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第7話 速球派の難点

 グラウンド沿いの、葉桜の下。

 一組情報科・二組商業科・三組電子工業科問わず集まった一年女子の列に、オレも加わる。


 今週始めた「丈士先輩を知ろう大作戦」の①として、野球部の練習を見学するためだ。


 つか、毎日女子十人くらいが見学してるの、知らなかった。うちわ振って騒ぐのとか無断撮影は禁止って、ひと月のうちにルールができてる。


「次、ケースバッティングじゃ」


 練習メニューまで把握してる。気合入ってんな。


「……ケースバッティングって何や?」


 オレはたまたま隣になった、二組の杏奈あんなちゃんに小声で尋ねた。


「攻撃の練習じゃわ。状況に合わして、どっち方向に打つとか、どう走塁しょんしようとか、作戦練りよんの」

「へええ」


 じゃ、丈士先輩の打つとこ見られるかも。見学集団の知識量に追いつきたいのもあるし、真剣にグラウンドを見つめる。


 いきなり先輩の番だ。一球目を打って、走る。

 作戦どおりのヒットのようだ。一塁手役とグータッチして、一塁を離れる。


 オレに手ぇ振ったりはしてこない。体育の授業とは集中度合いが違う。先輩がいちばん好きで楽しいのは、やっぱり野球ってこと。

 集中した横顔もかっけえ……、ん?


「ボール投げるの、丈士センパイじゃのうて、まだ粟野センパイ?」

「打てな進まんじゃろ? ほんでこのメニューでは、内野手が投げることが多いよ」

「なるほど。めっちゃ助かる! ありがと!」

「そなん、これくらい、なんちゃ……」


 杏奈ちゃん、親切な上に、野球に詳しい。

 放課後になっても他の女子みたいに髪巻かないで、ふたつ結びのまんま。オレよりひと回り小柄なのに後列にいる。きっと部員が目当てじゃなく、純粋に野球が好きなんだ。


 ガッキン! と重い音がした。打球は外野側のネットに当たって落ちる。


「大西、ホームランじゃのうて犠牲フライでええぞぉ」

「すません」


 打席で恐縮する大西先輩をなごませようと、笑いが起こった。


「大西先輩は讃岐リトルシニア出身で、期待のスラッガーなんや。粟野先輩もそう。他の先輩たちは軟式野球部出身で、硬球を使うた練習は高校からなの」


 ふむふむ。オレは素直な生徒になって、杏奈ちゃんの解説に耳を傾ける。


「二人は硬式の経験者やけん、めっちゃ巧いんだ」


 納得したけど、杏奈ちゃんは「うーん」と腕を組んだ。その仕草、謎おじさんと被る。


「めっちゃ巧い選手は、高松とか大阪とかの強豪私立からスカウトくるんじゃわ……」


 んん? 二年生にしてエースの丈士先輩も、リトルシニア出身に決まってる。なのに、甲子園には大昔に出たきりの、田舎の県立高校にやってきた。

 巧い選手の逆コースじゃね? どういうことだよ。


「おーい。飲みもんちょうだい♪」


 オレのあんまりよくない頭がバグりそうになったところで、粟野先輩が見学集団に呼びかけてきた。

 みんな一斉に日陰から出る。オレも慌ててついてく。


 部員二十人ちょいがネットの切れ目に集まってる。水分補給休憩になったっぽい。


 野球部は意外にマネージャーがいない。代わりに、見学集団がウォータージャグにスポドリつくって、プラスチックコップに注いでは配ってる。

 何人かは、部員から預かってたタオルを渡してあげたりもしてる。おお……。


 甲斐甲斐しさに感心してたら、ぬっと影に覆われた。

 丈士先輩だ。寝る前に「明日野球部見学しますね!」ってLINEして、十分後に[ん]って返ってきたから、だめではないはず。でもピリッとしてる。


「お疲れ様、っス」


 上目遣いに窺うと、無言で右手を差し出された。手当て? じゃないか。握手? オレも右手で迎える。先輩の手、相変わらず大きくて、熱い。


「……。飲んでいいん?」

「あああかん! オレはうどんやないですっ」


 指を吸われかけて、小さく跳び上がった。

 見学集団のボスにコップもらってスポドリを注ぎ、献上する。うおお、震えんなオレの手。


 丈士先輩は通常運転でスポドリを呷った。その口角がやっとちょっと上がってるのを見て、ほっとする。

 いっぱい見て勉強してえし、それでオレも野球めっちゃ好きになれたら最高だからな。


 先輩は「あんがと」と言って、グラウンドの真ん中に戻っていく。

 オレはひそかに先輩の喉仏の動きの余韻を味わっていた。ら、


「チアボーイくん、練習も応援してくれんのー?」


 粟野先輩に話し掛けられる。

 やっぱり目線の高さ、オレと変わらねえ。それでも猫毛をふわっと長めにした(うちの野球部は坊主じゃなくてもいい)のが似合ってて、女子に人気だ。弟子入りすべきか?


「粟野センパイ、ショートって呼ばれとるの、あだ名っスか」

「あ? コ○すぞ。ポジションじゃわい」


 ヤンキーばりに凄まれる。弟子入りどころか地雷踏んじまった。秒で人当たりのいい笑顔に戻るのが逆に怖え。


「スミマセンっした……!」

「わかりゃええよー。チアボーイくんがおると、丈士の機嫌ようて助かるし」


 あれで機嫌いいんだ。半年間チームメートとして過ごした粟野先輩には、まだまだ観察力が及ばない。

 オレも機嫌よしサインを探そうと、丈士先輩に目を向ける。

 それを勘違いしたのか、粟野先輩がこそっと耳打ちしてきた。


「で、丈士とどこまで進みよんの?」

「どっ、ええ!? すすすみま?」

「あはは、おっけー了解」


 進むもなにも、始まってませんが? 了解って?

 ひっひっふー、じゃない、すううはああ、と深呼吸した。落ち着けオレ。やましいことはない。むしろ丈士先輩について知るチャンスじゃねえか。


「あの人、今は彼女おらんってことスか」


 探りを入れる。途端、粟野先輩が思わせぶりに笑った。


「ほーか。一年は去年の修羅場知らんのや」


 何それ気になる。目で続きをねだる。

 粟野先輩にちょいちょいと手招きされ、頭を寄せた。


「丈士の転入で、女子マネがめちゃ増えてな。うちは鬼監督がおるでもないし、最大で各部員にマンツーマンでつけるくらいになった」


 二十人もか。一学年の女子の半分だ。あんなイケメンが転校してきたら、そりゃそうなるよな。


「マネは全員丈士狙いで、順番に告って、順番に付き合うてったんやけど」

「ハイ!?」


 オレはあんぐり口を開けた。

 丈士先輩、手が早い速球派ってか? 知りたくなかった。

 いや、現実はきちんと知ったほうがいい……。神妙に聞く。


「全員すーぐ別れてさ。今カノ元カノ入り乱れて部の空気凍るじゃろ、んで耐えきれんで一人ずつ辞めてくじゃろ、んで女子マネも丈士のカノジョも消滅したってわけや」


 別れるのも速えのかよ! それはそれで複雑なんですけど。

 だから二・三年生は練習見学してないんだ。ダンス部の先輩、オレを生贄でチアにした説。見学集団をマネとして入部させないのも、新たな修羅場を生まないためとみた。


 女子の先輩たちは、丈士先輩のイケメンっぷりに沸いても、恋はしない。アイドルとファンって形に落ち着いたんだな。

 今のオレは、そんな先輩たちとは違う。

 丈士先輩は誰のものにもならないって突きつけられて、けっこう打ちのめされてるし……。


 放置してかぴかぴになったうどんみたいに、元気が出ない。

 粟野先輩は責任を感じたらしく、オレの背中をさすってくれる。


「チアボーイくんのために補足しとくと、丈士としちゃ、」

「集合!」


 山田部長、空気読んでくれ! って、練習邪魔してんのこっちか。


「ま、本人に聞きな~」


 粟野先輩は爆弾発言するだけして、駆けていっちまう。

 どでかい溜め息を吐いたオレは、休憩後半、丈士先輩がどこ見てたかも知らずにいた。





 次の休憩は、空がみかん色がかってからだ。

 「日高、コップ洗う手際ええなぁ」って打ち解けた見学集団は、これを区切りに帰宅する子がほとんどみたい。


「蒼空くんは帰り、山方面じゃわいなぁ?」

「うん。杏奈ちゃんも?」


 杏奈ちゃんが頷く。だったらオレもこの辺にしとこうかな。

 練習終わるまで見学してても、家の方向違う丈士先輩と一緒には帰れねえし。さっき聞いた衝撃の事実に対する気持ちを整理してえし……。


「蒼空」


 チャリの鍵を取り出すと同時に、丈士先輩に呼ばれた。

 先輩はもくもくと投球練習してたせいで、汗ばんでる。夕陽に照らされてるのも相まって、何だかいけない雰囲気だ。


「帰るな」

「へ?」


 引き留められた? 予想外で、オレは小さく口を開けたままになる。


「そいつらと帰るな」


 先輩が早口で繰り返す。

 そいつらって、杏奈ちゃんたち? 女子と仲良くするなってご命令で?


「ひとのこと言えんじゃろ」


 オレはふん、とそっぽを向いた。なんかちょっとむかついた。

 丈士先輩はオレの気も知らず、ネットに指引っ掛けて食い下がってくる。


「なんだよその顔。粟野に何吹き込まれたん」

「事実を聞いただけです」

「そうそう事実を言うただけ。女子マネ事件のな。チアボーイくん、おれに推し変する?」


 グラウンドの土を均すやつを担いだ粟野先輩が、通りがかりに言う。丈士先輩に睨まれ、ささっと逃げていった。ふてぶてしい猫って感じ。

 丈士先輩は、苦々しげに耳上を掻く。


「……断んなかっただけだから」


 言い訳ときたか。まあ聞いてあげましょう。


「野球最優先なの変えないでたら、別れたことになってんし。てか、付き合った覚えない子もいたし」


 待ってください? まさか、告られたの忘れたときもあったって言ってます?

 実質、彼氏彼女らしいことはしてない、と。それも酷くね? 彼女のほうは丈士先輩を好きだったのに。

 なのに、オレ――じわじわ喜んじまってる。酷え男にはなりたくない。


「結局別れるなら、なんで断わらんスか」

「そりゃ、今度こそ手離さないって……」


 かろうじて正論をぶつけると、丈士先輩は掠れ声で答えた。

 よく聞き取れなくて、「ハイ?」と一歩前に出る。じっと先輩を見上げる。


「なんでもいいじゃん。とにかくまだ帰んなよ」


 でも先輩ははっとしたような、ばつの悪そうな顔で、話を終わらせた。一方的に言い置いて、キャッチャーの山田部長のもとに行ってしまう。


 はあ。オレは杏奈ちゃんに「ごめんね」って手を合わせ、ひとり葉桜の幹に凭れかかった。

 山田部長と話し込む丈士先輩を、ぼんやり見やる。


 先輩の新たな一面を知って、衝撃だったし、ちょっぴりがっかりもした。

 けど、ぜんぜん嫌いにはなってない。むしろ知れば知るほど好きになるような気がする。


 丈士先輩を知ろう大作戦、後戻りできなくて危険かも……?





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