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第6話 ポークビーンズもどき、手芸、雨漏りと修繕

 片面十分、ひっくり返してまた十分。

 何とそれで本当にパンが焼けてしまったからびっくりだ。

 味見させてもらうと、ちょっともちもち度が高いかな、と思う。イーストの匂いが強い。そして強い噛みごたえ。


「ベーグル好きなんで」


 叔母さんはそう言う。目が詰まっていることは判っているらしい。少し冷ました方が味はちゃんと判る、とのこと。


「トマト大丈夫? 豆は?」


 大丈夫、と答える。どうやらポークビーンズの様なものを作る予定らしい。


「サラダとかは?」

「これだけでずいぶん野菜煮るからな。特に生野菜はつけない。あんた何か食べたい?」


 今日は要らない、と答えた。とりあえず叔母さんの食卓を一度味わってみなくでは私が今後どうしたらいいのか判らない様だ。


 結果として、味は悪くなかった。

 実にダイナミックに彼女は料理をする。


「というか、これも面倒の一部」


 フライパン一つで全てを済ませてしまうのだという。焼くも揚げるも煮込むも。


「どうせ自分一人なら、野菜とタンパク質入った何かをどん、と一品あればいいし」


 実際、ポークビーンズもどきには野菜が大量に入っていた。

 トマトににんじん、ブロッコリに大豆、じゃがいも、大根も入っていた気がする。かぶだったかもしれないが。

 それにごろごろとした豚肉をコンソメキューブを入れて煮込み、最後に「味が足りなかったら足して」と市販の「塩こしょう」を渡された。


「パセリが入った方がいいなら、今度から入れるよ」

「叔母さんは入れない派?」

「……」


 微妙な表情をして黙る。


「入れたいな」

「じゃあまた今度調達するよ。というか、今度買い物出るか?」


 また今度、と私は答えた。


***


 だらだらと数日が過ぎた。

 私は部屋の方で自分の荷物を解いて、新しく買って寄越した座卓を置いた。クッションは自分で調達しろ、とのことだった。

 クッション。もしくは座布団。

 とりあえずは叔母さんの寝床のある部屋から持ち出して使っている。カバーは手製らしい。何となく、ピローケースを思わせる作り方だ。しかも手縫い。

 そう言えば、彼女の「巣」―――常の居間の居場所には、確かにいつも裁縫箱が置かれていた。

 寝床の部屋には布と刺繍糸と毛糸もあった。刺繍糸は壮観だった。ともかく大量なのだ。色も量も。

 そんなに必要なのか、と聞くと。


「逆。あるからいざという時にぱっと何でもできる」


 で、以前に刺繍したものを見せてもらったが。


「何か見て作ったの?」

「あ、そういうの無理」


 手をひらひらとされつつ、一刀両断された。


「描きたいなあ、という図が頭にあって、それを下絵描いて、あとは色任せかな。グラデーションが好きだから、どうしても微妙な色が欲しくて」


 そもそも当初は中央アジアの刺繍の本を見ていたらやりたくなったのだという。


「ところがやり出したら、どっちかというと自分がやりたいのは日本刺繍的なものだった、ってと訳」


 それでデニムに流水紋か、と何となく納得したようなしない様な。


「でも青に青って目立たなくない?」

「そういうのが好きなんだ」


 使いたくなったら言ってくれ、と彼女は言った。元々糸は日本の正規品じゃなく、中国だか韓国のまとめ買いものなのだから、使わなければ損だ、と。


「でも手先が不器用だし」

「手芸、したことが無い?」

「家庭科でやったきり」

「あれはいい暇つぶしになるけどな」

「あんまり暇だったことが無いから……」


 彼女は黙って肩をすくめた。


「まあ毛糸もあるし、編み針も棒もあるから、そっちもしたくなったらすればいいさ。あ、でも私も手は不器用だよ」

「嘘」

「何で」

「だって」


 目の前で着ているシャツは手作りだという。目の覚めるようなイタリアンブルー。大量にあるから、と何でも使っているらしい。


「不器用とするしないは別だよ」

「でも下手なものは作りたくないし」

「んなこと言ってたら何もできない」


 しかし私にはその度胸はない。自分で作った服を着て外に出るなぞ! 

 いやそれだけじゃない。どうもこの叔母さんは、まだ手はつけていないが、靴の型なんかも転がっているところを見ると、いつかそっちにも手を出しそうだ。


「ああそうそう一昨年、エスパドリーユを作ってみようと思って」

「……作ったの?」

「失敗した」


 はははは、と笑った。底は編めた、だけど履いてみると薄すぎたそうだ。


「いやでも、やってみなくちゃ判らないし、それに」

「それに?」

「草を部屋の中に持ち込んだらハダニに食われることがよく判った」


 ぎゃ、と私は思わず叫んだ。心配するな、と彼女はダニ駆除剤を手にした。


「あれから結構定期的にやってるから心配するなよ。それに草を編むのは最近は外でしかしない」


 何処に突っ込んだらいいんだ?


 そんなことをつらつら考えていたら、何やら外で音がする。雨だ。

 二階から降りて行く間にに、一気に雨は強まった。ゲリラ豪雨だろうか。

 と。

 ぼつ、と音がした。

 階段を下りたところから近い。

 台所から続く廊下の本棚の前――― に。


「叔母さん、何か水が染みてる」

「ああ?」


 慌ててやってきた。頭をぱし、と叩くと仕方ねえな、とつぶやいた。


「風呂場のバケツ、取ってきて」


 その間にも強まる雨足に、ぼたぼたと滴が落ちて行く。叔母さんはとりあえず、とばかりに新聞とゴミ袋をかき集めてきた。新聞は床に、ゴミ袋は本棚に掛けた。


「何だってここに本棚置いたの?」

「ここが漏ること、置くまで知らなかったんだよ。それに今回が初めてじゃないし」

「違うの?」

「あちこちに本棚作る前、ここは本当に凄まじかった……」


 遠い目をする。


「使わなくなった鏡台だの、昔の家計簿だの、使わない食器を箱に入れて置いていてな。冷蔵庫が当時は場所塞ぎになっていたから、突き当たりというか、袋小路というか」

「……放っておかれたってことで」


 それそれ、と彼女は大きくうなづいた。


「階段の上の雨漏りは割と早く気づかれたけど、結局うちの母親は知らなかったままだろうな」

「階段からは漏らないよね」

「そこは直したから。それに、ここも一度、一応補修しだんだよ」

「叔母さんが?」

「他に誰が居る?」

「……どうやって?」


 答えは翌々日に出た。

 晴れたから、と私の部屋の窓越しに叔母さんは屋根に出た。私は助手をさせられた。


「この瞬間がいつも怖いんだよ」


 そう言いつつ、脚立を下ろして、それでも降りて行く。私はボウルを手にしながら、その様子を見ていた。

 屋根の上をあちこち見渡し、時々しゃがみ込んだり、じっとのぞき込んだりして彼女は何かを確かめる。


「……ああここか。それ、ちょうだい」


 ボウルを渡す。中には白い紙粘土の様なものがこねくり回されて入っている。屋根しっくいだ、と叔母さんは言った。


「しっくいは、ほら、水場のある部屋の壁に半分塗ってある奴」


 確かに。


「元々は板張り。だけどあんまり暗いから、見辛くて」


 しっくいを塗りまくったのだそうだ。


「でもやってみないと判らないものだね、結構壁板が浮いてた。まあ何もしてこなかったから当然だけど。しっくいにしてからは、結構それ自体が湿気吸ってくれて、壁浮きは少なくなったと思う」


 元々の場所を知らないから何だが。ともかく彼女に言わせると、家の中は色彩的に凄く暗かったのだと。落ち着いた、と言えば聞こえはいいが。


「目が悪いからね。隅に何かあると、暗さに溶け込んでしまって困る訳」


 陰影礼賛、なんて言ってる場合じゃない、とも言っていた。何のことだか判らなかったから、いつか聞いてみようと思っている。

 ともかくその壁のしっくいより防水性の高いのが、今彼女が瓦と瓦の隙間にこれでもかとばかりに押し込んでいる屋根しっくいらしい。

 目当ての場所に何と素手で塗り込むと、怪しそうだ、とばかりに残りも詰め込みだした。

 ちなみにしっくいは素手で扱ってはいけない。少なくとも彼女は私にそう言ったはずだ。消石灰からできてて強いアルカリだから、手がばりばりに荒れる、だから絶対に素手で触るな、と。

 まあ終わったらさっさと洗うよ、と言うのだろう。

 その程度にには私も彼女の行動が見えてきた。

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