毎日毎日梅を拾ったり漬け込んだりしていながら、時々叔母さんは考え込む。
「やっぱり駄目だな」
たわわに実った枝をぐいっと引く。するとぱきっと音を立てて折れる。
「やわになりすぎ。というかもう無理しすぎなんだよな。今年こそ枝を思いっきりはらわないと」
「伸びすぎちゃまずいんだっけ」
「梅は切っても伸びてくるから、毎年適当に切っておいた方がいいんだよ。だけどまあ、かなりの年月放っておいたからな…… 去年は結構絡みつきすぎる蔦とか取ったりしたけど、それ以上のことは様子を見てたんだが……」
目を細めてため息をつく。
「先端にだけ葉がついてて、それがこの長さだよ。いい加減疲れると思う」
「疲れる?」
「木が」
そう言いつつ、葉も出ていない枝を時々ばきばきと彼女は手で折る。
「こうやって手で折れる奴は折ってしまった方がいい。勝手に折れるまで待っても良かったけど…… 重すぎるよな」
やや自嘲気味だった。
「気にしだしたのが遅かったからな」
戻りながらそんな話をする。
レジ袋ががさがさと梅の実で鳴る。引っ張って取れる枝の範囲のものはもうあらかた取り尽くした。後は落ちてくるのを待つしかないらしい。
かなり大きくなった実はそれでもまだ青い。
「もう後は完熟を待つだけ」
そう彼女は言う。
「そうするとジャムが作れる」
「作れるんだ」
「うん。凄いいい香りだよ。ただしすぐに作らないと大変なことになるけど」
それは何となく予想がついた。この家に来てから、さんざん慣らされたこと。ある程度の汚れ、虫、カビ。
なければ無い方がいいんだろうけど、あっても死にはしない。そういう考えのもとに。
「それが凄くまずいのかな、と追い立てられる気分になったこともあったけどね」
想像がつかない。
だが叔母は、一月に一度メンタル系の医者通いをしている。もう十年以上になるらしい。県を越えて同じところに通っているとのこと。
「何で近場に行かなかったの?」
「まだあの頃は今ほどメンタル系が多くもポピュラーでも無かったからな」
本棚には関連書も結構並んでいる。新書が多いが、単行本も時々ある。
「新型うつ病」が目を引いたが、それ以外にも、摂食障害、アスペルガー、高機能自閉症、愛着障害、毒親、機能不全家族、統合失調症……
そのもののタイトルもあれば、開いてみるとその内容であることが判るものもある。開いてみると、これまた凄まじい量の線が引きまくってある。ドッグイヤーも多い。
「自分がそうじゃないか、って疑うとまず情報を集めてしまうんだよな。図書館で借りて終わった本もあったな。自閉症関連なんかはそうだった」
その中の幾つかをピックアップして居間で読んでいると、叔母さんは口を挟んできた。
「自閉症」
「ドナ・ウイリアムズだの、何だっけ、牛の締め付け機を開発した人だの、あとは何だっけ、オリバー・サックスだの…… 少なくともスペクトラムの中に自分が居るという認識はしているよ」
「とてもそうは思えないけど」
「見えないように、ではないけど、一応困った時の反応を学習しているからな」
学習、と叔母さんは言った。
「私がまずまず社会でやっているなら、それは見て聞いて、人の反応を見て学習しているからなんだよ。一人で暮らしているのも、それが一番大きいし。そう、あんた、私の話し方がおかしいと思う時あるよな」
「無いとは言わないけど」
「正直でよろしい。一方的にべらべら喋って、時々私があんたの反応なんか待っていないと思うことないか?」
「無くもないね」
「うん。たぶんそう。私は言うことで満足している。あんたの反応をどうでもいいと思うことが大半。だけど会話にならなくちゃ、と思う気持ちがあるから、会話にしようと意識してる。―――と、そう思ってしまう辺り」
「面倒だね」
「通常だよ。だから家族でもきつかったね。今が一番父親との間隔もいい。母親はしんどかったな」
そう言えば、『母という病』も本の中に並んでいたことを思い出した。そのことをつぶやくと。
「……ああ、うん。あのひとはその気があった。と、今では思う。思わないとやっていけない部分があるしね。今でもあのタイプが職場に居ると構えてしまうしな」
「タイプ」
「仕切屋って居なかったか? 学校でも」
ああ、と思いついた。
「兄貴の――― あんたの父親の最初の奥さんが、まあこのひともある意味仕切屋で、『……すべき』人だったんだよな。で、別の『……べき』ルールを持っていた母親と確実にぶつかる要素があったんだけど、……それが無かったらしいんだな」
「らしい?」
「私は逃げたから、後のことは推測。母親は本当に恐ろしいまできちんきちんと家計簿をつけていて、そこに日記的なメモをごくたまにつけていたんだけど、その元奥さんに対しての愚痴が、珍しく書かれてた。と、同時に、色んなものを残していた人だったから、当時の奥さんから母親へ向けての手紙って奴も見つけたことがあってな。何って言うか、奥さんの方が謝りっぱなしなんだよな」
ふう、と彼女はため息をついた。
「ちなみに当時、あんたの父親は何故か奥さんの実家でなく、うちに奥さんと子供を置いてくことに別に疑問も持たなかったらしい。まあそれは奥さんの方のルールが、婚家にあるべきだ、ってのがあったらしいんだけど、これは明らかに間違いだと私は思うよ」
「間違い」
「ルールが違いすぎる。そしてうちの母親は、外面が恐ろしく良かった。今でもご町内の人達は、あの外面を疑わない。だけど私は知ってるんだよな。結構あの人が、自分以外の人間を大概馬鹿にしていたこと」
「何でそれを叔母さん知ってるの?」
「聞いたから」
「……お祖母さんから?」
「そう。聞けば答えたから。私は町の人々とは全然つきあいが無かったせいもあるだろうし、家と職場を行き来する分だからね。実際今でもご町内の人の顔は覚えられないし――― ってまあ、これはご町内でなくとも同じなんだけど」
最初に駅に迎えにきた時のことを思い出す。印象でしか覚えられない、と言ったことも。
「母親は私は勉強はともかく、通常の常識を知らない子、と扱うことにしていたらしいよ。邪推すると、周囲にもそう思わせようとしていたのかも、とも」
「……それはあんまりじゃないかな」
「母親の実家で、私の祖母にあたる人が亡くなった時、彼女は私を格別女手の手伝いに回さずに、こっちで待ってろ、だったからね。もう二十台半ばだった時にだ。私はとっとと帰りたかった。祖母には昔遊びに来た時に構ってもらった様な気もするけど、記憶は少なくてな。用事が無ければとっとと帰りたかった」
「薄情?」
「うん。たぶんそう母親の実家は、一番よく遊びや泊まりに来た親戚だったんだけどね。まあそもそも、親戚つきあいそのものを、私とあんたの父親はしてない。全部が全部、母親が取り仕切ってたって感じはあるな。私達はそれにおんぶに抱っこ。で、後々、私の父親すらどうしたらいいか判らなかったという」
情報の囲い込み、という言葉が私の名かをよぎった。
「だからそれが後で全部私にかかってきた。でもまあ、そこは『知りませんでしたごめんなさい教えてくださいねー』とあほのこの顔していれば、教えてくれる。で、一つ一つ刻んでいった訳だ。これも学習」
「学習」
「もうその頃には、プライドもへったくれもなかったし。私自身は体力の都合でフルタイム働けなくなって、生活費はウチ全体の家計からも使わせてもらってる状態。私は辺鄙であることと、自分の事情と、父親の身の振り方を何とかすることを盾にして食ってる訳だ」
「……そこまで言わなくとも」
「まあそこまで言葉にしておきたい、というのはあるんだよ。歯止めが利かなくなるからな」
「歯止め」
「摂食障害の本」
ひょい、と私が持ってきた本を一つ手に取った。
「あんたは小さな頃から、そういう普通の体型だった?」
「普通って言うか」
「太すぎずやせすぎず」
「というならまあ」
「うん、羨ましい」
本当に、と彼女は付け足した。
「叔母さんは――― 太かった? 小さな頃」
「うん。幼稚園の時もう大きな子供だ、という意識はあったし、足が遅かったし、運動神経も今ひとつだった。これは覚えてる」
「覚えてるんだ」
「残念ながら」
少しだけ、泣きそうな表情になる。
「確実に覚えているのが、三つ。一つは、ドッジボールで組み分けして、弱い方のリーグに入れられたこと。二つ目は大縄飛びでもそうだったこと。三つ目は、お遊戯会で踊ると笑われたこと」
というか、三つもまだ覚えているという辺り、根が深い。深すぎる。
「田舎だからね、皆走り回る訳だ。勝手に運動神経は上がる。んだけど、私は当時から文字つみきとか、家の中好きだったし、そもそも友達が周囲にいなかったから、外で走り回るってことがなかったな。気が付いたら足は本当に遅かった。これはもう中学までずっとコンプレックス」
それは判らなくもない。運動神経が悪いというのはなかなかに致命的だった。私の時代も。
「それから小学生。やっぱり大きな子だったから、上級生からかわいがられるということは全く無かったな。それと、あんたの親父とは、この時から外では仲が悪かったね」
くす、と笑う。
「悪かったの?」
「今はいいです。安心しな。要するに、私はあんたの親父からしてみれば『みっともない妹』だった訳だ。私からしてみれば、『家の中で得してる奴』だった。まあお互い、何というか、だね」
その辺りは後で親父さんに聞いて見よう、と私は思った。
「で、三年だか四年の時に、小学校で肥満児が問題になってな。私もその一人に入れられて、昼休みに集められて肥満児体操、とかやらされたな」
「今だったら絶対しないよね。いじめの原因だとか、失礼だ、とか親が絶対に言うよ」
「うん。だけど当時はそうじゃない。学校の権威は大きかったからね。まあそれは長続きしなかったな。でも私自身が五年生の時に、やせようと思ってしまった訳だ。で、ダイエットしたわけ」
「したの?」
「したの。今思うと、そこで元々素地があった頭の配線に問題が起きた気がしないでもない」
「やせたの?」
「ある程度。だけどある程度やせた時に、母親が『もういいんじゃない?』と言い出した。その後はまた前のような食生活になって、すぐにリバウンドした」
「……それ、いいの?」
だってそれはおかしい。ある程度下がったなら、それをキープする様な食生活を、母親はすべきじゃないのか。
「正直、気まぐれに過ぎなかったと思う。私は菓子が一袋あれば、無くなってしまうまで食べてしまうタイプの子供だったからね。強迫観念的に、あるものは終わらせてしまわなくちゃならない、という感覚があった。そして母親は、何かとおやつを手作りするタイプだった」
「手作り――― が悪いの?」
「困ったことに、ドーナツ系が何度も出た記憶があるんだよな。天ぷらの衣が甘くなっただけの揚げ物、という方のが正確だけど。その後にごはん食べてれば、そりゃ太る。当然だ。しかもそのせいかどうか判らないけど、私はどうしても米のメシが美味しく思えなかった。今も時々しか思えない。品種にもよるし」
やっぱり根が深い、と私は思った。