目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第9話 南瓜の芽、梅の下にネット、そして天然酵母

「見て見て見て見て」


 帰るなり叔母さんは、私を外に連れだした。


「どうしたのいったい」

「芽が出てる!」


 前庭の、麦がふさふさしている辺りを示し、ほら、と数カ所を指さす。


「あ」


 丸っこい双葉が出てた。


「え? でもこれって」


 私は横のプランタを指した。南瓜を蒔いたと言っていたところだ。

 そこには一つだけ同じような双葉が顔を出している。


「……そうなんだよ。忘れてたけど、秋に南瓜食べたあと、ワタから出して埋めておいたんだよな」


 私は首を傾げた。


「どれだけ蒔いたの?」

「だから、四分の一カットの南瓜についてる分だよ」

「ちなみにこっちのプランタは?」

「……たぶんもっと多い」


 だから驚いてるんだ、と彼女は力説した。

 何せ砂利混じりの地面から出ていたのは、既に本葉の気配もあるものが数本だったからだ。


「……と、なるとやっぱり地植えの方がいいのか? それともたまたまこの地面が芽を出すのにちょうど良かったのか?」


 一人、口の中でぶつぶつ呟いている。


「何かこの前、麦もこっちの方が早く出たって言ってなかった?」

「あー」


 そういえば、と大きくうなづいた。


「まあそうかもなあ…… ここはこの砂利のせいで、ある程度以上水はけがいいし、その割には土も乾燥しないし、日当たりもいいし」

「でも、芽が出たら裏に植え替えるとか言ってたよね」

「うーん」


 どうしたものか、と彼女は眉を寄せた。


「とりあえず」


 ぎょっ。

 プランタにいきなり彼女は手を突っ込んだ。そして出たばかりの双葉と、幾つかの種を掘り起こす。


「やっぱり出てないな」

「何で?」

「さああ。弱い種だったのか、それともこの土壌がまずいのか、それとも単に温度がまだ低いのか……」


 そして砂利の方からももう一つ、芽を掘り出した。


「どうすんの」

「ものは試し」


 そう言うと彼女は帰ってきた服装のまま、裏へと向かった。

 ざくざく、と先日通路代わりに蒔いた防犯用砂利が音を立てる。この裏へ行くのはいいのだが、どうしても私が足慣れないのを見て、彼女は簡単な通り道をつけることにしたのだという。


「まあここの補強もしなくちゃならなかったし」


 一カ所、どうしても段差があって足を踏み外しやすいところがある。そこには重点的に石を流し、ぎゅっぎゅっ、と踏みしめていた。


「インスタントセメントは使わないの?」

「できるだけ使いたく無いんだよね」


 砂利ならそのまま撤去すればいいけど、コンクリはそうもいかない、と。

「できるだけ、土の表面が出せる様にしておきたいんだ」

 とのこと。

 裏の麦やら何やらが次第に芽吹きだしたところに彼女は双葉を植えた。さてどうなることやら。

 だがそれで戻るかと思いきや。


「どうしたの」

「……もう実がついてる」


 梅を見て彼女は言った。



 翌日、やはり仕事から戻ってくると、ちょっと手伝って、と言われた。彼女の手には、何やら緑のロールがあった。


「何それ」

「ネット」

「いやそれは判るけど何で」

「昨日言ったろ? 実が付きだしたって。梅。はさみと、麻ひも持ってきてくれる?」


 ああ、と私はうなづいた。そして判らないなりについていく。


 梅の木の下は、この時期、黄色のフリージアが満開状態だった。いい香りだ。そして薄紫の花も。


「しゃが、って言ってたけど、あまりその辺りは判らないな」


 そう言いつつ、彼女はロールを解いていく。三本ある梅の木の、実が落ちそうな地面にネットは置かれていく。なるほど、雑草がクッションになって落ちてもつぶれないということか。


「去年、南高梅の収穫の様子をテレビでやっててね、あーいい方法だ、って思った訳。一気に収穫できるって」


 だがそれだけではない。


「……去年、熟れた奴が落ちて草の間に入ってて蟻に食われてしまっていた時の悔しさときたら!」

「そんなに落ちるの?」

「落ちるなあ。まあ、落ちてくれないと困る。というか、基本、落ちたのを拾うんだから」


 手が届く高さのうちは良かったらしい。そもそもその時期は自分では取ったことがなかったという。

 使っていない部屋の中には、一番古いもので昭和54年の梅酒があると聞いた。……1979年。凄すぎる。


「漬けるのはいいんだけど、計画性が無いからなあ……」


 叔母さんは酒を飲まないので、残された酒瓶を見てげんなりしたという。


「まあジャムくらいは作ったけどね。去年シロップ作ったら、それがまた牛乳と混ぜるとちょっとヨーグルトっぽくなって、しかも何か体の調子がいいから」

「何でかな」

「何でだろ。クエン酸かな、と思ったんだけど、単にクエン酸買ってきて同じことした時には同じ効果は無かったし。となると酵母菌かな、とも今は思えるし」

「酵母――― あ」


 そういえば最近は、パンをイーストでなく、天然酵母で作ることもある。


「イーストだとまあそんなに間違いは無いけど、こっちは結構賭だな」


 彼女はそう言っていた。

 暖かさが増してきた頃に、彼女は次第に空き瓶に果物の皮と種と水を入れてラップで蓋をしておくことが増えた。聞いてみると、それが天然酵母を作るのだ、ということだった。


「まあできなくはないと思ったのが、その去年のシロップだったんだけど」

「何で」

「……何度か開けた時に噴き出した」


 今ひとつ判らないので、細かく聞き出したらこういうことだった。

 梅と氷砂糖を適当に入れて放置。そこまではいい。ただ彼女はその量がてきとうだった。―――で、多すぎた。

 判らないうちに内部では発酵発酵。……そして開けた時には―――


「一気に泡があわあわ。こぼれる中身を慌ててコップにすくい取ったりもう大変」

「そんなに泡だった…… ああ、つまり」


 その泡立つことが、パンを膨らませることになると。


「そういうこと。で、今年は梅でもやろうと思ってる。たぶんそれはそれで簡単だと思う。でもその前に、まずはあるもので試そうと思った」


 で、参考書を色々買い込んだのだという。無論できるだけ安く。


「だけどことごとく失敗して、パンでなく餅になることの方が…… まあ、今でも多いな」

「でもこの間は良かったじゃない」

「あれはもう、これでもかとばかりに時間かけたからなあ」


 彼女は苦笑する。その間も私たちはネットを置いては、辺りの草で縛り付ける。

 ともかく幅はさほど無いけど、長いものだから、途中で切って方向転換をしなくてはならない。そこで麻ひもで縛る。


「……去年はこの雑草をお隣さんに刈られちゃってね」

「へ?」


 悔しいのだろうか。普通はありがたいと思うところだけど。


「だからさ、私は地面が乾ききってしまうのが困るし、落ちた梅のクッションが無くなるのも嫌な訳だ。でもまあ、今回は今からこれなら、手は出してくれないと思うんだけど。蚊が出るからと言われたらおしまいだけどね」

「あ、虫!」

「夏にはちゃんと虫除け対策すんだよ」


 わかった、と私はうなづいた。だってもう、陽射しが微妙に手の甲を焼いているのだ。



 ネットを張り終わり、今日も今日とてパン作りに励む。


「おー膨らんでる膨らんでる」


 昨晩、天然酵母の「一番濃い」瓶からざっぱ、と液を出して粉に混ぜ込んだのが今日の種だ。だから一次発酵に12時間以上かけていることになる。

 私の視界にある酵母は、まず大きな瓶が一つ。これが蓋つきで、元々果実酒のためのものだったらしい。よくひっくり返しては振っている。

 あとは元ジャム瓶だったものに幾つか。柑橘系が多い。林檎の皮を使ったものも一つある。


「今回はコーヒー酵母も混ぜてみた」

「コーヒー酵母なんてあったっけ」

「冷蔵庫に入れてたから。……って、あんたコーヒー呑んだっけ?」

「嫌いじゃないよ。格別呑みたいほどじゃないけど」

「……ならよかった。いや、期限が過ぎてしまった一人ぶんドリップがあったんで、それ使って、大瓶の酵母を混ぜて、やってみた訳」

「……どうなるの?」

「……さあ。だからやってみるんだけど」


 ともかく、成形だ。そしてまたもや鍋で焼きパン。


 結果。

 なかなかいい感じだった。大きな気泡はできないが、まあ、ベーグル的な感じで。


「確かに、コーヒーの香りがした」

「よな」


 うんうん、と彼女はうなづいた。


「林檎の時には、……まあ餅になったけど、それでも林檎の香りがした。ネーブルの時には……」

「どうだったの?」

「後味が酸っぱかったんだけど、それが果たして生地が酢酸菌にやられたせいなのか、果物の酸味なのは判らなかった」

「で、今のは?」


 それ、と足下を指される。少し前に箱買いしたセミノールオレンジだった。彼女は無類の果物好きなので、ネットの産地直送箱ものと、通勤地の八百屋で比較して購入するらしい。


「やっぱり欲しいだけ買うと重いからね……」


 そりゃまあ、このひとはキロで買ってくる訳だから。


「でも思ったよ、セミノールの方がネーブルより、皮が持つ風味が濃い」


 というか、私はまず、セミノールを知りませんでしたって。何でもオレンジとみかんの掛け合わせだそうで。

 オレンジと違って手で剥けて、大ぶりだけと瑞々しくて味はオレンジ。


「ハッサクはちょっと酸っぱすぎなんでこっちかな。今は」

「夏みかんとか苦手?」

「んー、昔はウチにもあったからなあ。まあアレはあれなりに。だけどちょっと食べ方が面倒だったかな」


 ちなみに大瓶はもともとはネーブルでやったのだという。次第に底に澱がたまってきて、濃くなってく。そして途中でその皮を変えたり、砂糖を足したりして、中の菌を生かし続けるのだという。


「だけど何って言うか、やっぱり気温だよ気温」

「気温?」

「冬は駄目。ウチは見た通りエアコンないから、そうだな、今年はそこの寒暖計が3℃示したし」


 げ、と私は台所の寒さを想像した。


「そうなると全然動かないし。だけど二月にちょっと妙に暖かい日があると、突然ぼこぼこ泡が出だす訳だ。そういう日を捕まえて作ったら大当たり。そういうタイミングとかは、まず本に無いんだよな」


 そりゃまあ、ここまでエアコン無しの家も滅多に無いでしょうし。

 まず料理の本に載っている常温っていうのは、叔母さん曰くエアコンがある家のそれだ。二十何℃がデフォなんだ、と。


「だからイーストの発酵でも、炊飯器使ったこともあったしね。まあビニル袋で炬燵の方が確実だったからそっちにしたけど」


 当初は洗面器で素手で練って、炊飯器で発酵させたらしい。ちなみに洗面器を使うのは、「ロシアではパン作りに洗面器を使うことが多い」らしいからだと。


「天然酵母の方は炊飯器じゃ駄目。温度が高すぎる。その点はやっぱりイーストは強いと思うね」

 つまりは使い時だ、ということらしい。時間が無いときとか、気温との関係とか。



「それにしてもあんた、結構本読んでるようだね」


 その焼いたパンを主食にしつつの晩ご飯中、叔母さんは私に問いかけた。


「叔母さんの基本は文学だったよね」

「だよ。まあどっちかと言えば、だけど」

「何で歴史の本多いのさ」

「そりゃ」


 当然だろ、と彼女は答えた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?