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第18話 夏が過ぎて秋が来ると何となく

 兎にも角にも叔母さんは自分が何十年かぶりに通った学校での手順とか知識を惜しみなく出してくれた。

 そして資料も。

 おそらくは、私へのヒントも。


「堤千代について書いてもいいかな、卒論」

「いいんじゃね? 何書いてもいいって言われたんだよな」


 学校からは。私はうなづいた。

 切り口は――― 判らない。

 ともかく叔母さんの蔵書を整理することから始めていた。彼女は何が何処にあるのか、あの膨大な量からあっさり見つけだすが、私にはそれはできない。とりあえず堤千代関係を箱詰めにすることから始めた。何せこの家、段ボール箱が山ほどあるのだ。


「通販ばかりだと溜まるんだよな……」


 彼女はぼやく。確かに。廃品回収が二ヶ月に一度あり、その時につぶして出している割には、ともかく減らない。というか、減らしても次がどんどん来てしまうのだ。たとえばアマゾンとか。


「月刊のマンガ雑誌くらい本屋で買えば?」

「……だって重いんだもの」


 そういう口調で言われても可愛くはない。



 そうこうするうちに季節は梅雨から本格的な夏になった。

 陽射しは強烈だ。ただ海に近い地方のせいか、風はよく入る。

 そして、エアコンが。


「無い」


 冬にも思ったが、夏はまたその恐ろしさがひとしおだ。


「風をできるだけ通すことで何とかなってきたんだけど、ここ十何年はもう気温そのものが上がってるからきついよね」

「……判ってて何で入れないの?」

「前も言ったと思うけど、気密性が無いの。この家。だから一台入れても大したことはできないし」

「それだけ?」


 ふう、と私は保冷剤を乗せたタオルを頭に巻いてため息をつく。一応冷風扇はある。

 だがそれは前面を冷やすと裏側が熱を持つので…… 果たしてどうなのか、と言われると。


「半分は意地」

「……そういうのはちと」

「っるさいなあ。もっと年くったら考えるよ」


 そう言いつつ、いつも以上に短くカットした頭にまろ水をぶっかけに行く。「問題は何処を冷やすか」らしい。で、私はは頭の上だの脇の下だのポイントとなる辺りに保冷剤を仕込まされている。

 彼女は、と言えばひたすら汗をかくことと、時々水をかぶりに行く。休みの日は。

 仕事の時はいいらしい。冷房が効いている。


「……それでも恐ろしい程汗かくけどね」


 自分が臭い、と思える程に大量の汗をかくそうだ。

 そう言えば。


「お祖父さんはこの家で平気だったの?」

「平気でいたから怖かったんだよな」


 彼女の表情が曇った。いや、腹立たしげと言うか。


「暑くても平気な気でいて、それを疑ってなかったんだよな、それで熱中症になっても平気な感じで。倒れる前年までそうだった」


 うわ、と私はうなった。


「実際のとこ、今のとこに入院先からそのまま移動させたのも、この家に未練残させないため。今はもう冷暖房完備だし、この町特有の昔なじみであれこれよくも悪くも健康とか心配してくる人もあまりいないし」

「それがいい方向なの?」

「人によるね」


 彼女は肩をすくめた。


「親父はうちの母親が亡くなってから、割と色々投げやり感が激しくてね。心臓で倒れた時も『もういい』的な発言しやがったから、私もかなり頭に来てね」

「怒ったの」

「怒ったね。どうしようって言うよりは、ともかく母親のこと思い出させる環境から引っ張り出そうと思った。だから手術した病院から、そのまま療養する病院へと移って、更にそこから今の施設に直接移して、殆どのものを買い直した。資金は母親が遺したからな。彼女もそもそもそういうために貯めたんだからいいだろ、と私は糸目つけなかったし」


 何よりも、と彼女は続けた。


「うちの町は、あちこちに花畑があってな。その一つを親父がボランティアで整備していたんだけど、そこからちょうど墓地が見えるわけだ」

「はれ」

「で、そこで作業していた時に熱中症で救急車呼ばれたこともあったり。ともかく気分のバランスが凄く悪かったんだ。墓地は母親の記憶呼び起こすし、自分の体調も、ある程度人任せの部分があったから、気づけない。自分の体に関しては気にしぃの私としては、苛立たしい限りでね。この環境自体がまずいと思ったよ。ともかくこの環境から引き離さないとあかん、と思った訳だ」

「でもさ」


 私は首を傾げた。


「叔母さんも同じことしてない?」

「……否定はしない」

「車乗らない辺りはお祖父さんより悪くない?」

「それも否定しない。頑固すぎるとも思う。だけど反面教師があったからさ、そこんとこはギリギリまで試したくなるんだよ。ただしあんたがギブアップしたくなったら言ってくれ。」


 了解、と私は答えた。そしてとりあえず梅シロップミルク割りを作りつつ、中身の梅を幾つか出してお茶うけにする。

 これがまたいい味になっている。青くて大きすぎない頃の梅が一番身が締まっていていい。完熟のものはとろけすぎているし、時にはアルコール臭も感じられる。発酵して酒になってしまった、と言ってしまえば終わりだが。瓶によってその発酵具合も違うのは不思議だ。


 そして時々外へ出て、草刈りをし、少し畑を広げたり、と作業もする。

 かぼちゃは凄い。適当に買ったスーパーの1/4サイズからとった種から、巨大な葉と長い蔓が育ちまくっている。

 サツマイモは、それなりだ。時々道で見るご町内の畑では、砂地で育てたり、畝の上に黒ビニルを貼ってあるのも。

 それに比べればうちのは単純だ。草を刈っては畝の横に置いて、草マルチ状態。

 あと、新しい鎌を買ったから、とそれまで放っておいた場所を開墾しだした。するとそこが日当たりが良く、私が来たばかりの頃の畑より育ちがいい。


「結局日当たりらしいよ」


 何やら友人の「理科の先生」と長電話した後、彼女はそう言った。


「まあ理屈ではそうだよな。カボチャもイモも、砂地で育つってことは、でかい葉の光合成頼りってことだもんな」

「でもさ、それじゃあの場所は使えないってこと?」

「まあそれはこんどの秋蒔きからの課題だね」

「課題か」

「そう。こういう課題は尽きないからいい。それにまあ、贅沢な悩みってことで」



 そんな風に半ば息も絶え絶えに、それでも何とかクーラー無しでも生きていけるのだなあ(ただし虫よけは必要だが)と思いつつ暮らしていたせいか、それなりに淡々と日々が過ぎていった。


「堤千代」


 久しぶりの電話で、担当教官はいぶかしげな声を立てた。


「だめですか?」


 卒論に。言外にそんな意味を含ませて、私は訊ねた。


「良いも悪いも…… 僕もその作家については殆ど知らないと言っていいからね」

「菊池寛には可愛がられたそうですよ」

「それは面白いな。僕も今度調べてみよう。で、その堤千代のどういう点を君はクローズアップしたい?」

「……えーと…… 少し、いまいち、整理がつきにくいんですが、いいですか?」


 正直、ここで担当教官に珍しく連絡を入れたのは、自分の方向性に何かしらの形を与えてもらえないか、という思いがあった。


「どうぞ」

「はい。あの、堤千代ってひとは、昭和二十年の主婦之友の四月号まで、小説を載せてたんです」

「昭和二十年。それは凄いね」

「内容は基本的に勝利を信じている人々の普通の日々の短編。それが四月号で、その前まで、一年以上、炭鉱の産業戦士の物語を連載してました」

「それ、面白いね。どういう話?」

「どういう…… っていうか、炭鉱があって、そこで事故があって、ヒロインの一人の弟が半人前だからと周囲の先輩をかばえたことに誇りを持つとか、で、亡くなってしまうとか、あと、昔ちょっと世話…… ってほどでないけど、向こうからしたら覚えているような温かいものがある、という朝鮮人青年とのやりとりとか…… 何か一口で言いにくいです」

「ざっと言える筋じゃないと」

「はい。それにこっちの話は、あんまり強く推し出したくなくて」

「それはまた何で?」

「これは資料提供してくれたうちの叔母の話なんですが、……文学研究で、戦争中だの、その間の朝鮮人の扱いだのは気をつけないとそこにばかり目が向けられてしまって本当に言いたいことから目が逸らされてしまう可能性があるから、今はよしとけ、ということでした」


 向こう側で少し間が空いた。


「……叔母さんはどういう人?」

「へ?」


 突然の問いかけに私は驚いた。


「そういうことに詳しいっていうか、古書好きというか……」


 正直どう説明していいかわからない。


「あ、修士出たとは言ってました。割と最近に」

「最近」

「辺鄙なところだから資料は自費で揃えまくったそうです。おかげで楽しく読ませてもらってます」

「それは良かった…… っていうか、主婦之友のバックナンバーなんか、よくそんな時代まで持ってるなと思ってね」

「そういう時代だからこそ見たかったようですよ。特に雑誌だから、情報が詰め込まれているって言ってました」


 そうか、と向こう側はそう答えた。


「で、四月号までそういう話を淡々と描いていた堤千代なんですが、十一月号にはもう傷痍兵として戻ってきた夫の思いつめた気持ちとか描いた短編が出てるんです」

「早いね。十一月号に載せるなら、終戦ですぐに依頼が来るんじゃないかな」

「だと、叔母も言ってました。ところが堤千代の凄いというか、不思議なところが、次の十二月号で、昔日本にいた少年が進駐軍の兵士としてやってきて、昔やさしくしてもらった日本人の小母さんに恩返しをするって話を書いてるんです」

「……何が不思議だと思うの?」

「同じ時期に書いてる石坂洋二郎とかは、『変な小説』とか、すぐには頭が切り替わらないような感じなんですね。だけどいきなり進駐軍兵士との心温まる話なんですよ。この感覚が、凄く不思議だと思ったんです」

「切り替えが早すぎる?」

「―――とも思ったんですが、もしかしたら違うのかも、と思って今、調べてるんですが」

「調べて」

「叔母は彼女について興味は持ってたようで、資料として、自伝小説の載っている昭和二十八年の主婦之友とか、古本ででしか出回っていない妹にあたる人の回顧録とか持っているんです。あとこの人の他の作品の載った単行本。……もちろん、資料が叔母頼みってのは何ですが、あるところにあるってのは、やっぱり」

「美味しすぎる環境だね。僕だって見に行きたいよ」

「ありがとうございます。だからその違和感がどこからくるのか、―――そう、違和感について、まとめて、書きたいんですが、……いいですか?」

「いいも何も」


 それを待っていたんじゃないかな、と担当教官は言った。

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