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第12話 本に感情的に書き込み、梅でシロップ、謎の土間

「……」

「……」


 四月はめまぐるしく風向きが変わる。―――そして。


「春の嵐っていうのはなあ……」


 叔母さんはがっくりと肩を落とした。

 昨晩から今朝にかけて、ひどく雨風が荒れ狂った。

 結果、梅の実が。


「こんなに落ちるとは思わなかったんだよな……」


 仕事から帰った彼女は畑に出てすぐ引き返し、私を呼んだ。

 あれから彼女の本棚にある終戦直後の検閲関係の本を読みあさっていた。ただしかなり手間は食う。彼女の本は恐ろしく線が引きまくられ、読んでいた時の彼女の意志がそのまま迫ってくる様な気がすることもあった。

 特に女性作家と戦争について書かれた本の場合、書き込みも激しい。書き込みにはよく「この当時に食うためなら仕方ない」「作家だけか?」「という前に」といったものが荒々しく赤ペンで書かれていた。

 紙をつまむのにやや躊躇したくなる様な、状態がひどく悪い古書の場合でも書き込みはある。昭和18年から24年辺りの本はもう大変だ。

 それでも、だ。ただしその場合、できるだけ丁寧に、鉛筆で。

 だが現代に出版された本の場合、容赦が無い。赤ペンだけではない。蛍光ペン、色鉛筆、ともかくその場にあって、文章内の一部分を目立たせるためにだったら、何を使ってもいい、と思っているかの様だった。

 一番ひどかったのは、岩波から出ていた大学教授の本だった。「違う」「ちゃんと調べろ」「冗談じゃない」とまであるから物騒だ。しかも最後に「文句つける前に!」とまであった。

 またそれは後で聞こうと思った。とりあえずは梅らしい。


「レジ袋3~4枚持ってきて」


 台所には、ネットスーパーが大量につけてくれるレジ袋がたまっていた。私はそれを適当に引っ張り出すと、裏庭の畑へと向かった。

 で、冒頭へ戻る。ネットの上に本当にごろごろと転がりまくっていた。


「……ともかく拾おうか。ネットの上の奴と、縫い目の下辺りを注意して取って」


 了解、と私は答え、袋を持って分かれた。


「まだ青いんじゃないの?」

「熟す奴はちゃんとしっかり枝についてるよ。そいつらをきちんと熟させるために落ちてくれたようなものだ。できるだけ有効利用」

「でもさあ」

「何」

「足りるの? 確かシロップ作るんでしょ? 若い実のうちは」


 叔母さんは少し黙った。


「瓶が」

「無い訳じゃない」

「あったの?」

「さすがにしまってあるだけだ」


 ……あれだけものがオープンになっているこの家で、何処に「しまって」あると。



「ほれ」


 叔母さんは普段は閉まっている裏口へ続くガラス扉を開けた。というか、私はこの家に来てそこが開くのを初めて見た。


「こんなとこに収納庫がっ」

「収納庫なんてものじゃないよ。ただの『置き場』だ」


 最後の手段なのだ、という。裸電球ーぱちりとつけたその場所には、結構前の型の洗濯機と乾燥機がまず鎮座ましましている。


「ちなみに壊れていて使えない」

「何のためにっ」

「乾燥機は使えるかもしれないけど、さすがに私はこいつを使う気にはなれない」


 確かに。

 何せそこは、まず私が一般家庭では今まで見たことが無い「土間」だったからだ。

 ガラス戸のついた棚。その中に大きなポリタンクが幾つか。


「中身は?」

「水が入っている、らしい」

「らしい」

「母親が置いておいた、らしいんだけど。防災意識があるのはいいんだけど、私は一緒に住んでいた時にも存在を知らなかったぞ」

「何の意味が」

「そう、何の意味が、だよ。ちなみにそこに彼女が作り込んでおいた筍の水煮だのみかんのシロップ漬けだのの瓶詰めもある。親父と出かけた時にもらったらしい、呑まないワインの瓶も発掘したことがある」

「何でそういうものをため込むかなあ」

「ため込むというか、ああそうだ、この間作ったパスタのソースも彼女が作ったものだよ」


 トマト味の。非常に美味しかった。


「きちんと保存はできてることは判るからな、ソースはまあいいんだ。が、どうにもこういうのはな……」


 なかなか手が出ないのだという。

 棚の反対側には鍬だの鎌だのが置かれている。


「元々は本当によく使っていた裏口だったんだ。昔はここから上がり込んだこともしょっちゅうだった。隣の家が一面畑だった頃は、作業して、ここに下りて道具置いた訳だ。玄関や軒下の奴は、その頃の余り」

「小屋のは?」

「あれはまたあれ。正直私にもあのひとの計画はさっぱり判らなかったからな。亡くなった翌々年に小屋を開いたら、園芸用の土が何袋か出てきたものだから、何に使うつもりだったんだって」


 ふう、と彼女は息をつく。そして土間に下りていくと、ほこりを払いつつ、棚の

下段に手を突っ込んだ。


「瓶、出すから受け取ってよ」

「はーい」


 すると出るわ出るわ。果実酒用の4リットルから5リットルの瓶が、次々に。

 全部で十本になった時、よし、と声がした。


「とりあえずこれで当座は保つだろ」


 それからは流れ作業だった。

 まず瓶の中を洗った後に、熱湯消毒。さすがに軽く手の甲に小さく幾つか火傷を負った。まあすぐに水仕事になったから、赤い染みを作った程度で済んだが。

 瓶に砂糖を一袋どん、と入れる。とりあえず、レジ袋1つで一本作るらしい。


「量らないの?」


 面倒、の言葉で切り捨てられた。


「砂糖が残るんだったら、梅が少ない。そういう感じでいいかな、と」

「それに確か、こういう時って氷砂糖使うんじゃない?」

「高い」

「高い?」


 そう、と彼女は大きくうなづいて、袋の1/3を瓶に入れた。ごくごく普通の白砂糖だ。


「これが一番安いし、まあ出来にそう変わりがあるでなし」

「そういうもの?」

「別に何年も熟成させようってものじゃないし。今年の分のシロップが作れればいいんだ。梅シロップはいいよ。体が楽になる」

「楽に」

「何かなー、潤滑油差した感じなんだよな」


 そう言って肩を上下させる。


「で、梅を洗いつつ、残っているへたはとって、そのまま放り込む」


 言葉通り、洗って、へたを取って、瓶の中、砂糖の山に放り込んだ。


「水っ気とか……」

「できるだけ雑菌をどうこう、という問題なんだと思うんだがね。だけどまあ、要は腐らなきゃいいんだ」

「腐る」

「発酵も腐るも、まあ似た様なものだ。とりあえず砂糖に埋めた状態ならそうそう腐らない。で、砂糖と一緒にしておくと、浸透圧の関係で梅から水分がどんどん出てきて」

「それでシロップ」

「そう。で、もっと熟すと、これが発酵しやすくなるんだよなあ……」


 ははは、と彼女は酵母を作っておく瓶を示す。


「最初にシロップ作った年はまだ瓶も揃ってなくてな、とりあえずあった奴に、これまた熟してから取ろうと思ったものだから、もう大変。瓶が足りない足りない。ジャム作っても入れる瓶が無い。で、裏を漁ったら、ほれ」


 別の酵母を実験的に作っている瓶を指す。


「トマトソースというかケチャップというか。そういうものを作った時の瓶が沢山あった訳だ。それに根性で詰めまくって」


 他にも当時好きだったボンデママンのジャムや、大きな蜂蜜の空き瓶も探しまくって使ったらしい。


「煮詰めるのに疲れた時に、適当に砂糖詰めて上下で振って放っておいたら、この瓶の蓋がちょっと膨らんでるように見えたんだ。開けてみたら」


 しゅわっ、と噴き出したそうだ。


「慌ててカップに取って勿体ないからミルク入れて呑んだらまたこれが美味いんだよ」


 へえ、と私は目をむいた。


「そしたらその年、いつもより体が軽く動けたんだよな。ところが時期が終わってシロップが無くなったらいきなり疲れがどん、と」

「何で?」

「さあ。クエン酸かのせいか、と思ったけど、単にクエン酸ジュースを作って呑む分じゃ駄目らしい。柑橘類でもいいかと思ったけど、何か違うらしいし。それで翌年、瓶をできるだけ安値でかき集めたんだ」

「安値って」

「オークション」


 そう言いつつも私達は次々と梅を洗ってへたを取って瓶に放り込んでいる。


「こいつはどこかの家で昔はらっきょうを漬けてたらしい」

「……へえ」

「要らない人には要らないものだからな。大量に、安く。古い奴の方が結構しっかりしていることもあるな。昔は果実酒を作るのが流行ったり当たり前だったこともあるしな」

「この家では作らなかったの?」

「作ったさ」


 はあ、と彼女は大きくため息をついた。


「だからまあ、うちには年代ものの梅酒がまだごろごろしてる」

「呑めばいいのに」

「あんたね」


 医者薬呑んでるんだから駄目、と彼女は言った。

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