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(二)

 自動車のけたたましいブレーキ音は、無機質なチャイムへと変わった。


 ピンポーン。


 ハッとして目を覚ましたみくには、視界の白さにくらくらした。


 まばたきを繰り返すうちに目の焦点がようやく合い、周りに視線を巡らす。


 ……銀行?


 いつだったか、母、祝子のりこと訪れた銀行の行内を思い出した。


 前方のカウンターには透明板の衝立があり、その向こうで行員らしき中年男性が視線を手元に落として作業をしている。


 銀行ってたしか……お金がいっぱいある場所だっけ?


 祝子はあのとき、お父さんの原稿料が振り込まれたとか言っていた。


 それを引き出してくるからと、カウンターで行員とやりとりしている祝子を、みくには待合室のイスに座って待っていた。


 そのときの光景と今、目前の景色がよく似ている。


 違うところは天井も床も、左右も、そしてたったひとりの行員の背後も、すべて真っ白なことだ。

 白以外なにもない。


 ここにあるのは、みくにが座っているソファと、両端が見えないほど長いカウンターだけだ。


 ていうか、あたし、車に轢かれなかったっけ?


 ぼんやりしていた頭がようやく働き、思い出してきた。


 王崎家から飛び出してきた少年を追ってるさなか、軽自動車が突っ込んできたところまでは思い出せた。


 しかしそこからの記憶はなく、なぜか今は銀行みたいな場所にいる。


 お母さんはどこ?


 姿の見えない母を探してきょろきょろしていると、再びチャイムが鳴った。


 ピンポーン。


 行員が顔を上げ、みくにに向かって声を上げる。


「三百九十二番の方、窓口へどうぞ~」


 三百九十二番?


 みくにが戸惑っていると、行員は目をしょぼしょぼさせながらもう一度番号を呼んだ。


「三百九十二番の方、窓口へどうぞ~」


 行員に見つめられ、


「あたし?」


 と、自分を指差そうとして、その手に番号札が握られていることに気がついた。


 見ると、“392”と記されている。


“392”……――“みくに”だ!


 自分が呼ばれたことを確信し、慌てて窓口へ向かった。


 カウンターはみくにの身長よりも高いが、足元にあった踏み台に乗ると、行員と顔を合わせることができた。


「三百九十二番の方ですか?」


 行員の声は淡々としたものだ。一見無表情だが、目元と口元は柔らかく威圧感はない。


 みくには番号札をカウンターの上に置いた。


「三百九十二番、広小路みくに、五歳です」


「広小路みくに様……。承っております。御臨終、おつかれさまでございました」


 行員に頭を下げられた。


「ごりんじゅう?」


 意味がわからず小首をかしげると、行員は一度うなずき、それから言い直した。


「みくに様はお亡くなりになりました。つまり死にました。ここは死の世界前案内所です」


「死んだの、わたし?」


「はい、五歳で死にました。そっこうでしたね」


「やっぱりあのとき車に轢かれて? でも軽だったよ、車」


「軽とはいえ、鉄の塊ですから。まともにぶつかられたら無事ではすまないですよ」


 それはそうだと、みくには五歳の頭で理解した。が、納得はできない。


「あたし、まだ五歳よ。五年しか生きてないの。お母さんとお父さんと一緒にいられなくなるなんてイヤよ。やりたいことだっていっぱいあるもん」


「それはたとえば?」


「たとえば?」


 面と向かって問われ、言葉に詰まった。


 ていうか、五歳児に向かって問い詰めないでほしい。


 自分のやりたいことを捻りだそうとしたら、脳内にあの少年がよぎった。


 王崎家から走り出てきた少年。

 スーツ姿で大人びて、けれど服装とは裏腹に、澄んだ瞳からは幼い涙を零していた。


 みくにはひと目見て少年に惹かれた。


「そ、そうだ!」


 涙の少年を思い出し、みくには声を上げた。


「恋! あたしがしたいこと! あの男の子との恋! 人生を添い遂げる一世一代の大恋愛!」


 口からすらすらとそんな難しい言葉が飛び出した自分に、みくに自身が驚いた。


「自分で言うのもなんだけど五歳の言葉じゃないわ! これも恋の力かな!」


 行員は表情を変えないまま、数回うなずいた。


「……くくりひめ様のおっしゃるとおりでした」


「くく……り……ひめ様?」


 聞いたことのない名に眉をひそめると、行員はあらためてみくにを見据えた。


「広小路みくに様には、くくりひめ様の推挙により、正義の執行者――スーパーガールになっていただきます」


「ス……スーパー?」


 行員の言葉を理解できず、みくには目をぱちくりさせた。


よわい五歳にして、この成熟度。くくりひめ様のお眼鏡に叶った恋の潜在能力は、この先スーパーガールの正義の力となるでしょう」


「……はい?」


「その力でみくに様は、悪を倒すのです、よろしいですね?」


 話の内容の半分も理解できず、みくには泣きたくなってきた。


「よろしいですね?――じゃないよ! ……もっと簡単に言って! じゃなきゃ、お母さん呼んで!」


 みくにの潤みだした瞳に気づいたのか、行員は慌てたように言い足した。


「至極簡単でございます」


「五歳にもわかるようにね」


「広小路みくに様は死にました。が、あなた様は神に選ばれた御仁。このまま成仏していただくか、あるいは神の使徒――スーパーガールとなり、広小路みくにとして生き続けるか。みくに様ご自身がご選択できるのです」


「選択?……ていうか、あたし、まだ生きられるの!?」


 行員は大きく頷いた。


「しかも人智を超えし能力を身に宿して、生きていけるのです」


 それって……つまり……。


 みくににはスーパーガールや人智を超えた能力なんて、正直どうでもよかった。頭に入ってこなかった。


 ただひとつ、これからも生きられることがすべて。


「あの男の子と恋ができるってこと!?」


 それがなにより重要で、魅力的だった。


 行員は「これぞ、くくりひめ様がお認めになられた恋の活力」と、満足気に目を細めた。


「おっしゃるとおり。みくに様は恋愛人生をまっとうできるのです」


「恋愛人生!」


 その特別甘美な響きに、みくには全身を打ち震わせた。


 行員が軽く咳払いをし、最終確認と言った様子で口を開いた。


「では広小路みくに様、お選びになってください。ここであまりに短い人生を終えるか、それとも神の使徒スーパーガールとなって悪と戦い、恋の求道者となるか。あなた様のお答えは?」


 みくには両足で踏み台をしっかり踏みつけ、両腕を胸の前で組んで堂々と顔を上げた。


「あたしの答えは――!」


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