「で、まあこんな検閲ばりばりの時代に、ほとんど休むことなく書き続けていた女性作家が居た訳」
私は叔母さんが修論で書いた人なのか、と聞いた。違う、と彼女は答えた。
「私が書いたのは、ちょうどその時期の執筆を休んでいた…… と、いうことに割と言われている」
「言われている」
「そう、評伝ではよく『休んでいた』みたいな書き方がされているんだね」
叔母さんの修論の作家は戦前、女性の、たぶん初の専門の大衆小説作家なんだという。
「その中でも家庭小説、まあようするにメロドラマ。婦人雑誌、女性雑誌、少女雑誌中心に書いてたことで一段低く見られて、新聞や一般誌に書くことがあっても、その評価はあまり変わっていないっていう」
「何で家庭小説だと低いの?」
「さて。そもそも私には純文学と大衆文学の上下も判らない。というか理解したくないっていう方が正しいかな。ランクづけするものじゃないと思う。単に読者層が違って、作り方が違って、求めるものが違うだけじゃないかってな。たとえば、古典の源氏や枕。あれだって、当時の宮廷の女性のものだった訳だし、それも楽しみのためだと思うけどな。今でこそ、最古の長編とか最初の女性の随筆とか言われてても、当時の読み手達は単純に喜んでいただけかもしれない。実際、源氏の出た後に書かれた源氏フォロワーっていう感じの作品って多いんだし。狭衣は無名草子では源氏と並べられていたな。でもどう見てもあの話は主人公ノイローゼだし」
「もとい!」
話が飛んで行く。戻そう。
「ああごめんごめん。ええと何処まで話したっけ」
「家庭小説は一段低いってこと」
「うん」
叔母さんは本棚から幾つかの種類の雑誌を取りだした。
「その作家さんが書いてたのが、基本的には『主婦之友』。時々『婦人倶楽部』や『婦女界』『新女苑』『婦人公論』にも書いてたね」
ほら、とその全部の同時期のものを広げる。
「個人的には同じ値段だったら、『主婦之友』を買いたいね。内容が濃いし、これでもかとばかりに記事を詰め込んでる」
比べてみる。「婦人倶楽部」は体裁は近いが、小説が最初のページだけ文字が大きかったり、芸能面が多かったり、家庭よりややエンタメに走っている。「婦女界は更にその傾向がある。「新女苑」は、文芸に偏りがあり、「婦人公論」は堅苦しい印象があった。
「『主婦之友』には、その作家さんは昭和二年…… かな。長編を送りつけて、デビューとあいなった訳だ。作品に社長の石川武美氏が感動して…… ってエピがあるけど、私はこれは石川さんが熱心なクリスチャンだったってことが大きいと思う」
「社長が」
「この人自身の本で『我が愛する生活』『我が愛する仕事』というものも読んだことあるけど、何というか、実に真っ直ぐでね。生活と仕事を愛して暮らせば人間は幸せって感じ…… だったな。読んだ時はそう思った。で、この時の小説が、聖母マリアを信じる女性が馬鹿な男に惚れてるんだけど、結婚前に体を求められたら突き放してしまって。大学生の一夏の青春で童貞切ったら、汚らわしい!ってやってしまうような女性だね。で、三姉妹なんだけど」
「三姉妹」
「結構これってよくドラマでも使われるよな。彼女はこの三人の仲良し女性ってのをよく使った。というか、彼女が発端じゃないか、と思うこともある」
「そう言えば何年か前の朝ドラ」
「見てたんかい」
「母さんが見てたの。夜の再放送」
「あー」
あはは、と叔母さんは笑った。
「一番最近の三姉妹の出た奴、あれは困ったね」
「困ったの? 何かうちの母さんは春夏の奴はヒロインが先走って空回りするのが多くてつまらないって言ってたな」
「まあ確かに近年の戦前ものはリアリティもへったくれもない奴増えたからな」
嘆息する。
「私もここ何年か、明治大正昭和初期もの見るたびに悪態ついていたな。もう少し時代考証きちんと調べろよ、と言いたくなったし。でも見る側がそれを知らない限り『そんなものかな』で終わりかねないんだよな」
彼女は肩を落とした。
「本当にそう。知られないってのはそのまま忘れられてしまうってことなんだよな。それがやっぱり狭間の時代の女性エンタメ作家だったりする訳だ。名前は堤千代」
「つつみちよ」
何となくリピートする。確かに聞いたことはない。
「昭和15年の直木賞をもらってるから、さっき言った売れた女性エンタメ第一号の人より、文壇寄りだったはずなんだよな。ちなみにこの人、直木賞は二度目の候補で取れた訳。前年も作品の評判は良かったんだよ。『小指』って短編」
「『小指』」
「花柳界の女性の語りという形なんだけどね」
そう言うと、本棚からそのタイトルの一冊を持ち出した。
「昭和15年10月初版。私が持ってるのは16年の3月発行なんだけど、これが38版」
「!」
「この時序文を小島政二郎という人気大衆作家が書いてるんだけど、そこでこう言ってるわけだ」
曰く。
***
……実は―――この喜びの機会に、デリケートな真相を打ち明けると、芥川賞も直木賞も、どんな傑作を書いた人でも、前途のない人に授賞しないと云ふ立て前なのだ。ところが「小指」の作者は重病で幼い頃から寝たきりの人だと云ふ。委員会は、そこに一抹の不安を感じたのだ。……
***
「え、そういうもんなの?」
芥川賞と直木賞に関しては、一応聞いてはいただが、純文学とそうでないものという分け方以上のことはピンと来ていなかった。
「少なくともその時代の認識はそう。そもそもが発起人の菊池寛が亡き友人の名を使って新人の振興に、という目的で始めたんだから。ちなみにこの堤さんは菊池寛の秘蔵っ子みたいなものでもあったんだ」
「というと?」
「今この人が重病人って言ったよね」
「うん」
そう言えばそうだった。
「生まれつきの心臓弁膜症で、小学校にも一日しか通ったことが無い。全部家で本を読んで学んだ訳」
へえ、と私は感心した。
「起きあがって長い時間書くことができないから、うつぶせで一字一字綴っていたらしい。当初は『赤い鳥』に投稿していたけど、そのあと『オール讀物』に投稿した訳」
「あ、『オール讀物』って直木賞の」
「そう。まあこの人の話は全部フィクションだから、純文学とは当時絶対に認められなかったよな。さっきの小島さんこうも言ってる」
***
……芥川賞の委員が、この作には嘘があると云ふのは分るが、―――芸術小説家の目から見れば、大衆小説は嘘の塊みたいなものだ―――直木賞の委員達までが、この小説を「小島好み」だなどと云って退けるのはどうかしている。
「小指」は、私好みの作品でなんか断じてない。好みとか好みでないとかを超越して、大衆小説のチピカルな傑作である。第一に面白い。筋の運びに、どこにもタルミがない……
***
「この時代、ともかく『小説』の中で、『芸術小説』って言ってる、まあ芥川賞的が、普通に『キング』だの『主婦之友』に載ってる大衆小説を見下しているような状態だったわけだ」
今では考えられないくらいの酷さ、と叔母さんは付け足した。
「でもどっちが読まれていたか、稼いでたかと言えば――― どっちだと思う?」
私は首を傾げた。つまりは芥川賞的なものという位だから、今現在残っている「純文学」達だろう。けど叔母さんはそういう答えをきっと求めていない。
「残っているのは――― でも、そう聞くくらいだから、大衆小説?」
「うん。格段に違う。私が最初調べていた吉屋信子という女流大衆の専門作家は、戦前だけでまずパートナーと一年洋行して、家を二回建てて、別荘も建ててたな。戦後には馬主にもなってる。無茶苦茶」
「……って、凄くない?」
「凄いよ。だからもの凄く周囲から、特に批評家達からは叩かれたり、いや違うな、基本的に無視されてた。彼女が『改造』に書いたりできたのは、従軍作家やったりしたあとだし、もうその頃にはただの作家、という時には名士という感じだったしね。酷い時は一月に連載四本とか抱えてたりしたから、胃腸を壊してたようだけど。でもまあ、働きすぎて死んだ牧逸馬よりはそれでもいい訳だ」
「過労死があったの!」
「うん。三つのペンネームで、丹下左膳のような時代物と、めりけん・じゃっぷ物っていうアメリカ体験小説と、あとは犯罪実録小説を書いてた」
「めりけんじゃっぷはよくわからないけど、時代物でも犯罪でもないってことよね…… って言うかその三つって並行できるの?!」