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第11話 何にも知らない

 朝飯んとき、おろしたての夏制服にデコポンの汁飛ばしちまった時点で、今日はツイてなかったのかもしれない。

 五月末にして最高気温三十℃超え予報にもかかわらず、冬服の長袖シャツで登校する。


「おはよう、蒼空くん」

「杏奈ちゃんおはよ! 朝早いなぁ」

「そなん、蒼空くんこそ」


 途中で杏奈ちゃんと合流した。

 日曜の駐輪場は空いている。後ろに積んでるでかいクーラーボックスを下ろす。

 例の見学集団で、土日も野球部の練習をサポートする計画を立てたんだ。


 夏の県予選まであと一か月。

 中間テストを無事終え、野球部はみんな気合が入ってる。


 オレたちも、順番待ち中に水分補給できるようコップ並べたり、体温調節用の氷嚢つくったりと、動き回る。


「林、一塁ベースカバー! ……もう入っとったな」


 丈士先輩は、一昨日オレのベッドでごろごろしてたの幻覚だったんじゃ、ってくらいキレッキレ。

 この調子なら甲子園連れてってもらえそうかな。

 そしたら、スタンドで青いミニプリーツスカート穿いて踊らねえとか? 全国放送されるのに困ったなあ。


 なんてむふむふ考えてたら、グラウンド整備休憩に入った。

 丈士先輩に冷やしタオル渡したいんだけど――いない。

 ぴょんぴょん跳ねる。他の部員の帽子越しに、内野と外野の境の中途半端なところでシャドウピッチングする姿を見つけた。


 なんか知らない人みてえ。

 長袖シャツの内側がざわめくと同時に、見学集団のボスが囁く。


「あの美人誰や?」


 クーラーボックスを置いた反対側のネット際。ホースで撒かれた水が小さな虹をつくり、見かけない制服の、見かけない美人を彩る。


 休みの日は守衛さんもゆるくて、地元民が構内を通り抜けたりする。

 でも、彼女は明らかにうどんの匂いがしない。黒髪ロングもセーラー服も、ヘンにアレンジしてないのが却って様になってる。そのせいで部員がそわついてるし。


 その目が丈士先輩だけ映してるって、オレはすぐわかった。


「もし県予選に向けた偵察やったら、ようないわいな」

「オレ、声かけてくる」


 美人に怯んでる女子に代わって、ホームベース側をぐるりと回り込む。


 謎の美人は、大人っぽい。野球部の評判聞いて応援に来た中学生じゃないな。

 あと三メートル。丈士先輩に見惚れるどころか見咎めてんのかってくらい、視線が強い。

 あと三歩。身長はオレと変わらない。背の高い丈士先輩と並ぶとお似合い……ぶんぶん首振って、話し掛ける。


「うちの野球部に何か用か?」


 美人は、首の動きのみでオレを見た。


「いえ。転校した知り合いに会いにきたんです」


 うぐ。部外者ですよね、って含ませたら、そっちのが部外者、ってカウンターをくらう。

 この人、転校前の丈士先輩を知ってるんだ。うらやましい。

 いや、今は先輩は讃岐高のエースだし。むんと踏ん張り直す。


「よかったら伝言しょんか。練習、午後まであるけん」

「マネージャーさんですか?」

「……、ハイ」


 便宜上、頷いた。単なる後輩の一人って言いたくなかったわけじゃない。

 この美人は丈士先輩とどういう関係なんだろう。前の学校の野球部のマネージャー?


「でしたら、君からも説得してください。元の高校に戻るように」


 えっ? 思ってもない展開に、息を呑む。


「今戻ってくれば、三年夏の県予選も甲子園もぎりぎり一緒に出られる。最後のチャンスなのに、どうして……」


 美人が歯がゆそうに丈士先輩の背中を見た。

 先輩は頑なにネットに近づかない。それが逆に、彼女を意識してる証明になっている。


 つか、待って。情報量が多い。

 転校したら一定期間試合に出られない、ってルールあんの? だったら、そもそもなんで田舎の県立に転校してきたんだよ。


 丈士先輩を知ろう大作戦、⑤。オレと出会う前の、讃岐に来る前の先輩を知りたい。

 この美人に聞くのは何だか負けた感もあるけど、本人の次によく知るのは彼女だ。

 水撒きが止む。土の匂いを吸い込み、切り出す。


「うちに転校した理由……は、解消されたんか? じゃなきゃ戻れんじゃろ」


 途端、美人がオレを睨んだ。無神経を責めるような、涙の膜の張った目で。


「あいつらが今年の夏もプレーできるよう、被害者の丈士が転校したんじゃない」


 被害、者? 知らない。聞いたことない。

 氷嚢も触ってないのに、指先がすうっと冷える。


「才能ある後輩をやっかんで怪我までさせるなんて最低なやつらだけど、連帯責任だから。大会辞退になったら他の部員の頑張りが無駄になるって、丈士は事実を葬った。今、何ごともなくプレーできてて本当にほっとしてる」


 怪我――。もしかして、耳の上の産毛のところ、傷跡なのか?

 当たり前に知ってるていで話進められて、口を挟めない。


「戻ってきたら、今度は私が、丈士を守る」


 美人は、加害者はもちろん当時丈士先輩を守れなかった自分に対する怒りで、よそゆきの口調が消え去っていた。

 グラウンドのみんなの話し声が、遠くなる。


 丈士先輩は、甲子園出場を当然のごとく考えられる強豪校にもともといて、現三年生に目つけられて怪我して、讃岐に引っ越してきた……?

 野球部マネじゃないし、打ち込めるものすらないオレには、想像のつかない世界だ。


 うちも三年生のピッチャーがいるけど、丈士先輩にレギュラー取られたからって、怪我させて取り返したりしない。

 でも、春の県大会は準決勝で、打線の援護なく負けちまった。


 丈士先輩。転校が正しい選択だったか、悩むこともありました? 夜考え込んじまって目が冴えて、授業中居眠りしてたんじゃないですよね?

 ……オレ、先輩のこと、ぜんぜん知らない。なのに浮かれて、何やってんだか。


「とにかく、丈士はこんなところにいるべき選手じゃない」


 こんなところ……そうだよな。オレの胸のつかえを正確に表す言葉を受け入れる直前、


優姫ゆうき。邪魔すんな」


 ハスキーな声が割り込んできた。

 丈士先輩だ。いつの間に目の前まで来てたんだろう。トンボを担いだ肩が少し上下してる。

 帽子の下の三白眼は、オレじゃなく優姫さんを見てる。


「邪魔なんかしてない。LINEしても丈士が見ないんでしょ。それに、」

「昼休憩に聞くから。うちの一年に絡むな」


 そっけない物言いが、逆に親しさを感じさせた。優姫さんが何か言う前に踵を返す。

 グラウンドの土も整って、じきに練習再開だ。優姫さんは短く息を吐いた。


「君に当たっちゃってごめんね。丈士が頑固なせいで」

「い、えいえ」


 オレは愛想笑いを浮かべた。偵察じゃないなら、オレには口出せないし。

 ただひとつだけ、ずっと下の名前呼び捨てなのが気になる。


「丈士センパイの、彼女さんやったんですね」


 鎌を掛けた。でも、米農家の長男の割に鎌の使い方が下手くそだったみてえ。

 優姫さんがはにかみながら頷く。この二か月でオレの内に育ちつつあった甘さとか名前のわからない感情とかが、まとめて刈り飛ばされる。


 優姫さんは恋人のためだからこそ、海を越えて出向いてきた。

 こういう健気な美人が、丈士先輩の好きなタイプで、本命だったんだ。

 ……そりゃそうだよな。





 それから昼休憩までの記憶がない。

 気づいたら粟野先輩に引っ張られ、桜の木の陰に隠れていた。左右の桜にも二、三人ずつ部員と見学集団が張りついてて、もはや隠れられてない。


 みんなの視線の先には、丈士先輩と優姫さん。思ったとおりお似合いだ。見せつけるように花壇の前で話してる。声は聞こえない。


「あれ前のガッコのマネじゃろ。丈士の再引き抜きかが。どーするよチアボーイくん」

「オレにはじょんならんどうにもできません……」

「あ?」


 讃岐高にいてほしいのはやまやまだけど、丈士先輩にとってよりいいほうを選んでほしい。だって、あんなに野球に懸けてんだもん。


 丈士先輩は真顔。表情を読ませない。

 やがて優姫さんが顎を引き、一人で正門へ向かう。


「どう、なったんや?」


 山田部長が、居合わせた全員の気持ちを代弁する。

 当の丈士先輩はこっちにつかつか歩いてきて、「蒼空、いつもんとこ」とだけ言った。




 屋上の手前、ひみつの場所。日曜はしんと静かだ。

 辿り着くなり、「優姫と何話したん?」「なんで話し掛けたん?」「連絡先交換してないよな」と、弁当そっちのけで尋問される。


「……そなん心配せんでも」


 オレは思わず口を尖らせた。

 イケメンでエースの丈士先輩の恋人を、どこにでもいる田舎高校生のオレが横取りできるはずない。


「するわ。蒼空の推しと系統被ってんじゃん」


 でも、先輩は自分の弁当のスペアリブみたいのにかぶりつきながら、眉を顰める。

 ……はい? 確かに華華さまも優姫さんも、歳上で背が高くて黒髪ロングだけど。


「一緒にせんでほしいっス」


 推しは推し。好きとは違う。

 それにオレが好きなのは、栄養ある飯と田舎の景色とスキンシップと畳が好きで、勉強は嫌いで、歳下にも優しくて、真剣に野球に打ち込むイケメン――丈士先輩だ。


 はあ。失恋してから自覚してどうする。

 胸にぽっかり穴が開いて、さみしい。もう他のものじゃ埋められない。

 「失恋」だと思ってた中学のときの失恋は、ほんとの失恋じゃなかった。


 先輩が昼飯一緒に食うとかタピオカご馳走してくれるとか日高家の田植え手伝うとかオレのベッドに寝転がるとかしなければ、はっきり「前の学校に彼女いる」って言ってくれれば、傷つくほど好きにはならず済んだんだ。


「つか、センパイこそオレに何にも話してくれんやないが。オレ揶揄うの、楽しいっスか?」


 丈士先輩の荒々しい咀嚼が、止まる。眉間の皺が深くなる。

 オレが勝手に好きになって勝手に失恋しただけなのに先輩の機嫌損ねて、かっこ悪い。


 でも、他にもミニスカ褒めたりチャリ二人乗りしたり授業中にジェスチャーしたり女子と帰るなって言ったりほっぺガードしたり、手の込んだ揶揄い方する先輩も酷い。


「蒼空」


 名前呼ぶのだって、勘違いする。許しちまう。

 優姫さんとどう話がついたのか知らないけど、きっと行っちゃうんでしょ?

 さみしいし、切ない。何にも知らなくて何にもできないのが、悔しい。

 喉の奥に苦いものがこみ上げて、先輩と目を合わせられない。


 そうしたら、いつだかみたいに、大きくて熱い手に顎を持ち上げられた。


「俺を見ろ」


 先輩に触られると、嬉しくて、もっと触ってほしくなる。この手はオレのじゃないのに。

 目が合ったら、好きがあふれ出すに決まってる。


 意地でも従わないでいると、急に先輩が身を乗り出してきた。

 オレの部屋でごろごろしたとき以上に近づいて、視界がぜんぶ丈士先輩で埋まる。

 先輩の顔が傾いた。これって――!


 ガツッ、と鈍い音がした。


「……彼女おるんやけん、あかんよ」


 オレは後頭部を腰壁にぶつけながらも、シャツの袖を二人の唇の間に滑り込ませた。

 顔が熱い。心臓が聞いたことない速さで乱れ打ちしてる。

 オレ、ちゃんと「あかん」の表情できてる?


 丈士先輩はゆっくり二回まばたきしたのち、オレにキス……するのを諦め、オレのほっぺたから手を離す。


「あっそ」


 緩慢に、昼飯の続きに取りかかった。

 怒ってるのとも、オレみたいにびっくりしてるとのも違う真顔。先月、授業中にオレが手ぇ振り返さなかったときの顔に似てる。傷ついたような、怖がってるような。


 なんで、先輩のほうがそんな顔になるんだ……?

 そもそも、なんでオレにキスしようとしたんですか?

 後頭部をさする。叫びたいけど声出ないし、走り出したいけど足に力入んねえ。


 至近距離で見た先輩の目に、揶揄いの色はなかった。むしろ欲を湛えてた。丈士先輩、同性との恋愛もありなんだ。

 いちばん知りたかったことが知れた。でももう遅いって、穴の開いた胸が締めつけられた。




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