「梅拾ったよー」
玄関のカーテンを開けると、叔母さんがシャツの裾に何やら抱えていた。見ると小さな梅がころころと。
暖かくなり、何度か雨が降ったり止んだり。この地方の名物の風がうなる様に吹き、振り落とされた梅がこぼれ落ちたらしい。
とりあえず私は台所からガラスボウルを出してきて、彼女の裾から下ろした。
「シャツはそのまま洗濯!」
「判ってるよ」
くす、と叔母さんは笑った。そりゃそうだ。元々は彼女が私に言ったことだった。
毎日の様に私は裏の畑に出る。本ばかり読んでいるのはやはり宜しくない。だけど他にすることもない。
自分の部屋の掃除。時には叔母さんの「巣」以外の場所も。パン生地をこねておくこともある。基本私が使うのはインスタントドライイーストだ。
膨らむ自信があるなら天然酵母のほうも使っていいと言われている。ここのところ酵母を仕込んだ瓶が急速に増えているので、使いたいところなのだろう。
と、すると。
「この梅、どうするの?」
「酵母にするか…… ジュースにするにはまだ少ないな」
そうだね、と私はうなづいた。瓶を洗剤で洗ってざっとお湯で流す。煮沸消毒だの熱湯をかけるだのするのが一番いいのだが、「面倒を増やすとやる気を無くす」という叔母さんの意見を尊重した。私自身でするならどうだろう。
「やってみて、それでちゃんと膨らむものができたり、腹壊さなければいいんだよ。実際、終戦の年の夏には、ジャガイモで酵母を取る方法が『婦人倶楽部』に書かれてるしな」
今一つ意味が判らなかったので、首を傾げて黙っていると、付け加えられた。
「今のレベルの清潔、というのが当時は無理。熱湯作りたくとも、燃料が用意できないことも多い。その中で作るんだから、今の世の中の清潔とは違うさ」
ということで、とりあえず梅のヘタを取って瓶に入れて水と少しの砂糖を加えて酵母瓶を用意した。その後終戦直後という酵母のレシピを見せてもらった。
*
本棚の部屋には古い雑誌が多いのだが、その中でも極めつけに多いのは『暮しの手帖』。これは戦後の文化がよく判るという。
「ただし小学生が愛読しちゃいけないね」
そう言って彼女は苦笑した。
「愛読するとどうなるの?」
「オバさん臭い嫌みたらしい小学生ができる」
その辺りはまた後で聞こうと思った。
次に多いのは、戦前の『主婦之友』だった。
「研究してた作家が、専属で書いてたってのがあったからね。単行本とのテキストの差を比べるのに必要だったし。まあそのうち、戦中の本誌がどんどん薄くなってくのに興味を持ってね、集められるだけ集めている」
そして次が『婦人倶楽部』だった。
これは先の二つと違って、戦中戦後無くばらばららしい。
「まああの作家のものを集めていた関係もあるけど、それともう一人、堤千代っていう作家の自伝が載っている号を探しているかな」
「堤千代」
「私が研究していたのは吉屋信子っていう作家だったんだけど、このひとに関しては、無視されている分野にしては、まあ探せば色々あったんだ。大半、同じ研究してた人に譲ったがね」
「無視されてたって」
「家庭小説ってのは、ともかく文学史からは無視される分野だったんだよな。日本の近代文学史の中で、名前聞いたことはあるか?」
無い、と私は答えた。
「江戸川乱歩は?」
それはある、と。
「岡本綺堂」
「判らない」
「銭形平次の作者だよ。直木三十五は?」
「それはまあ。直木賞の名のもとになった人でしょ?」
「そ。じゃあ何で直木賞なんだ?」
「ええと、菊池寛が亡くなった友人作家の名をつけた? だっけ」
「まあね」
とはいえ、と彼女は付け足す。
「菊池寛は謙遜なのかあまのじゃくだか、友人の名を利用させてもらった、という言い方をしているけどね。まあ真意はどうあれ、おかけで今でもあんたは直木三十五の名を知ってる。じゃあどんな作品を書いてたかは?」
それは知らない。
「つまりそういうこと。名はぎりぎり。作品は知られてない。この人ですらそうなんだから、他の大衆小説作家は言うまでもない。牧逸馬は?」
「知らない」
「ペンネーム三つ持って、探偵小説もちゃんばらもユーモアも書いてた、超多作作家。で、早死にした。直木三十五もそうだね。芥川は自殺だけど、直木は過労死の方」
そうなんだ。さすがにそれは驚く。
「何せ今と違って、作家の絶対数が足りない。その中で速筆だったら、どんどん頼まれる。扱いは現在のコミックに近いけど、コミックと違って、アシスタント、流れ作業ができない。あくまで一人での作業だからね。そんなのが月に何本も連載抱えていたんじゃ」
うわあ、と私はうめいた。
「で、女でそれをやってたのが、唯一吉屋信子。基本は家庭雑誌のメロドラマ。で、書評の台に載せてもらえなかった」
「何で?」
「まあこれは牧逸馬でもそうなんだげど、大衆小説は文壇の中で批評の対象にされなかったわけ」
「わかんない」
「芸術小説、って奴と大衆小説の間には、当時恐ろしく暗く深い溝があった訳。まあ上下関係っていうか、高級低級的感覚とか、読者の違いとか、いろいろあるけど。ああそう、高尚な小説の場合、書評で有名にならないと売れないってのもあったな」
「えーと、コミックスは放っておいても売れるけど、文芸は誰かがいいよーと言わないと売れないってこと?」
「言うようになったな、あんたも」
彼女はそう言いつつも、酵母レシピを求めて、雑誌を探す。
「そうそうこれ。『婦人倶楽部』の昭和二十年八・九月合併号」
「合併号」
「印刷が八月の最初。発行が九月のはじめって辺りに、苦心を感じるね」
ビニルのカバーがかけられたそれは、端がぼろぼろになっている、本当に薄い冊子だった。
宮城に向けてお辞儀をしている女性の姿が表紙が描かれているが、その表紙自体が、……本文紙と同じひどく質の悪い更紙なのだ。
「ええと、どんぐりの粉の食べ方が出ていて、その中にあったのかな」
そっとページを繰る。
「『ふくらし粉や重曹代りになるパンだねの作り方』その上のところに、そういうものが無くても、とある訳だ。つまり?」
彼女は私に問いかける。何となく教官に聞かれてる気分だ。ともかく考える。
「ええと、そういうものが手に入らないことが普通にあった」
「だね。
『材料 馬鈴薯百匁、小麦粉二十匁、水二合の割合』
比率で考えれば今でも応用はできるよ。
『馬鈴薯を分量の水で、皮ごと柔かく茹でて擂鉢にとって、よく摺りつぶし、これに小麦粉をふり込んで摺りまぜ、馬鈴薯の茹汁を徐々に全部を注ぎ入れながら斑なく摺りゆるめる。(ゆるめ加減はちょうどとろろ汁程度)。次にこれを入れた擂鉢の上に、清潔な布巾をかけ、そのまま一昼夜位ねかせておく。暑い頃ならそのまま、寒い頃ならこたつの中に入れて体温程度の温度を保たせる。このやうにすると、馬鈴薯の発酵菌が繁殖して、申分のないパンだねができ上る。』
で、どうもジャガイモ以外でも、
『この仕方で、南瓜でもパンだねができる。水分の少い糖分の多いくり南瓜なら一層結果がよい。但し、南瓜のパンだねは馬鈴薯のパンだねほどふくれない。』
んだそうだ」
「今でも作れるじゃん。あ、でも確かに擂り鉢自体を消毒とか言ってないね」
「だね。まあ茹でジャガ自体が無茶苦茶熱くて殺菌された状態、ということもあるかもしれないけど。―――ああそうか、そういう意味もあるな」
言ってから納得したかの様だった。
「そうだな、南瓜でも一緒だ。茹でた状態そのものが、殺菌になってる。その後に酵母菌を呼び込むって形になっているな。気温は――― まあこの頃は、今の夏よりずっと涼しかったからな」
「そう?」
「前に19年だか18年の年間気温とかのデータの出た本を読んだことがあるけど、八月の平均最高気温自体が、30℃行くかどうかだったからな」
「うっそぉ」
「今がおかしいんだよ。私の感覚でもそう思う」
私からすれば、夏はもう体温近くなり、クーラー無しで過ごせないのが普通だった。小学校でもそうだった。
彼女の子供の頃は、まだそうではなかったのだろうか。
その意味のことを問いかけたら。
「美化した記憶かもしれないがね。歌にもあったね、ひまわり、夕立、蝉の声。青い空にもくもく沸く真っ白な入道雲、でも朝のラジオ体操の時は本当に涼しくて気持ちよい、九時半から小学校のプールが解放されて、意味もなくわいわいはしゃいだなあ。帰ってくるとだるい体を扇風機とアイスが気持ちよい、って感じ。クーラーなんて必要なかったなあ」
風通しも良かったし、と彼女は付け加えた。確かにそうだろう。
「夏なら陽射しは入らない。あ、昔はこんなに木はでかくなかったからな。冬はちゃんと陽射しがさんさんと入って暖かい部屋だったよ。よく編み物してた」
「その頃から」
「そ。その頃から」
のどかだなあ、と私は思った。
「私は基本ヒッキーだからね。家の中でできる遊びが多かっただけさ」
「そっか。……ところで、何でジャガイモや南瓜なの?」
話を戻してみた。
「うーん。これは想像でしかないけど。まずジャガイモと南瓜ってのは当時たいがい作ってた訳だ。保存もきく。米は手に入らないけど、ってのはよくあった。南瓜は作りやすい。種も取りやすい。甘みもあるから、砂糖不足の中で、甘みとる数少ない方法だったしね。何せこの号、とうもろこしの皮だの、茶殻だの、柿やみかんの皮を食べる方法まで出てる」
見せてもらう。
「さつまいもの茎? なすのへた?」
「南瓜なんて、葉も茎も花も食えたようだしね。こっちのページには保存の仕方とか、乾燥野菜の作り方とかも載ってる。ここのページは八月以前に作った、と私は思うんだ」
「は? どうして」
「八、九月合併号ってことは、八月一日発行七月発売ってのが通常だと思う。だけどその時まだ売り出せなかった。そりゃそうだ。昭和二十年七月なんて、出せたら奇跡だよ。だけど記事は用意してた。で、終戦でやっと出せた、と。でもまだ検閲が入っていないね」
「え」
「だって宮城にお辞儀をしているからさ。GHQの検閲が入ってからじゃこの表紙はありえない」
「……あー」
そういう研究をこのひとはしていたのだった。