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①あやかしも怪我します

 明香里あかりおねえちゃん、ぼくたちといっしょに、出雲の駅伝に出てください。



 すっすっ、はっはっ。

 リズミカルに土の匂いを吸い、日課のランニングに勤しむ。

 ポニーテイルにした項の汗をぬぐった。黄昏時といえども、九月の埼玉はまだまだ暑い。


 現在、家から約二.五キロ地点。大学の裏手にある中氷川なかひかわ神社回りのコースに変えて、三日目になる。

 目的はよくあるダイエットじゃない。どちらかと言えば、わたしは痩せっぽちだ。マラソンや駅伝の選手というわけでも、ない。


(やっぱり、空振りかあ)


 ある人たちの様子を垣間見られたら、と思った。

 でも、徒労に終わったようだ。何せ彼らはわたしと違って、風のように速い。もう通り過ぎてしまったのだろう。

 あきらめて来た道を引き返そうとした、そのとき。


「ひゃあん、やめてよぉ」


 舌足らずな泣き声が耳に届いた。

 一度足を止める。きょろきょろ辺りをうかがいながら、また走り出す。


 枯れてなお祀られている、樹齢千年のケヤキの向こうに、人影があった。陽炎で視界が揺らめく中、浴衣姿の子どもが一、二……四人。


「ほんとすぐ泣くよなぁ」

「そんなんで走れんのかー?」


 ひときわ小柄な一人を囲んでやいやいと野次り、足蹴にしている。

 いじめの現行犯だ。まったく、みんなで力を合わせるべきは、そういう方向じゃないでしょう。


「おどれらーっ!」


 勝手に足が動いていた。おせっかいでも構わない。真ん中でいなり寿司みたいに丸くなって震える子に覆い被さり、言い放つ。


「弱いものいじめは卑怯でしょ! それも女の子を泣かせるなんて」

「げっ、人間!?」

「やばい、やり過ぎた。戻れ」


 わたしの形相がよほど怖かったらしい。いじめっ子たちは逆光の中、尻尾を巻いて雑木林の奥へ逃げていった。


「もう、失礼な子たちなんだから。わたしが般若にでも見えたっていうの? どう見ても人間でしょ」

「あ、の、おねえちゃん。だいじょうぶ……?」


 いじめっ子の捨て台詞にじわじわ腹を立てていたら、懐からかわいらしい声が上がる。


(わ、声まで美少女)


 ドールアイみたいな赤くおおきな瞳が、わたしを見ていた。輪郭にかかる巻き毛はミルクティーベージュだし、きっと外国の血が入っているのだろう。歳は小学校中学年くらいかな。


「わたしは大丈夫だよ。お嬢ちゃんは、どこか痛いところない?」

「えっと……」

「うん」

「ぼく、オスです……」

「えっ!?」


 思わず、淡い桃色の浴衣のあわせを確かめる。って、男女で違うのは洋装だけだっけ。


 こんな無垢な子の口から、「男」じゃなく「雄」なんて単語が飛び出したことに動揺してしまう。

 ……ここは、大学生のわたしがしっかりしないと。


「あは、ごめんね。お詫びにおうちまで送ってあげる。立てるかな」

「ひとりでちゃんと、もどれま、す……っ」


 男の子はわたしの手を借りずに立ち上がったものの、数歩歩いて顔をゆがめた。よくよく見れば、草鞋の紐を結びつけた右足首がほんのり赤くなっている。


「足首を捻っちゃったんだね。あのいじめっ子たち、今度たっぷり叱らなきゃ」

「や、これはかんけいないです。さっき、ころんじゃって」

「そう? どっちにしても、きちんと手当てしよう」

「えっ、あの」

「遠慮しないで。困ったときはお互いさまってやつだよ。あ、ウェアの汗が気持ち悪いか。タオル挟んで、と」

「ひゃああ」


 もともと浴衣の裾をたくし上げてあったので、支障なくおんぶできた。見た目よりさらに軽い。

 わたしはいたいけな男の子を背に、暮れゆく県道を駆けた。



 「山の神の森」――やや仰々しい名の、緑深い市営公園に面した、のどかな住宅街。

 狭山ヶ丘治療院のガラス扉には、「本日の受付は終了しました」というプレートが掛かっている。


 お構いなしに押し開き、「せんせーい、怪我人です」とボスを呼ぶ。

 わたし、桐谷きりや明香里は、この年季の入った治療院の孫娘なのだ。


「んん~? もうばあさんと晩酌始めとるんじゃが」

「おばあちゃんの若い頃の写真とでしょ」


 甚平姿で階段を下りてきたいわおおじいちゃんが、「おや」という顔で男の子を見た。のらりくらりしつつ、門前払いは絶対にしない。

 わたしは男の子がマッサージベッドに下りられるよう、慎重に屈んだ。


「捻挫だと思うんだ。診てあげてよ」


 時間が経って痛みが出てきたのか、男の子は目に涙を溜めている。


「歩けなくはなくて、こういう怪我ははじめてだって」

「ふむ。ここ、押されても痛くないかい? ここは? 確かに骨折まではしてないみたいじゃな」


 道中で男の子から引き出した情報を伝える。おじいちゃんはそれをもとに、節ばっている割にやわらかい魔法の手で、するする処置していく。


 わたしがその場で診てあげられればよかったのだけれど、まだ資格がない。

 おじいちゃんと同じ「柔道整復師」ではなく、よりスポーツ中の怪我の対応やトレーニングに特化した「アスレティックトレーナー」の資格取得を目指して、この春大学に進んだばかりだ。


 もちろん、普通の女子大生と比べれば、格段に怪我に詳しい。でも、だからといって自己判断で事を進めるのは危ないと、痛いほどわかっている。


(二度と、あんな失敗はしない……)


 もう三十回は唱えた教訓を胸の中で繰り返すと同時に、おじいちゃんがテーピングを巻き終えた。捻ってしまった足首をテープで圧迫して、腫れを最小限に留めるのだ。あとは冷やして、安静にしていればいい。


「これで手当ては終わりだよ。でも、しばらく走ったり跳んだりしない約束ね。おうちの人と連絡取れるかな?」


 おじいちゃんの助手として水色の氷嚢を男の子の足首に固定しようとして、気づく。

 男の子のおしりに、おまんじゅうくらいの大きさの、ふわふわの毛玉がくっついている。何気なく取ってあげようとした。


「ひゃんっ!」

「わっ、ごめん。もうちょっとで取れ……、ない……?」

「あっあっあっ。月羽みうのしっぽ、ひっぱらないでくださいっ」

「尻尾!?」



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