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⑥神使の仕事

「今日採ったばっかのアジだ、安くするよっ」

「おにいさん、ちょっと飲んでかない?」


 魚屋、肉屋、八百屋に雑貨店、オトナなおねえさま・・・・・が客引きするバーまで、色とりどりの店が建ち並ぶ。軒先の鈴蘭灯が眩しい。

 ところーどより繁盛していて、ちょっと猥雑な商店街、のようだ。往来には和装の人……が多く、昭和を通り越して大正っぽい雰囲気である。


 「人」とまとめたけれど、人型と、何とも形容しがたい架空の生きもの型が入り乱れている。獣型は少ない。

 圧倒される間に、銀色の尻尾を見失ってしまった。


(結局、帰り道わからないや)


 子どもや女性のあやかしなら、話し掛けても怖くないかな。道の隅でまごまごしていたら、人型のあやかしと目が合った。絶対絶命、と思いきや。


「明香里?」


 銀の立ち耳に金の瞳、杢灰色の着流し。


「真高……」


 見知った顔をようやくはっきり見られて、へなへなとしゃがみ込んだ。

 やっぱりさっきのは真高で、もともとの用事をサッと済ませてきたらしい。

 いったん離れるなら離れるって言ってよ。というか、わたしの名前、ちゃんと覚えていてくれたんだ。


「まったく、何やってるんだ。無防備に境界を越えてくるな」

「怒らないでよ。わたしだってそんなつもりじゃなかったんだから」


 人混みからわたしの身体を隠すように立った真高は、いつものように眉間に皺を寄せた。でも、一つ目のあやかしに遭遇した今ならわかる。

 真高の声は、優しい。


「おい。具合が悪いのか?」


 ふるふると首を振れば、真高は小さく舌打ちした。袂に手を入れ、何やら取り出す。


「なに?」

 筆文字が書かれた、木の札を突きつけられた。


「通行手形だ。月羽を誘拐したときは境界上で済んだが、境界を越えてこちら側へ立ち入るなら、許可が必要になる。これがないと帰れない」

「……くれるの?」


 通常運転なら「誘拐って、人聞き悪いなぁ!」くらいは言うところだけれど、今は殊勝な気持ちにしかならない。

 それにしても、手形って。大正どころか江戸みたい。


「ああ。これでもう大丈夫だ。立てるか?」


 真高は答えを待つのももどかしいという様子だ。わたしの手を包み込むように木札を持たせ、ぐいっと引っ張る。


(わ)


 細身の体型に似合わず力がある。掌は、さっきまで走っていたわたしより温かい。

 ぐううう。

 立ち上がるや、虫が鳴いた。虫型のあやかしではなく、わたしのお腹の虫が。

 真高が深々と溜め息を吐く。


「呑気なことだな、小娘」

「しょうがないでしょ、夕ごはん前だったの。ねえ、あれってわたしも食べられる?」


 ちょっと恥ずかしく思いながらも、真高の肩の向こうの、おやきらしき軽食の屋台を指差す。

 空腹を自覚したら、いい匂いに気がついた。どう見ても河童の二人組が、至福の表情でおやきを頬張っている。


「食ったら帰れよ」


 真高はくるりと踵を返し、おやきを買いに行った。

 気のせいかな。振り返る直前、ちょっと笑っていたような……。

 戻ってきたときには、いつもの眉間に皺フェイスだった。


「ほら。火傷しないようにな」

「わ、ありがとう」


 手渡されたおやきを半分に割れば、ほこほこ湯気が立つ。小豆と胡桃がぎっしり詰まっていた。


「御礼に半分あげる」

「俺が買ったんだが?」

「あやかし界のお金持ってたら、わたしが二個買ったよ。で、どっちが治療院?」


 ぱく、と齧りつきながら歩き出す。改めて見ると、食べ歩きするあやかしが結構いたので、真似したのだ。ああ。もちもちの皮とあんこの甘さがやみつきになりそう。


「……ついてこい」


 真高はおやきを受け取らずに歩き出した。

 真高の顔が怖いせいか、すれ違うあやかしに絡まれることはなかった。目の前の光景の物めずらしさに、だんだんはしゃいでしまう。


「ねえ、あれ何?」

「垂れ耳を立ち耳にするとかいう、胡散臭い美容器具」

「あれは?」

「剛力手袋。実際に剛力になったあやかしは見たことがないがな」

「あの美味しそうなのは?」

「ぜんぶ肉団子。共食い防止用にいろんな組み合わせで合挽してる。……ったく、こっちの調子を狂わせておいて立ち直りの早い」

「え?」


 各店の店じまいセールの呼び込みと重なって、真高の声は聞き取れなかった。


 この十数分で、あやかしにはだいぶ慣れた。さっきは姿形が違うのにびっくりしただけで、振る舞いは人間と変わらない。一日の終わりに商店街でおつとめ品を物色したりとか、まさにおんなじ。言葉も通じる。


(あっ、今の)


 商店街の端、ひっそり静まった住宅街との境目まで来たとき、またも銀色の光が過ぎった。

 路地に、しゅっと細長い尻尾。狼のあやかしだ。「幽雅ゆうがさま、遅かったですね」と呼びかけられ、廃屋のような建物に入っていく。


 あれは真高の知り合い? と訊くより先に、路地へ一歩踏み出す。

 途端、ぐにゃりと地面が歪んだ。

 世界がスローモーションになる。足下で、角の生えた小柄な鬼が、にたりと笑っている。


「おい!」


 真高に腰を抱かれて、何とか転ばずに済んだ。でも、手からこぼれたおやきの最後の一口は跡形もない。鬼もいなくなっている。

 一体、どこへ消えたの……?


「油断するな。俺たちは俺たちの理で生きてる。神使のように人間に好意的なものばかりじゃないんだ」


 真高の怒鳴り声に、周囲のおしゃべりがぴたりと止んだ。「人間の女の子?」「何しにきたんだ」とじろじろ見られて、居た堪れない。

 真高の銀の尻尾が不機嫌そうに揺れている。真高が人型を取れるのだって、人間とは違う理なんだ。今さら足が震え出した。


「ごめんなさい。でも、あなただって言うほどジェントルマン紳士じゃないと思うけど」

「じぇんとる……はあ。今どきの小娘は、『神使』も知らんのか」


 真高が呆れというより、切なげな顏になる。前回の別れ際の表情によく似ていた。

 この顔をされると、わたしは何も言えない。


「神使とは、神に選ばれたあやかし、神の使いだ。主さまのご意向をことづかり、走って境界を越え、人間に届ける。あやかし界のほうが神界に近いからな」

「ええと。あ、おじいちゃんの酔っ払い話で聞いたことあるかも。『ここで米をつくれ』とか、『災害が起きるから逃げなさい』とか、虫の知らせとか?」

「……そんなようなものだ」


 妙な間があったけれど、合っていた。

 ということは、月羽ちゃんは「紳士」を自称したわけではなく、「神使」なんだ。

 こちらの出雲駅伝は、日頃走っている神使の大会というわけだ。神さまに頼まれた仕事で忙しいだろうに、駅伝競走なんてやっている暇があるのかな。


「その割にのんびりしてるね」

「それは……」


 言い淀む真高の顔に、影ができた。


「おやおや」



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