三階建ての建物は、一階が製造フロア、二階が製品保管フロア、そして三階が社長だった大河原
元々バイク用品の製造を請け負っていたが、一年前に閉鎖。
製造フロアの機械は稼働することなく埃が積もっている。
それもこれも王崎商事のせいだ。
俊一は二階の奥にある事務室で、苛立ち紛れにパイプイスを蹴り飛ばした。
アルミ加工に定評があった会社は、俊一の父の代から王崎商事と取引していたが、去年明確な理由のないまま契約終了を告げられた。
俊一が許せないのは、大河原部品会社が開発した加工技術が、いつの間にか王崎商事の特許として申請され、取得されていたことだ。
何十年もかけて編み出した技術のすべてが王崎商事に奪われ、自分たちの技術なのにそれを使用するには莫大な使用料が生じる。
とうてい払えるわけもなく、大河原部品会社は倒産した。
百人ほどいた従業員を解雇し、五十二歳の俊一に残ったのは、二年前に購入した製造機械のローン、三千万円。
その機械の購入先も王崎商事の子会社なのだから、はらわたが煮えくり返る思いだ。
倒産をきっかけに夫婦仲も悪くなり、半年前に妻と娘が出て行って俊一の中でなにかが切れた。
奪われたものを奪い返す。
そんな執念と王崎商事への復讐心に呑みこまれ、社長令息の誘拐計画を練り、とうとう実行に移した。
「こっちは技術を提供してやったんだ。その代金、きっちり払ってもらおうじゃねえか」
俊一は足元を睨みつけた。
そこには両手両足を縛られ、さるぐつわで口元を覆われた少年が横たわっている。
まだ小学校にも上がっていないのに、大人びたスーツ姿で髪も整髪料できっちり整えられた少年の名は――。
「
しかし拓真は顔色ひとつ変えず、切れ長の瞳で機械的にまばたきするだけだ。
縛られた腕や足が痛むのか、たまに短く呻くが、それ以外は声を発することも、怯えをよぎらせることもない。
感情が表にいっさいでないのだ。
「不気味なガキだ」
年相応の振る舞いがいっさいない拓真に毒づいたところで、事務室に若い男が入ってきた。
「そろそろ犯行声明が届くころっすね、王崎家に」
男の名は
大河原部品工場の元従業員で、年齢は二十一。
目つきが鋭く、眉の上に古傷がある。
十代後半まで暴走族の頭を張っていたらしく、違法薬物や傷害で少年院にいた時期もあったとか。
更生したというし、人手不足だったこともあり雇用したが、同僚との喧嘩沙汰を何度も繰り返していた。
性根は暴走族にいたころと変わっていないのだ。
しかしそんな人間だからこそ、今回の件にはうってつけだった。
俊一が声をかけると、悟はふたつ返事で引き受け、しかも腕っぷしの立つ仲間までそろえてくれた。
「王崎にも、汚い仕事をする連中がいるに決まってるっしょ。そいつらを使って、ガキを奪いに来るかもしれないっす」
だから金のためならなんでもする奴らを集め、守りを固めたと悟は自慢げに言っていた。
「郵便配達員が王崎家に来るのが、きまって午後二時から二時半だからな」
身代金三億の要求とその受け渡し方法を記した犯行声明は、県外のポストに投函済みだ。
俊一が腕時計を確認すると、すでに二時半を過ぎている。
王崎家は今、大騒ぎになっているだろうか。
誘拐された息子のために、大急ぎで身代金を用意しはじめていればよいが……。
芋虫のように転がっている拓真に目をやり、俊一は唇の端を上げた。
「てめえに付けた値段は三億だ。王崎の社長なら、そのくらいの金、用意できるだろうよ。大切な息子のためなら、な」
俊一は拓真の顎の下に手を入れ、グイッと顔を上げさせた。
「だが金を用意できなかったり、警察に通報したら、悪いが、てめえの命はそこまでだ。わかるか、死ぬんだぞ」
脅しつけてみたが、それでも拓真は平然としている。
見下されたようなその態度にカッとなり、思わず腕を振り上げたときだった。
事務室のドアが開き、両腕にタトゥーの入った男が飛び込んできた。
悟が集めた仲間のひとりだ。
「ま、まずいぞ……ていうか、ありゃあ、なんだ?」
青ざめて震える男に、悟が怪訝な表情を浮かべた。
「なにがあった?」
「し、下にいる仲間が、次々にやられて」
「王崎の手の者か? それともサツ?」
「いや、あれは……たぶん、どっちでもねえ」
「じゃあ、いったい誰だよ!?」
声を荒げた悟に、タトゥーの男は愕然とした様子で答えた。
「――幼女だ」
つぎの瞬間、事務所のドアを弾き飛ばし、金髪の男の身体が宙を横切って、床に叩きつけられた。
金髪男も悟の仲間のひとり。
集まったメンバーの内、もっともいかつい男だ。
たしか仲間内でいちばん腕っぷしが強いと、悟が言っていたはずだが。
その金髪男が床に転がされ、苦悶の表情で唸っている。
「よ~やく追いつけた!」
事務所の外から甲高い声が聞こえてきた。
ドアが吹き飛んだ際に舞いあがった埃が、ドア口で立ち込めている。
声はその向こうから近づいてきて、小さな人影が浮かび上がった。
「あたしのカレは無事なんでしょーね! 怪我させてたら許さないんだから!」
埃が晴れて、姿を現したのは――。
「――ほ、ほら、幼女だろ?」
タトゥー男の言う通り、こんな不穏な現場には似つかわしくない幼女が、仁王立ちしていた。