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第9話 五文字以内で答えよ

 田植えという共同作業を経たオレと丈士先輩の仲は、他の先輩の目にも進展して見えるらしい。


「林のやつ、授業中ほぼ寝てるみたいなんや。テスト前は放課後学校で自習させるけん、その見張り役やってくれんか? 僕より君のほうがええじゃろうし」


 と、山田部長直々に頼まれた。

 部長は「山田」って感じの人の好さそうな顔を、悩ましげにゆがめてる。


 偏差値そこそこの県立、なごやなか野球部でも、テストで赤点取ると一定期間練習も試合もできないそうだ。


 もちろん「ハイ!」と引き受けた。丈士先輩を知ろう大作戦③、勉強してるときの先輩も知れるしな。

 オレ自身のテスト勉強? まあ何とかなるっしょ。




 山田部長に指令を受けた次の週、すべての部が活動禁止になった。勉強しろってこと。

 で、来週頭が中間テスト本番。


 オレは月曜の放課後、早速二年一組に出張した。ちょっと空気が違って足踏みする。

 教室に残ってるのは五、六人だ。山田部長が来てて、丈士先輩を説得してる。


「……粟野ん家でやります」

「それもええが、学校のほうが集中できるというかやな」


 誰かん家だと、菓子食ったりしゃべったりして、実質ほとんど進まねえもんな。

 でも気をつけする丈士先輩は、「明日考えます」とかかわそうとする。球種のサインにずっと首振ってる感じ。


 困り顔の部長がオレに気づいた。たかたかと背後に回り込み、丈士先輩の前まで移送する。


「学校でなら、日高くんが一緒に勉強するって。情報科の先輩ぽいとこ見したれよ」


 丈士先輩の眉が、ぴくりと動いた。


「蒼空ん家でいいじゃん」


 って言いながら、荒くはないけどきっぱりした仕草で部長の手をオレの肩から外す。ん?


「弟と妹がまとわりついてくるけん無理っスよ。オレもガッコがええです」


 オレは「野球できなくなりとうないじゃろ」と訴えを込めて先輩を見上げる。


「……わかりました」


 ついに先輩の了承を得た。

 部長は「よろしゅう!」と安堵いっぱいで帰っていく。科が違うし、検定試験も受験もある中で、後輩の世話まで大変だな。兄として大いに共感する。

 よし。引き受けたからにはしっかり見張ろう。


「さ、テス勉しましょ。センパイの席どこっスか」

「ここ」


 一方の丈士先輩は、乗り気じゃないと表明するかのごとく、脚を投げ出して座る。

 教卓の斜め横列、最前なんですけど。この席で居眠りかましてんの? 度胸あり過ぎ。


 オレは前途多難な予感を嗅ぎ取りつつ、隣の机を先輩の机にくっつけた。


「センパイのテスト範囲は?」

「さあ」


 ウソでしょ。テスト勉強の大前提も不明? 一年のときどうやって切り抜けたんですか。

 早くも見張り役を挫折しかけたところ、


「でもノート貸された」


 先輩が机の中から、表紙に「歴史」って書かれたノートをごそごそ引っ張り出す。

 一学期の中間は、ノートに書いてある全部が範囲だ。貸してくれたの、同じ組の大西先輩かな。助かります。


「とりま、ノート書き写したらどっスか」

「スマホで撮っときゃいいじゃん」

「手動かさんと頭入らんのですって」


 先輩はのろのろ自分のノートを開いた。案の定、真っ白。起きてようとあがいて生成しがちな暗号文・・・すらない。もしかしなくても勉強は嫌いらしい。

 オレも好きではないけど、先輩ほどの度胸はない。情報処理の練習問題解いとこうと、持参したタブレット端末を操作する。


 やっと自習タイムが始まった。

 ……と思いきや。先輩がおもむろに、オレのほっぺたに指先を沈める。


「田植えんとき焼けたの、もう戻ってる」

「毎年ほーなんスよ。先輩くらい焼けりゃ男っぽうてかっけえのに」

「いや今くらいがいい」

「いやいや、うどんには出汁醤油かかっとったほうが美味そ……じゃのうて!」


 普通に駄弁っちまった。オレはぐいんと上体を傾ける。

 先輩の指が名残惜しげについてくるけど、タブレットで阻止した。


「オレのうどん肌ほっぺに触りたければ、勉強してつかさい。五分書き写したら五秒触らしてあげます」


 咄嗟の思いつきだけど、けっこう名案じゃね?

 先輩の口角がみるみる下がる。あっスミマセン、オレのほっぺたにそんな価値ない――え?

 先輩が、五秒のために書き写しを再開した。


 一回やる気になれば集中力のある人だ。ちっこい机に覆い被さるようにして、さらさらシャーペンを走らせる。

 オレはどの人名や年号を暗記すればいいか後で教えてあげようと、歴史の教科書とノートを見比べた。ふへへ、同い年になったみてえ。


 つか、先輩ってこんな字書くんだ。一個一個が大きめでいて、ごちゃつかず見やすい。


「漢字、達筆っスね」

「よく使うから」


 またひとつ、先輩について知れた。もし「丈士先輩」って科目があったら、オレ頑張って一億点取るのにな。




 火曜。英語のプリント(すがすがしいほど真っ白)に模範解答を書き写すのを見張る。


「ヤベ。シャー芯なくなった」

「オレのシャーペン使います?」

「ん。これ書きやすいわ」

「じゃ、来週まで貸したります。高校入試んとき使うたやつやけん、縁起ええっスよ」

「ふーん。……十分経った」

「うどんほっぺタイムどうぞ」


 先輩が昨日より集中できてたから、五分&五秒を十分&十秒セットに延ばした。順調だ。




 水曜。タブレットの練習問題を睨みながらうつらうつらしてる丈士先輩の目の下に、先輩の机から拝借した小瓶入り軟膏を塗る。


「ぐぁっ……」


 途端、先輩が聞いたことねえ声で呻いて、しゃきんと背を反らした。

 粟野先輩が帰り際に教えてくれた「秘密兵器」、効果すげえ。何だろこれ。虎のマークの――たいがーばーむ? ラベルには漢字がいっぱいだ。

 オレも自分の目の下に、半透明の軟膏を塗ってみる。


「うぎゃ!!!」


 あまりのスースーぶりに悶絶した。これ筋肉痛用じゃね!? 母ちゃんが腰痛のとき使ってた湿布みたいな匂いだ。いつも先輩からする匂いの正体がわかった。




 木曜。「三日も勉強したしいいじゃん」とイヤイヤ期モードで突っ伏す先輩の顔を、しゃがみ込んで見上げる。


「あと二日だけ、頑張りましょ」

「頑張ったらご褒美くれんの?」


 うどん肌ほっぺ以上のものをご所望らしい。

 翼や美羽なら、お菓子かおもちゃか。先輩はどうしたらやる気出るかな。


「オレが何でもお願い聞いたりますよ」

「何でも?」


 先輩が片眉を上げた。手応えありだ。


「ハイ、何でもです!」

「じゃあ『何でもお願い聞く』とか言うな。俺以外のヤツにはぜったい」


 先輩はのそりと起き上がって、プログラミングの穴埋め問題を解き始める。

 ん? なぜかオレが怒られた。先輩の思考回路、難解過ぎる。




 金曜は文字どおり先輩の背中を押して、図書室へ行ってみる。自習の合間に窓から海見れば気分転換になるかなって。


「ちょ、がいに体重掛けてくるやないスか」

「蒼空の気のせいだろ」


 三階の突き当たりに着く頃には息切れした。でも、ぜえはあ言うのも憚られる雰囲気だ。

 左半分が本棚、右半分が閲覧席。一人掛け席は三年生で占められてる。

 四人掛け席もだいたい先客がいるけど、人の行き来がある手前のテーブルが空いてる。それでも教室よりは静かだし、確保した。


 肩を並べて座り、ノートやプリントを広げる。

 周りに感化されて丈士先輩もマジメに……、静か過ぎて居眠りしてる!?

 隣の席を二度見する。教室より椅子が大きくて先輩の身長でも安定するのが裏目に出たな。


 ひみつの場所での昼寝でも思ったけど、寝顔がほんと綺麗だ。ずっと見てたくなる。

 でもオレは今、見張り役なので。役割を果たすべく、産毛の下の耳に唇を寄せる。


「センパイ、起きてつかさい」

「……あと三分」


 先輩はいつかの昼休みと違い、オレの肩口にすりすり頭を擦りつけてきた。

 ひええあ。丈士先輩って、寝ぼけると甘えたになんの!?

 不意打ちくらって叫ばなかったオレ、偉い。


 確かによく触ってくる人ではある。スキンシップ、好きなのかな。眠いせいか普段に増して体温が高い。


 驚きが落ち着くのと反比例して、お兄ちゃん魂がむくむくふくらむ。

 先輩の、見るだけだとわかりづらいけど触ると筋肉が発達してる背中を、規則正しく撫でてあげる。安らかな寝息が聞こえてきて、癒される。


 しばらくして、スピーカーから最終下校を促す音楽が流れ、はっとした。

 寝かしつけちゃだめなんだって! 

 ゆったり目覚めた先輩はオレの焦燥も知らず、満足げに伸びをする。


「気持ちかったわ」


 ああ、もう、あとは先輩が勉強でも本番に強いことを祈るほかない。




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