。

 久しぶりの感覚で、素直に楽しかった。アスリートよりサポート側が向いている、と改めて思う。


「はい、水分補給してね」


 今度は、少し遅れて五周目を終えた月羽ちゃん、和楽くん、丸々さんに、果汁100%のオレンジジュースを差し出す。エネルギーと疲労回復効果のあるクエン酸をいっぺんに取れるのだ。


「へへ、オレこれ好き! おかわり~」

「飲み過ぎてもだめなんだよ、和楽くん」

「はひ、ワシは酒じゃないと回復しねえ」

「丸々さんは論外です。寝転んでないでクールダウンしましょう」


 あやかし出雲駅伝のコースについて調べたら、これも人間の出雲駅伝とほぼ同じで、駅伝としては距離が短い。いちばん長い区間でも十キロだった。だから練習はだらだらやらない。メニューを終えたらすぐクールダウンに移る。


「明日は、地元でこれをやってね」


 最後に、ひとりひとり違う練習&ケアメニュー表を渡して回った。体格も、筋力も、走り方も違うのだから、必要なメニューも当然変わってくる。


「おねえちゃん、これ二まいもらえませんか? このまえ、とられ……じゃなくて、なくしちゃって」

「実はすでに二枚用意してあるよ」


 予備のメニュー表を渡すと、汗でつやつやしている月羽ちゃんの顔が、ほわりと和んだ。

 月羽ちゃんと帰り道が一緒の飛鳥くんによると、件のいじめっ子トリオは、月羽ちゃんが出歩くたびにせっせとちょっかいを出してくるらしい。きっとまたメニュー表を取り上げようとするだろう。それを見越して、メニュー表の隅に「かわいいと思う子に、素直にかわいいと言えるあやかしがモテます」と書いておいた。


「真高殿、今日も不参加か……」


 その隣で、無人の屋敷を見やった猛生くんが、しゅんと肩を落とす。

 みんなに渡すメニュー表を書くからと紙とガラスペンを借りたとき、真高は一瞬、わたしを見直すような表情をした。

 でも、いまだに練習には参加してくれない。今日も「夕飯の鮭を釣ってくる」なんて言って、屋敷の裏に広がる鎮守の森へ入っていってしまった。


(そろそろ、帰ってくるかな)


「ねーちゃん、またなー!」

「和楽、その先階段ないけど」

「うぉわ!? セーフっ」

「気をつけて、怪我しないでよー!」


 帰路に就くみんなと別れ、真高の動向を探りにいく。

 鎮守の森は、標高が高いぶん、ひんやりと涼しい。樹齢何百年もありそうなスギの巨木が何本も並び、まさに神々しかった。


 真高のために組んだメニュー表を手渡し、今日こそ話をじっくり聞こう。丸々さんに聞き出した釣りスポットへ、一歩一歩登っていく。


 たったったっ。

 自分の足音とは別に、規則正しい音が聞こえた。

 空耳じゃない。ずっと、ずっと続いている。


(もしかして、真高が走ってるの?)


 夢中で銀の尻尾を探す。

 動くものは他にない。枝々の隙間から陽光が差し込む獣道に、すぐ見つけられた。


(すご……い……)


 真高の走る姿を見るのははじめてだった。

 舗装された道路じゃないのに、まったく体幹がブレない。足運びも腕振りも理想的の一言だ。いつだったか、月羽ちゃんが駅伝競走部の練習を見て「おにいちゃんに似ている」と言ったのも納得できる。


 むしろ、わたしが知っているランナーの誰よりも美しい。

 出雲路を走る真高が見たい、という思いが強く湧き上がる。本当に、どうしたら走ってくれるんだろう?


「見惚れてるねえ、わかるよ」




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