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②四体目のあやかし、勧誘作戦

 翠おじさん――透翠とうすいさんは、入間の三輪神社の神使だという。

 狭山ヶ丘から入間へは、西武線で七分。ランニングなら四十分。

 妖力車を牽いているからもっとかかるだろう。勧誘と、残りのチラシ配りを済ませて、夕ごはんまでに治療院へ帰れるかどうか。


(午後のバイト、休みにしといてよかった)


 と、思いきや。住宅街と雑木林をいくつか通り過ぎ、十分ほどで着いた。車を牽く役も交代しなかった。

 驚きいっぱいで尋ねる。


「人界とあやかし界、地名は同じでも地形はちがうの?」

「うーんと。ちけいは、ほぼおんなじです。境界をとおったんですよ」


 妖力車を停め、柄から抜け出た月羽ちゃんが、地面を指さす。どうやら境界自体がひとつの街道をなしていて、距離をショートカットできるらしい。


(あやかし界って、すごい。……その割に、なんにもないな)


 あやかし界の入間は、山の神の森とつながっている辺りとも、商店街とも、雰囲気が違う。見渡す限りの茶畑の中に、武家屋敷のような建物があった。


「翠おじちゃん、いますか?」


 並んで前庭に入り、縁側へ声を掛ける。雀がパタタ、と飛んでいく。

 数拍後、傍らの池からザバリと手が突き出た。


「こらこら、おにいちゃんとお呼び」

「ひゃううぅ、ごめんなさい」


 足首を掴まれて尻もちをついた月羽ちゃんが、身震いする。わたしも震え上がる。


翠おにいちゃん・・・・・・・、みずにもぐる特訓ですか」

「いや、特に意味はないよ。対局相手が長考に入ってしまって、することがなくてね」


 彼が透翠さんらしい。

 完全に庭に上がった姿は、想像したのとまったく違っていた。真高や悧杏よりほんの二、三歳上にしか見えない。人型では、だけれど。


 優雅な所作で頭を振る。水も滴る色男状態だ。青みがかった長髪に、薄いグリーンの瞳。白襦袢から透けた肌には、薄っすらと鱗模様がある。身長は現代の成人男性平均くらいながら、バランスがいい。


「きみ、人間か?」


 すっと現れた小間使いの男の子から手拭いを受け取りつつ、わたしを見た。

 わたしは人生ではじめてのパターンの自己紹介をすべく、懸命に口を動かす。


「は、じめ、まして。人間の・・・桐谷明香里です」

「私は蛇のあやかし、透翠だ。ようこそ、主さまの別荘へ。先に確認しておくが、通行手形は持っているかな?」

「はい、このとおり」


 うやうやしくトレーナーバッグを開けて、中身を見せる。


「それはよきよき・・・・。ところで、私の言葉遣いは古くないかな」


 話してみれば気さくなあやかしのようだ。はは……と愛想笑いで頷いておく。


「よかった。着替えてくるから、そこで待っていてくれ」


 庭に面した座敷に通された。風が通って心地いい。

 さっきの男の子が、アイスグリーンティーを持ってきてくれた。彼も手にほんのり鱗模様がある。


「いただきます」


 早速、月羽ちゃんが切子グラスを両手持ちして、ごくごく飲み始める。たとえゆっくりでも、重いもの(主にバッグ)を牽いて走り通したのだ。疲れただろう。


「月羽ちゃん、お屋敷まで乗せてくれて、ありがとうね。御礼に、クールダウンしてあげる」

「くーるだうん?」

「足のケアだよ」


 やっぱり知らないか。

 ちょっと行儀が悪いけれど、空いたグラスの氷を氷嚢に詰めて、月羽ちゃんの足に当てる。さらにストレッチしてあげていると、流水模様の着流し姿の透翠さんが座敷に入ってきた。


「これはオニ・・微笑ましい。明香里さんは、懐かしの駅伝競走の監督をしてくれるということでいいのかな」

「! そうなんです」


 慌てて居ずまいを正す。透翠さんの言葉遣い、やっぱり微妙に古い気がするのは置いておこう。

 透翠さんがわたしたちの正面に腰を下ろす。


「あらましは猛生に聞いている。ハオ・・だね、彼は」


 その猛生くんの姿が見えないのが思わせぶりで、何となく透翠さんを直視できない。わたしは正座した自分の太腿を見つめた。


「翠おにいちゃん、ぼくたちと駅伝にでてくれますか?」


 そこに、月羽ちゃんのまっすぐな声が響く。

 ちらりと見れば、大きな瞳にじんわり涙が滲んでいる。緊張しているのだろう。それでもきちんと切り出した。わたしなんかよりずっと勇気がある。


「いいよ。繁殖期でもないし、暇だから」


 対する透翠さんの返答は、拍子抜けするくらいあっさりしていた。あやかしって繁殖するものなの……? というのはさておき、大きな前進だ。


「やった、あとふたりだね。残りのチラシ配ったら、練習しながら待とう」

「どうせ不備のあるチラシを撒いても無駄だ」


 月羽ちゃんと手を取り合った瞬間、容赦のない指摘がどこからともなく飛んできた。

 この声、この言い回し。

 控えていた小間使いの男の子が襖を開けると、続きの間で真高が胡坐をかいていた。


「真高、いたの?」

「いたら悪いか。おまえこそ、無手形で何してる。また怖い目に遭いたいのか」

「木札はおじいちゃんが持ってたのがたくさんあります」

「……。何にしても、俺が先にいたんだ」


 よくよく見れば、不機嫌そうに尻尾を揺らしながら、脚つきの将棋盤を睨んでいる。

 透翠さんの対局相手とは、真高だったらしい。


「おねえちゃん、猛おにいちゃんが!」


 猛生くんはと言えば、将棋盤の奥で大の字になっていた。月羽ちゃんとともに駆け寄ってみると、お酒のにおいがする。


「どうして……」

「飲み比べで勝ったら頼みたいことがある、と言ってきてね。彼は頑張ったほうだと思うよ」


 透翠さんが微笑む。普通に頼まれれば普通に頷いただろうに、たちが悪い。


 何にせよ、猛生くんと月羽ちゃんは、彼らなりに行動したのだ。わたしもあきらめたくない。真高に向き直る。


「チラシ、不備があるならつくり直して、あとふたり見つけます」

「ふたりだと? 俺を数に入れるな。そもそも駅伝は時代遅れなんだ。主さまと人間をつなぐ健脚を競う趣旨だが、今も奔走する神使はほんのひと握りしかいない。人間はもう主さまの言葉を聞こうとしないからな。そんな駅伝を走っても仕方ない」


 月羽ちゃんの前で、そういう言い方ってない。

 しかも自分で言っておいて、どうしてひどく切なげな顔をするんだろう。


「じゃあ、メンバーを揃えられたら真高も走ってよ。お願い。お願いします」


 わたしの懇願に、真高はぐっと口を噤む。

 トレーナーの心構え、その二。選手のやる気を引き出すべく、飴と鞭を駆使して働きかける……と言っても、何がネックなのか聞きもせず、こんなふうに頼み込むつもりじゃなかった。

 でも、今言わないとだめな気がした。


「そんな顔したってだな……」

「ふふ。真高、そろそろ『詰み』を認めたらどうだ」


 透翠さんがするりと屈み、真高の頬を撫でる。途端、真高の銀の尻尾が総毛立った。


(罪?)


 透翠さんは、真高が駅伝に出なくなった理由を知っているのかな。


「だから俺は走らないって」

「駅伝じゃなくて、将棋の話。明香里さんの知恵でも借りてみるか? 特別に、好きな駒をひとつ、好きなように動かして構わないよ」


 突然指名されて、将棋盤と透翠さんを交互に見る。

 将棋のルールは知らない。でも、「歩」の駒に惹かれた。逆向きに置いてある「銀」に向かって、進めるだけ進む。

 すかさず、透翠さんが「龍」の駒を動かす。


「王手」

「莫迦か、おまえは!」

「え?」

「負けた者は、走者集めに励むように。なに、きみが持ってきた件・・・・・・・・・はいいようにはからうから、心配するな。というわけで、私はこれで」


 真高が頭を抱え、透翠さんがすべるように廊下の奥へ消える。

 入れ替わりに小間使いの男の子が、「チラシを刷り直すなら、このガリ版印刷機をどうぞとのことです」と包みを持ってきた。

 わたしはようやく、真高が負けたことに気づいた。


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