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第16話 戦前のミステリの区分け・梅シロップ噴出・「六の宮の姫君」

「事実やっていたんだから仕方ない」


 叔母さんは肩をすくめた。


「で、だ。当時『大衆小説』って名を出した場合、大概ちゃんばらの方を指した。で、実は結構このジャンルの研究はされてる。現在だって数は多い」

「そう言えば江戸川乱歩って、戦前からだったよね。あれはどういうジャンルに入るの? 絶対純文学ではないことは確かだけど」

「ああそっちに来たか」


 彼女の表情が緩む。


「今だったらミステリーだけど」


 私は付け加えた。


「うん、今だと謎解きも探偵も時代入ろうがミステリーって大きく括れるものだね。でも当時はそれをひっくるめて『探偵小説』って呼んだんだね。で、その中でも『本格』と『変格』があって、乱歩は後者」

「『変格』?」


 本格派推理小説、っていう感じのは聞いたことがある。だけど変格というのは初めて聞いた。


「本格でないもの。そうだね、木々高太郎あたりが始まりだったかな。その辺り私もおぼろげなんだけど。ともかく事件があって、推理があって、解決する話。探偵が出るかどうかは…… まあ、事件を解く役を探偵、と考えれば探偵でいいんだろうな」

「変格ってのは?」

「謎解きそのものが本格とすれば、そうでない部分に中心を置いたものとか、かな。異常心理とか、変態性とか、嘆美とかおどろおどろしいものとか。ともかく『本格でない謎もの』と思えばいい」


 でも、と叔母さんは付け加えた。


「探偵小説に関しては、その程度しか私がどうこう言えることは無いな」

「何で?」

「ミステリを後ろから読む人間に、語る資格は無いような気がするし。それにそもそも、探偵小説に関しては、それこそあちこちに研究家が居るからね。私ごときが口を出す筋合いじゃない」

「じゃ、家庭小説は出したいんだ」


 少し意地悪な口調になる。


「そうだね」


 叔母さんはにやりと笑った。


「人がやっていないことは面白いんだよ。発掘調査は楽しい。だけどそれ以上のことはさほど興味が出ないんだ。だから、修士で書いた作家のことは今は置いておくことにした。博論書いた人が他に数人居るなら、私がやる必要はない」

「でも」


 私は口ごもる。叔母さんは次の言葉を待っている様だった。


「卒論の教官は、あるものから選べ、って言ったんだよね」

「あるもの。幾つか作品を提示されて、それで選んだ、って感じ?」

「自分で本当にこれ、という作品が無かったなら、先生の選んだ中から一つ取れ、って感じだった。実際、学校の図書館で資料が揃ったし。『研究』しやすい作品だった、ということかもしれないんだけど」

「だけど?」

「面白くなかった。だから―――」


 たぶん、それを自分の作品として出したくなかったのだ。


「……あのさ」


 人差し指で頬を掻きながら、叔母さんは目を細めた。


「あんたは好きな作品っていうと、そもそもどういうジャンルなんだ?」

「叔母さんのマンガは結構漁ってるよ。それからノベルスも。作者買いでしょ」

「はいはい。私は文章に惚れるタイプなんでね。一人の作家が性分に合うと思ったら、一通り揃えるんだよ。北村薫は呼んだかい?」

「ミステリの人でしょ。まだ読んでない」

「じゃ一度読むといい。私は基本的にミステリそのものはさほど興味が無いんだよ。ただこの人に関しては、『六の宮の姫君』が気になって読んだらはまったんだ。あれは文学研究って奴をやるひとは一度読めばいい――― というか読むべきだ、くらいにと思ってる」


 そこまで言うか、と私は思った。



 日が経つに連れて、梅の実はどんどんふくれて、完熟した時には青梅より一回り大きくなっていた。

 叔母さんが木に登って軽く揺さぶると、ネットの上に実はごろごろと落ちてきた。私はそれを用意した篭に入れて行く。

 実をとりあえず置いた玄関には甘い香りが充満する。

 彼女は用意していた瓶にここぞとばかりに完熟の実と砂糖を詰めだした。


「さてここで怖いのは」

「怖いのは?」

「あふれ出すんだよな…… あまり欲張って詰めると」


 過去何度か経験したのだという。

 そして今年もまた。


「うわ」


 大きな瓶の一つが、蓋を開けた途端泡が盛り上がって噴き出した。


「お玉ちょうだい。それとでかいコップ」


 私は慌てて目についたそれを彼女に渡した。

 彼女は実を幾つか含めて、シロップをお玉ですくい取り、だいたい半リットルくらい移した。


「まあこのくらいにしておけば、泡が立っても大丈夫でしょ」

「……で、これは?」


 出したシロップを私は示す。これはだなあ、と言いながら彼女は普段の朝に使うマグカップを出す。その中にシロップを入れる様に私に言った。


「お玉一杯分だから…… よしっ」


 私はそこで手を止めた。50ミリリットル強。というところか。


「で、これに牛乳を入れる」


 冷蔵庫から出してくることを無言で要求する。はい、と手渡す。


「入れます」


 パックを傾け、かなり高くから注ぐ。何か、泡だっている様な気がする。

 用意されたカップは二つ。一つはそのま牛乳だけで、もう一つは半分水で薄めたもの。


「味見してみ」


 まずは牛乳だけのもの、と渡される。口を付ける。


「……ヨーグルト?」


 どろりと濃い。ねっとり甘い。そして―――酸っぱく、ほんの少しだけ、苦い。梅の香り。


「はいじゃこっち」


 もう一つも手渡される。


「あーこっちはドリンクって感じ」

「だぁね」


 何でも梅に含まれているクエン酸が牛乳を凝固させるのだという。


「カッテージチーズと理屈は一緒さ」


 そういう彼女は、カッテージチーズも時々作るのだが。牛乳と米酢で。他の酢も試したが、一番自分になじみ深いチーズの味に近かったのが米酢だったのだという。


「長持ちさせたかったら、このシロップにも酢を入れた方がいいんだがね。まあそれでも砂糖をたんと使っているから結構持つけど」

「泡は?」

「だからこれが天然酵母の理屈だってば」


 あー、と私は早春に言われたことを思い出した。


「でもこれだけ泡が出ても、実はあまりパンは膨らまないんだからな」

「そうなの?」

「やってみるか?」


 魅力はあった。だが。


「やめとく」

「いいのか?」

「今のパンで調子いいから、そのままやってみたい」


 そっか、と叔母さんは言った。


「しかし正直、何でこれで調子が良くなるのかは未だに分からないんだよな」

「そう?」

「クエン酸がいいのか、と思ったけど、クエン酸単品に牛乳と砂糖、という組み合わせはまあ美味しかった…… けど、別に体調に変化は無かった。梅ジャムはいい感じだった。だけど市販の100パーセント梅シロップでは特に効果が無かったし、大体高い」


 値段を聞いてびっくりした。

 現在この家にあるのは10数本の果実酒ぴん。―――にそれぞれ砂糖1キロ以上。梅がシワシワにならないけど液体が一杯になる様だったら、あとで砂糖を足す。すると水分が出てくる。

 で、一年近く保たせたい、とのこと。

 保つような気が、さすがにする。


「そう言えば『六の宮』読んだよ」

「ほぉ。どうだった?」

「面白かった」

「具体的に」


 うー、と私は数秒うめいた。


「確かに謎解きだな、ということかな。それと、こういうやり方もあるのか、という感じ」

「何が」

「研究に決まってるじゃん」


 そういう意図で読ませたのだろう、とも思う。元々私は書けなくて来たのだから。

 叔母さんは何だかんだ言って、微妙なヒントはくれる。微妙すぎて何だけど。


「あの話の中では、問題を主人公がひょんなことからもらって、あるポイントで名探偵役の円紫さんに誘導されるんだよね」

「そう。あとがきは読んだ?」

「うん。研究の一つだったみたいなことがあった」

「だね。私もあれで『あーこういう感じでいいんだ』って思ったよ。だからこの問題提起方法は、修士過程やってる時に活用させてもらった」

「たとえば?」

「通ってた時にさ、私基本一人だった訳だ。だから学部のゼミの方にもお邪魔させてもらってたんだよ。で、自分も発表に参加した」

「へえ」

「で、お題は森鴎外の『雁』だった」

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