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第14話 新たな家族

 敬忠はゆっくりと目を覚ます。すでに明るい頃合い。昨日の出来事の衝撃が強かったせいか。また晩酌を珍しくしなかったせいか。あれほどうまい夕餉を摂ると、酒の入る余地もなくなる気がした。障子を開け伸びをする。何やら、いい匂いがする。足はおのずから厨房へと向かう。そこには見知ったばかりの顔―――瞬の姿があった。結構広い厨房をちょこちょこと走り回る瞬。そんな瞬は敬忠に気づかずに朝餉の準備に奔走する。それを両手を組み眺める敬忠。

「あ、殿様。おはようございます!」

 ようやく、敬忠の所在に気づき、深々と礼をする瞬。手にはその身に合わない長い竹筒を携えて。うん、と敬忠は頷く。

「食事は、瞬殿も私と同じものを。遠慮はしないでください」

 ちょっとの沈黙ののちに瞬ははい!、と大きな返事を返す。年相応の満面の笑みで―――


「いただきます!」

 ほぼ同時に上がる朝餉の挨拶。あえて向かい合い、膳を囲む。

 汁物、そして菜の物。さらには納豆と何やら粉物が小皿に添えられていた。

 まずは汁物を手にする敬忠。実は野菜の端であるが―――口に含むとこれ以上はない風味、”旨味”が後を追いかける。思わず汁をご飯にかけたくなる誘惑を断ち切る。まだまだ食事は始まったばかりである。

 納豆をそっとご飯にかける。久しぶりの感覚。令和の世では当然の食べ方であるが、江戸ではもっぱら納豆汁の具としての使用が普通であった。このような食べ方をするといやな顔をされることがあり、慎んでいたのだが―――目の前の瞬は”それでいいのですよ”と言わんばかりに首を縦に振る。

「合わせて、そのふりかけをおかけください」

 小皿の上の黄色い粉。言われるままにその粉を納豆の上にかける。

 久しぶりの納豆飯に心が躍る敬忠。行儀は悪いが、一気に箸で掻っ込む。

「.....?!」

 米の感覚。部屋の暗さから気づかなかったのだが、この味は明らかに玄米のそれである。駿河であればいざ知らず、江戸で好んで玄米を食べる酔狂なものはいない。米が主食以上の存在である以上、白米を食べるのが唯一の贅沢というべきものであった。しかし、しかしだ―――

 普段食べている玄米の強い雑味が納豆の風味と、黄色い粉の淡白な味わいに中和されむしろその旨味を引き出されているように感じられた。

「卵でございます。木戸番から外に出ることはできませんでしたので、携帯していた黄身を乾燥させた―――まあ”のりたま”のような代用食でありますが」

 すまなそうに瞬はそう告げる。

「厨房を探らせていただきました。その際に玄米の備えが」

 敬忠は思いたる。白米以外にもそのような備えがあったことを。

「江戸患い―――ご存知ですね。白米ばかり食べるとビタミンバランスが悪化し、脚気になってしまう。公方様すらその死因になる病気です。殿様にはそのような病気にかかっていただきたくない。わたしはもう―――行くところがないのです」

 悲しそうな声でそう訴えかける瞬。

 江戸患い―――明治までそれは解決することのなかった脚気の問題。原因はビタミンを欠いた白米を大量に摂ることで起こる病気である。玄米に含まれていたビタミンを白米は切り捨てている。

 そっと、敬忠は瞬の頭に手を置く。

「わが身を案じてくれてありがとう」

 そしてこう、告げる。

「殿様ではなく―――そうだな、せめて敬忠さまと呼んではくれまいか。そなたを家族として迎えたい。いかがであろうか......?」

 驚いた様子の瞬。ほどなくして彼女の頬に涙が伝う。そしてぎゅっと敬忠の手をぎゅっと握りしめる。

 江戸新居の二日目の朝は―――新しい家族が増えた朝となった―――

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