中学三年生くらいの少年が、何やら叫びながら走ってきた。土煙が立っている。勢いよく真高を突き飛ばし、わたしの前で急停止する。
「真高殿、ご無事か?」
「くそ、余所見してた……」
溺れたアザラシみたいに猛生くんに片腕を持ち上げられた真高の殺気もものともせず、少年がスマホを凝視する。
「なあなあ、それ祭り?」
「えっ、あっ、うん」
勢いに圧されて頷いてしまった。
駅伝のスタートとゴール地点は特に沿道の声援が多く、応援部も華を添えて、祭りのように見える。まあ、出店もあるし、まったくの嘘じゃない。
「どこでやってんのー? 今? 夏祭りがみーんな終わっちってうずうずしてたんだ。あ、オレは
和楽くんはぽわぽわの茶髪に茶色の目で、大きな耳が正面を向いている。人間かと思いきや、細長い茶色の尻尾が後ろでぶんぶん回っていた。
「来月、出雲であるよ。あなたが神使で、お願いをひとつ聞いてくれるなら、連れてってあげる」
「マジ!? オレ、こー見えて羽生の浅間神社の神使」
「ほんと? じゃあ決まり!」
「わあい、かんげいです!」
「おー、今からオレら友だちなー。ほい、手」
「こんな礼儀のなってない猿なんぞやめておけ」
わたしは真高の私情を聞き流し、和楽くんとガッチリ握手を交わした。
その後、四人改め五人で商店街に立ち、チラシを配った。
実は有名らしい真高、あやかし界トップクラスのかわいさを誇る月羽ちゃん、周囲より頭ひとつ大きい猛生くん、商店街にいるのは大体友だちな和楽くん、人間のわたし。いろいろな意味で注目を集められて、あっと言う間に捌けた。
あとは、未来のチームメイトからの連絡を待つのみ。
四人はさらに、狭山ヶ丘の境界までわたしを送ってくれた。昼から文字通り走り回った月羽ちゃんはうつらうつらし出して、秒で打ち解けた和楽くんに抱っこされているけれど。
「真高。それ、預かっていて」
真高がトレーナーバッグを差し出してきたものの、わたしは受け取らない。
「は? なぜ」
「明日の練習で使うから。月羽ちゃん、猛生くん、和楽くん、秩父に集合ね」
「朝は屋敷でのつとめがあるゆえ、午後でよいだろうか」
「もちろん」
「勝手に話を進めるな。チラシの連絡先もだがなぜ俺……待て!」
今日できることはすべてやった。ささやかな達成感とともに、境界を飛び越えた。
◇
翌朝、トレーナーバッグの補充分を携え、真高が住まう秩父を訪ねる。
透翠さんが境界を越えてすぐのところに妖力車を手配してくれていて、迷子にならずに済んだ。
境界沿いには廃屋のような家屋が建ち並び、景色はかわり映えしない。ごくごくたまにお出汁の匂いが香ってくるけれど、人影も獣影もない。
そのうちに隣の市に着いている。地名が書かれた木の看板で確認できた。
(だんだん、境界の仕組みがわかってきたかも)
右側の路地の向こうには、色づいた街並みが垣間見えた。境界を通って仕事に行くのか遊びに行くのか、そちらの路地からあやかしがひょいっと出てくる。
一方、左側の路地の向こうは鬱蒼とした雑木林が多く、出入りするあやかしは皆無。中には倒木などで通れなくなっているところもあった。たぶん、人界につながっている道だ。地域によっては廃れてしまっているらしい。
「お嬢さん、秩父です」
車夫さんが妖力車を停める。境界を通れば、県内ならだいたい三十分以内で行き来できるみたい。ただ、人界での所要時間と必ずしも比例しない。
そんな分析をしながら、境界から伸びる石段を延々上っていく。
山中の、ゆったりと広い屋敷に出た。前庭には白い玉砂利、座敷の欄間には繊細な彫刻と、格調高い。何より、すみずみまで手入れされているのがわかる。
前庭を掃く真高が、銀色の尻尾を揺らして振り返る。
「何だ、ずいぶん早いな。今日の人界の」
「天気は一日晴れだよ」
もはや挨拶代わりのやり取りを交わした。
秩父の屋敷の縁側で、トレーニングウェアを着たわたしは、忙しなく立ったり座ったりを繰り返した。
「来ないかな……まだ来ないかな」
「出雲の役方の遣いなら、さっき来ただろう」
「違うよ」
「集合は午後のはずだが?」
「だから違うよ、メンバーの最後のひとりが来ないかなって。鳥類の神使だったら嬉しいんだけどな」
「そんな簡単にいくか。まったく、手形の無駄遣いだ」
真高は文机に向かい、何やら手紙を書いている。もちろんメンバー集めとは無関係だという。
ちょうどふたりきり。「走らない理由」について、聞いてみる――?
「真高」
「今度はなんだ」
思ったよりまっすぐな視線が返ってくる。
「あ、その。時間があるから、真高の主さまにご挨拶しようかな。奥のおやしろにいらっしゃる?」
「莫迦か。主さまは神界におわすに決まっているだろう。やしろだって、よそ者が入っていい場所じゃない。御神体を通してご意向を託る場所だ」
真高が眉間の皺をこれでもかと深くした。
わたしはう、う、と呻くしかできない。土壇場で怯んで地雷を避けようとして、さらなる地雷を踏んでしまった。
「それはそうだよね。ごめん……」
考えの浅い自分が居たたまれず、ふらりと前庭へ下りる。
透翠さんは屋敷を「主さまの別荘」と軽く言ったけれど、わたしを必要以上に畏まらせないためだったに違いない。ここは、人界の神社と同じかそれ以上に神聖な場所なのだ。
「やあ、明香里さん。走者を
そこに、透翠さんが階段を上ってきた。涼しい顔だ。
後ろをついてくるのは、銀がかった灰色の短髪の男。丸い背中に大きな風呂敷包みを背負い、ぜえはあと息を切らしている。汗からお酒のにおいがするような……。
「彼は
「ありがとうございます。狼ってことは、真高の知り合いですか?」
「ではないね」
「じゃあ、先に顔合わせを」
「それ、僕もご一緒していっすかね」
声がもうひとつ、今度は上から降ってくる。丸々さんがびくうっ、と大げさなほど肩を縮めた。