「ミレーニア。懐かしいな、ナナシ」
セレンの心臓の鼓動が、二人の静寂を叩く。
その拍子はとても速い。
役人は一度、大きく息を吸って呼吸を整えると、過去の記憶を語り始める。
「私はミレーニアの事を良く理解し、認めていた。心に一本、芯の通った生き方の、しっかりした女だった。うだつの上がらない息子には、これぐらい気持ちが強い女の方が良いと思ってな、私の紹介だったからかミレーニアは息子の元へ来てくれたよ。良く出来た義娘だった」
セレンは余りに突然の、役人による衝撃的な告白に、頭の整理が追いつかない。
「お前が生まれた時、私を含め一族の皆がお前の事を怖れた。ミレーニアを除いてな。ナナシと関わりが深かったミレーニアは、以前から、一族の掟に疑問を持っていた。確かに長年一緒に仕事をしていれば良く分かる。ナナシと言われる者達は真面目で、実際は良い者達ばかりだった。お前もそうであるように」
そうセレンに語る役人の表情はとても優しく、何処か誇らしげだった。
「父娘として接する内、私もミレーニアと同じ考え方をする様になっていった。とは言え長く続いた掟だ、我々には何も変えられなかった……」
役人は俯き、目を閉じて続ける。
「お前が生まれて五年が経ち、遂にお前を森へ送るとなった時、ミレーニアは、お前に付いていくと言い出した。私は夫婦に、ならば国を出て何処かで三人で暮らせと言った。母親一人では難しいかもしれないが、夫婦二人で支え合えば、他所でもどうにかやっていけるだろうと思った。ミレーニアはそれに賛同していた」
役人は少し会話を止め、眉間にシワを寄せて、椅子の肘掛けを強く握り締めた。
「だがある日、息子がミレーニアと別れたと言って来た。自分は国を離れる気はない、外の世界で生きて家族を養う自信がない、お前を森へ置いて行くと言って、ミレーニアと揉めた末の話だったそうだ。後日、私はミレーニアを尋ねたが、その時には既にミレーニアの覚悟は決まっていた。森にはナナシの友人がいるし、町には私がいるから、仕事の方も心配ないだろうと」
淡々とした役人の話を聞いている内に、段々とセレンは理解し始める。
「ミレーニアは、身体に不調をきたした頃から、自分の身に何かあれば、お前の事を見守ってくれと、私に頼んでいた。しかし、私はずっと罪の意識から、その後ろめたさから、お前に関係を打ち明けられなかった。お前の父親がしたことを考えればな……」
役人はセレンの両手に、自らの手を優しく被せ強く握りしめた。
「先日、お前が森の入口で倒れているのを見た時、やっと私も決心したのだ。お前を失う訳にはいかない、これからはちゃんと寄り添い合って行こうと、ナナシ、今日まで済まなかったな」
役人は真っすぐにセレンを見つめる。
「私はお前の祖父だ、名をフォルンという。お前の最後の家族だ」
セレンの瞳孔が開く。
「あなたが、僕のおじいちゃん」
フォルンの手の甲に、セレンの温かい大粒の涙がボタボタと落ちた。
「フォルンおじいちゃん、ありがとう。嬉しいよ。僕、フォルンを家族として認めるよ」
フォルンはセレンを柔らかく包むように抱きしめる。
「ナナシよ。とにかく今は休みなさい」
セレンはその後、フォルンの胸の中で泣き続けた。
セレンは遂に、本物の家族を手に入れた。
今迄、何の後ろ盾も無かったセレンに、心強い味方が出来たのだ。
セレンはフォルンの助言を受け入れ、一晩しっかりと眠り、精神の落ち着きを取り戻していた。
そもそも、冷静になって考えれば、ガウェインやアクロの居場所が分からないのだから、今すぐには出来る事など無い。
だが、セレンに一つの考えが浮かぶ。
「フォルンに、聞いて欲しい話があるんだ」
セレンはアクロと出会ってからの暮らしと出来事をフォルンに全て打ち明ける
「セレンか、良い名前だ。そうか、お前の事をそんなに大切に想ってくれる女性が」
フォルンは当初、絶対にセレンに危険な事はさせないつもりでいた。
だがセレンから、アクロと過ごした日々の話を聞いているうちに、フォルンもアクロに感謝の気持ちを抱くようになる。
「お前はアクロの事が本当に大切なんだな」
フォルンはもう一度、セレンの気持ちを確かめた。
「はい、止めても、無駄です……」
セレンの決意は変わらない。
「お前に危険な事をしては欲しくない。だが、どうやらお前の覚悟も本気のようだ」
本当にミレーニアに似て頑固だなと思い、フォルンは笑う。
「僕はガウェインの所へいかなければいけないんだ」
役人であるフォルンの登場はセレンにとって渡りに船となった。
「猫人国の役人であるフォルンになら、た獅子人のガウェインの居場所を調べられるんじゃないかな?」
セレンは先程思いついた考えを、フォルンに伝える。
「分かった。どのみちもうすぐ、お前も大人になるしな、協力しよう」
フォルンは腕を組んで目を閉じ、少し考えた後、徐ろに口を開き了承した。
その言葉を聞いて、セレンの表情が明るくなる。
「ただし! 今は体を休めなさい。そして私がガウェインの居場所を掴むまでは、決して勝手に動かない事を約束して貰う」
フォルンの説得は、とても理に適っていた。
「無闇に捜し回るより、多少の時間が掛かったとしても、それが一番確実だ。お前はその間、できる限りの準備をしなさい」
セレンは焦る気持ちを抑え、その提案に従うことにする。
「待っててね、アクロ……。待っていろ! ガウェイン!」
心の奥底で闘志を燃やしながら。