「大した薬ではないから、すぐ回復します。そんな目で睨まないでください。お嬢さんに危害を加えるつもりはありません。誓ってもいいです」
大した薬ではないのが分かる。
けど、その薬を使った時点で、彼はもう「善良の類」と無縁だ。
客室に戻ると、彼は私を椅子に座らせて、グラスにお水を入れて私に渡した。
「……」
グラスの中身を少し観察してから、一口を飲んだ。
「それでは、さっきの行動を説明してくれませんか?」
体の麻痺がだんだん消えていくのを感じ、心を落ち着かせた。
「いい度胸ですね、お嬢さん」
彼は軽く笑った。
「僕の目は間違っていないようです」
「なんのことですか?」
きれいな顔に不可解な微笑みを浮べながら、彼は私に近づいてくる。
ひそかに肘掛を握った。
彼は手袋を抜いて、素手で私の右手を取った。
手袋の匂いのせいか、また一瞬のめまいがした。
「惚けないでください。貴女は『どれ』ですか?」
「……なにが『どれ』?」
「今晩、この船に訪れた面白いお客さんはたくさんいるでしょ?」
「あの十七か十八人の犯罪者のこと?」
「そうです。あなたはその中の一人ですね」
「あんなデタラメな話、信じるものではありません。それに、まるで私が犯罪者のような言い方をしたのですね。淑女に失礼と思いませんか」
「淑女、ですか」
青年は優雅な仕草で小さく噴き出した。
意味が分からないが……その妙な態度に気に入らない。
「まあ、本当のことを教えてくれれば、一応淑女でいらっしゃることを認めてあげますよ」
明らかに馬鹿にされた。
「初対面の淑女になんて失礼なことを……」
「これは賢明な判断です。お嬢さんはあの名簿を聞いた時、眉ひとつも動かなかったのではありませんか」
賢明は自分で言うことなの?
「何を言っているのですか?具合があんなに悪くなったのに、あなたも見たでしょう」
「あれは外の状況を確認するための演技です。僕の目にごまかせません」
頭に来た。
「私は忙しいです。暇つぶしの相手が欲しいなら、他の人にしてください」
足に力が入ったのを感じた。さっそく立ち上がって、扉に向かった。
「もう行くのですか?」
「名誉棄損への訴訟を検討しておきます」
「――フン、なかなか興味深いお嬢さんだ。女子は強いほうがいい。予想以上の強さはなおさらだ」
!!
突然に、彼の口調が変わった。
驚きで足が止まった一瞬、彼が真正面に回して私の顎を掴んだ。
その一瞬、ズキンと何かが頭に刺さった感じがした。
「気に入るよ」
低い声とともに、羽のような柔らかい触感が頬に落ちた。
!!!
その頭痛がしなかったら、彼の頸を斬るところだった……
「……罪状を、もう一つ増やしてやろか。このセクハラ野郎……」
拳を飛ばす衝動が胸に刺さる。
けど、理性でその衝動を必死に抑えた。
怒りで口調だけが変わった。
なのに、彼は私の暗い表情を見ていないように微笑で続けた。
「ただの挨拶です。気に障りましたらお詫びいたします。とにかく、座って僕の話を聞いてみたらどうですか。悪い話ではないと思いますよ」
……行動のスピードといい、顔の変化といい、こいつはただの無礼者ではない。
それに、その悪質な性格から推測すれば、要求を断った人に対して大した報復をしなくても、一つや二つのツヤバナシをでっち上げて、嫌がらせをするタイプだ。
うっかり痛目をつけたら、逆に面倒なことになるかもしれない。
「僕の名はウィルフリード・ガブリエル、フランディールからのものです。ウィルでいい」
外見は確かにフランディール人の感じ。でも、その名前は本名とは限らない。
「本名ではない、と疑っていますか?」
「言ってないわ」
「そのガイアナイトのような青い目に疑いが映しています」
「自分の判断を勝手に人に押し付けるのはあんたの趣味なの?悪趣味と言われたことはない?」
名前はともかく、人柄は「最低」に違いない。
私の怒りが伝わったのか、彼はふざけた笑顔を収めた。
「これ以上ご機嫌を損なうことをしたくないから、本題に入りましょう。まずは、お名前、教えていただけませんか?」
「……フィルナ、フィルナ・モンド。出身は、ローランドです」
少し躊躇ったけど、本名で答えた。
「月か」
彼は私の名前に含まれた意味をつぶやいた。
「では、月のお嬢さん、どうして一人であの島に行かれたのですか?観光にはまだ寒いでしょう」
「療養に」
「嘘ですね」
あっさりと否定された。
「あの島の温泉は有名です。この船に乗っている人たちもほとんど療養帰り。私もその一人で何がおかしい?」
ウィルフリードは再び近づいてくる。
危険な気配はないが、少し警戒を高めた。
彼はほどの良い距離で私の頸の匂いを嗅いだ。
「硫黄の匂いより、カモミールの香がします」
……仕方がない、変な探りを止めさせるために、「適当」に「本当の理由」を話そう。
「……薬を探しに行った」
「なにか病気に悩んでいますか?」
「あんたと関係ない」
「いいえ、あります」
それはあんたが断言すること?
「これからお嬢さんは僕の『協力者』になりますから、お互いへの理解を深めるために、できるだけ詳しいことを聞かせてください」
「協力者?」
誰があんたみたいな不審者と理解を深める……
「お嬢さんは、
妙な言葉を言いながら、ウィルフリードはさらに私に迫った。
「クレセント、ムーン?新月のこと?」
「いいえ、稀世な宝物を狙い、貴族やコレクター、博物館を散々悩ませた盗賊です。けど、盗賊と言っても、礼儀正しいというかなんというか、盗んだものを返すという特別な習慣を持っているらしい。悪名の高さはトップクラスに入らないが、業界ではなかなか有名――貴女に一番似合う身分です」
「意味が分からないわ。なぜ私に盗賊の名が似合うの? 名前に月の意味がある人は全部盗賊だったら、この世の監獄はいくらあっても足りないじゃない」
「だとしたら話が早い。ちょうどそのような協力者が必要です」
私の反論を無視し、ウィルフリードはまた自分勝手に話を続けた。
そして、悠然とした顔が一変し、真剣そうに私の目を見つめる。
「オレはこの船の乗客が持っているとある『宝物』に目をつけた。手伝って欲しい」
盗賊はそっちのほうでしょう!
本当に呆れた。
盗みときたら、余計に真剣になっている。
やはり本業でやっているでしょう……
「貴女にもメリットがある」
「なんのメリット?」
「と、思っているが、それは何なのかオレにも分からない」
……馬鹿にしているの?
「貴女のことをしばらく観察してもらった。オレと同じ何かを探しているようだ。共に行動すれば、少なくとも情報収集の面でお互いに役に立つだろう。気が向いたら、オレは貴女のことを手伝ってあげるかもしれない」
何を観察してその結論を得たのか分からない……でも、その通り。
私も探し物をしている。
先日、サン・サイド島に着いてまもなく、「そのもの」の持ち主はこの船に乗って島を離れることを知った。
やむを得ず計画を変更し、急いで復路チケットの手配をした。
でも、情報収集の時間がなかった。
彼の助けなどはいらないが、情報収集が便利になれば一緒に行動するのも考えなくもない。
「相手」は理不尽で妄想好きな悪質盗賊だけど、私にはチャンスが必要だ。