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第7話 同じホテルの掃除でも差はあるんだってさ

「ああそうだ、明日は私、仕事だからな。適当にやっててくれ」


 土曜日の夕飯の後、叔母さんは不意にそう切り出した。


「しごと」

「何あんた、私が働いていないと思ったのか?」

「それは無いし…… 仕事していることは言ってたじゃない」


 ただ、何の仕事をしているのか全く予想が付かなかったのだ。


「二つ向こうの駅前のホテルでお掃除」

「ホテル清掃」

「もう七~八年になるかなあ。間に学校行ってた時もあるから、その時は週一だったけど、あとはまあ、週五で行ってるよ。あんたもやる?」


 首を振っておいた。バイト経験が無いとは言わないが、家庭教師や売り子が中心で、裏方はしたことが無かった。


「休んでくれてた…… んだよね」

「まあ、ちょうど有給たまってたし、絶対に何日かはごたごたすると思って、休みにしておいたんだけどさすがに日曜はな」


 ほぼ満室になるのだという。

 普段は近辺の企業に用事があるビジネスマンとか、自動車学校の合宿生とか、工事関係で長期居るひともあるらしい。


「今一番長く居るお客さんは一年半同じ部屋にずっと居るしね」

「一年半……」

「そういう人はいいんだよ。結構二日に一度の掃除を条件に安くするとか、そういうのがある。こっちが一番嫌なのは、やっぱり休日の観光客だね」

「え、何で」


 私自身、旅行でビジネスホテルは使ったことがあるので興味があった。裏方の姿は当時は見たことが無かった。


「散らかし方が違う。一番ありがたいのは、一晩型のビジネスだね。下手すると、仕事続けたまま椅子で寝て、ベッドも風呂も使わない。これが最高の客」


 にや、と叔母さんは笑った。


「長期滞在になると、きちんとしている人としない人の差が大きいね。散らかす人の場合、下手に手をつけられないから、掃除のしようがない。だからする面積が少ない。これもまあ、ありがたい。ただし洗濯はちゃんとしてくれ、って思うね」

「しないと?」

「夏は大変だよ。靴下とか下着がたまるともう……」


 もわっ、と手で形を作る。何となく予想がついた。


「コインランドリーがついてるし、洗濯している間に置いてあるマンガが読めるから、結構いいとは思うんだけどね」

「置いてあるんだ」

「それが結構ウリだからね」


 へえ、とちょっと感心した。確かにそういうのがあれば、退屈はしないかもしれない。


「逆に、観光客で一番嫌なのは、やっぱり家族連れかな。残念なことに」

「え、そうなの?」

「特に小さい子供連れ。無論、私等の同僚も皆子持ちだから、判ることは判るんだけどね。連れてった場合、どういうことになるか、とか、そもそも子連れの夫婦という場合、備品は全部使ってある、ベッドはぐちゃぐちゃ、スリッパはベッドの下、コード類は広げっぱなし、おむつも結構ぼんぼん捨ててあってね」

「うわ」


 想像すると怖い。


「あと微妙に嫌なのか、子供って結構メモをこれでもかとばかりに使うんだよな」

「何で」

「落書き。まあさすがにノート持ってこいとはいえない」


 そりゃそうだ、と思う。


「でも前に一年ほどやっぱり掃除してたリゾートホテルほどの嫌さは無いね。気楽」

「え、リゾートもあるの?」


 すると、何とこの町内にあるのだという。


「近くだから自転車で通えていいかなと思ったら、敷地内には駄目、ってことで、一キロくらい離れた駐車場に置いたね」

「え。じゃあ歩いたの」

「時間によっては送迎が出るんだけど。私は下請けのパートだったけど、従業員なんかも近くに寮があって住んでたな。免許の無い若いのには通えるところじゃないしな」

「でもリゾートの方が給料良さそうだけど」


 とんでもない、と叔母さんは顔をしかめた。


「最低賃金だったね」

「最低賃金」

「あんたの居たとこよりもっと低いはずだったよ。まあでもそれはそれでいいんだ。働き口があっただけ。でも『見せる清掃』にはどうにも合ってなかったようで」


 首をカットされる動作をする。


「入ってるレストランの料理長からクレームが入ったんだとさ」

「クレーム?」

「そう。たまたまモップを振り上げていたところを見られたらしい」

「振り上げ……」

「まあ、お客さんの居る中での清掃だからね、言いたいことは判る。実際仕方ないとは思う。ただ襟元をしっかり上までボタンつけて、とか、三角巾はしっかり耳まで隠して…… とかやるのに、最低賃金は辛かったし」


 それだけだろうか、と私はうかがいの目を向けた。


「後は…… そうだね、ゴミを一手に捨てに行くんだけど。……ああ、私は部屋じゃなくて、共有部分、つまり外だの廊下だの、トイレだの、じゃなかったら従業員スペースだの、っていう、裏方の更に裏方のはずなんだ。だからまあ、そういう立場で、外見がどうのって…… まあ止そう。愚痴にしかならない」

「で、ゴミがどうしたの」

「フルーツとかケーキをな」

「フルーツ?」

「ウエルカムフルーツとかドリンク、時にはお誕生日のケーキをあらかじめ用意している、って場合もある訳だ。何たってリゾートだから、遊ぶためのとこだ。しかも会員制。……のお客さんは、割と惜しげなく、フルーツもケーキも残したら捨ててく」

「……それが?」

「……判らないならいいよ。ただまあ、私は、ぴかぴかのりんごだのオレンジだの、まだ綺麗なバナナだの、しぼんでない花だの、半分しか食べられていないホールケーキがそのまんまゴミ行きになるのを見るのがもの凄く嫌だったんだ」


 確かに嫌そうだった。彼女は目を半ば閉じて、口の端をゆがめていた。


「買うと高いんだよ。果物。ケーキなんて、いいとこの奴だったら――― 特に、ここなんて、街に出なくちゃケーキは簡単に手に入らないだろ」

「あ」


 そういえば。

 私は大学やバイトや就職活動のついでによくカフェだの何だの行っていた。ケーキ、というかスイーツ自体、当たり前にあるものだった。

 果物は――― あれは、いつの間にか家に常備されてるものだった。自分で買いだしに行くことは滅多に無かった。


「普段は果物、どうしてるの?」

「仕事のついでに買う時もあるし、ネットスーパーで注文かな」

「近くに店は」

「無い」


 はっきりと言った。


「笑える程に、何も無いからな。コンビニみたいなものはあるけど、何の手続きも、銀行の引き出しもできないから」

「え、それじゃATMは」

「安心しろ。JAと郵便局はあるから」


 ああそうか、と私はほっとした。


「でも」


 自分の中の疑問に戻そう、と思った。そのまま叔母さんに説明ばかりされていると、話がどんどんずれて行きそうだった。


「何で清掃なの?」

「そこしか取ってくれるとこが無いから」

「だって叔母さん、院に行ったんでしょ」

「あれは趣味」

「趣味で行くの?」

「まあ、それで何か新たな仕事になるか、と思わなかった訳じゃない。が」


 が?


「私の専攻は近代日本文化だ。しかも中心は文学だ。何処に受け皿がある?」

「……無いの?」

「私が行ったのは、―――そうだな、震災の翌年から二年だ」

「何でまた」

「震災の時、ちょうど休みでな。一日中テレビにへばりついてたんだ。……で、まあ、元々『いつか』院には行きたいよな、と思ってはいたんだ。ただ、それがいつになるかは判らなかったけど。けどな、あの映像延々と見てたら、『こりゃあかん』と思ったんだよな」

「『こりゃあかん』?」

「明日何が起こるか判らないってこと」


 そういえば。あの時はウチも結構揺れた。まだ高校生だった私は、電車の混乱に巻き込まれた。電話はなかなか通じないし、うちでずいぶん心配されたものだった。

 場所柄、土地そのものが液状化現象で低くなったり、何やら微妙に色んなことがおかしくなった印象が強かった。

 何より、揺れた時のあのショックは、今でも響いている。帰れないんじゃないかとも思ったものだ。


「まあそれだけじゃないな。そのまた数年前にうちの母親が亡くなった。事故でな。聞いてるか? あんたの親父から」

「話はちょっと…… 交通事故だって」

「そ」


 そしてその日も、たまたまちょうど家に居たのだそうだ。

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