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第5話 台所・まな板・鍋で焼くパン

 驚いた。

 こたつに突っ込んだ太ももの間、何となくもみもみしながら、時々ぼーっとしながらビニル袋を抱えていたら。

 いつの間にかぱんぱんに膨らんでいた。


「膨らんだー?」

「これでいいの?」

「うんそれでいい。持ってきて。焼こう」


 だがしかし、オーブンレンジを用意している様子は無い。一方でガスレンジの上には、ずいぶんとでかい鉄鍋が鎮座していた。そしてその上に……


「ふた? にしちゃ……」

「ステンのたらい。同じ直径のもの探すの、ネット便利マジ便利」


 と言っても、大きさが。聞いてみたら38センチだという。


「それで探せばあるっていうのはいい時代だなあと思うよ全く」


 元々は餃子鍋なのだという。両手がついた、丸い鉄のぶ厚い平鍋だ。


「だけど平たい木のふただと、膨らんだ時に持ち上がってしまいそうで、何か高さのあるものが欲しかったんだ」

「それでたらい?」

「それっぽいものをいろいろ検索した結果だねえ」


 叔母は苦笑した。

 そして袋を手渡す。叔母は流しの上にこれもひどく大きなまな板を乗せていた。何やらこれも業務用に見えなくも無い。


「いや、だけど、微妙に小さいんだよ」

「小さい?」

「いや薄い、かな。本当にぶ厚い厨房のまな板も好きなんだけどね。あんたくらいの時に、パイトで行った厨房で凄く安定感があって好きだったし。だけど値段がねえ」


 ははは、と力無く漏らす。


「使うのはあくまでこのパンの形成のため。そのために出せるのは、……ねえ。けど、かと言ってその辺で使ってる薄さの奴は、本気で困る。というか、以前うちの母親が使っていた時、さんざん動いて危ない、って注意したんだよ」


 つまり。

 通常はせいぜい1センチが家庭用だ。業務用は3センチがところある。ここにあるまな板は、2センチの厚みがある。


「私は元々は木のまな板が好きだった訳」

「使わないの?」

「……かびるんだよ、ちゃんと手入れしないと、こういう奴よりずっと。母親はそうなったらカンナで削ってもらった、って言ってたし、そういう頃のまな板は使いやすかった」


 だが環境が変わったのだという。


「また見せるけど、外に昔使っていたタイルの流しがある」

「タイル」

「コンクリだか人造石に、タイルを貼り付けたどっしりした奴。まあ、お世辞にも綺麗にキープはできなかった。少なくともウチの母親は。そして残念ながら、私もそれは苦手だ」


 ほれ、と横端を指す。……確かにこれは。ちょっと言いたくないレベルのものが、水切りの下に隠れていた。


「言い訳をすれば、サイズが足りないのが問題」

「サイズ?」

「そこ、オーブンレンジが乗せてあるとこが、本来の調理スペースな訳。だけど、この台所の幅じゃ、その様に使える訳が無い。レンジを置かないなら、そこに水切りを置いて、まな板を渡して調理台にするという方法をとるのが基本だろうけど。そうすると、普段からこのサイズのまな板が欲しい」


 そう言って大きな方のまな板を指す。


「だけどうちの母親は、何故かそこで、このに置けばすべるのが必至な1センチ厚みのまな板を置いては調理していた。私はさんざん、前に使っていた檜の奴を復活させて、と言ったけど、どうもこだわりがあったようで……」


 やや彼女は黙る。


「まあ、本当に全ては弁解に過ぎない。私が片づけが苦手なことは確かだし、たぶんあんたより、汚れに鈍感だ。そもそもこの家自体、菌には住みやすい環境だしな」

「そういうもの?」

「この家、陽が殆ど入らないだろう?」


 確かに。東向きの台所の窓も、半遮光のカーテンが掛かっている。


「母親が亡くなるまでは、カーテンレールにカーテンが掛かってなかった。金具も油汚れで真っ黒だったけど、彼女も気にしなかったね。今は使っていないけど、換気扇も殆ど掃除しなかった」


 換気扇。こっち、とガス台と冷蔵庫の向こう側を見せられる。確かに昔ながらの換気扇があった。


「前は、冷蔵庫があのへん」


 裏口に向かうこれまたレトロな扉や、一段上がった通路の辺りを指す。通路の向こう側には漫画本が山の様に棚に収まっていた。

 いや、通路の手前も、入り口も、あちこち至るところに本棚は存在し、本と漫画がこれでもかとばかりに詰まっていたのだけど。


「あの通り道を塞いでしまう形だったから、根性で移動させたんだ」

「……根性で…… って、一人で?」

「まあ、親父が入院した後のことだからね。一人だな。中身出して、そこまで斜めに突っ切る程度なら、何とか動かせたよ。二度も三度もやれ、と言われたら困るけど。ただそこに置いたら、ガスレンジで熱くなってしまって、それはそれで困るな、と熱避けを置いて」


 いやそれ以前に、ガスレンジを縦置きにするか普通、と私は思ったのだが。

 だけど、確かにそれ以外に置きようも無い感じがする。


「……確かに、幅がおかしい」

「そこは元々この流しとつながったガス台があってね。だけど今のこのガスレンジを置くには、位置が悪かったから、余ってた折り畳み机を使ってタイル貼りしてみたらぴったり」


 ……よく見てみると、確かに折り畳み机だった。開かない様に、ワイヤーで足をぐるぐる巻きにしている。

 その下には調味料が置かれていた。そう、この辺りには何の扉も無い。大丈夫か? という顔で彼女を見ると。


「……いや、見えないと忘れるんだよ」

「は?」

「本棚の時に言わなかったか? 私は棚に何が入っているのか、見えないと存在を忘れるんだってば」

「でも冷蔵庫も扉はあるじゃない」

「冷蔵庫は毎日何かしら開けることになっているから、いいんだよ。そうじゃなくて、納戸とか、食器棚とか、ああいうのあると、結局出してある食器しか使わなくなってしまうんだよな。ああいう風に」


 水切りのところを指す。確かに、コップと皿と箸やらスプーンやら。最低枚数が出されている気がする。


「で、だ。私はこういうタイプでどうしようもない。……多少は考えるし、考えたいし、改善できる点もあれば、したい。……けど、できるかどうか判らない。こういうとこの食器が嫌なら、自分で買ってきた方がいい」


 私は首を横に振った。


「汚いとか思わない?」

「思うことは、思う。でも」


 私は皿を一枚手に取る。


「あとで洗うよ。漂白もする。そのくらいは教わってる」

「ありがたい」


 彼女は肩をすくめた。


「いい様にあんたを使ってしまうかもしれないよ」

「居候だもの。変えていいとこならするよ。暇だし」

「……そうだな」


 そう、私は暇なのだ。

 ただここに休養するために来ている、暇な奴なのだ。

 だったら、まあ自分の過ごしやすい様にはできるだけした方かよさげだ。この叔母さんのずぼらさは何やらそのお母さん譲りっぽいし。


「ともかく今は、パンの成形しようよ」



 まずはまな板に強力粉を適当に広げ。そしてビニル袋を裏返して生地をおろす。


「スケッパーで切ってもいいけど、まあ、でかいケーキナイフでもいいんだよね」


 そう言って、生地をとんとんと適当に分けた。参考にしているという本を見ると、丸くして、それを八等分している様だけど。


「まあその辺りは適当」


 生地を丸める。その間に鍋を火にかけて。


「二次発酵?」

「……うーん、正直、どっちでもいいと思って」


 そのまま少し平たく丸めた生地を鉄板の上に置く。次にもう一つ、と全部で八個。ぐるりと丸く、真ん中に一つ。


「……で、とろ火にして、ふたをして」


 かぽ、と音を立てて金だらいが置かれる。びっくりするくらいぴったりだった。


「この大きさなら、だいたい」


 冷蔵庫に貼り付けてあるタイマーを10分でかける。


「これでしばらく置いておく」

「いいの?」

「いい。そういえば、こたつ、あっちに座るんでいいの?」


 あ、と私は気づいた。座布団がどの辺にも置いてあったので、適当に入ったのだけど。


「私は隣の部屋で寝てるから、そっちは勘弁」


 え、と「向こう」を見ると、渡した紐で吊られた布。よく見ると元々は引き戸があったらしい。

 そういえば、あちこちにその様な形跡がある。引き戸があったらしいところを外して、広い空間を作ろうとしたり、目隠し? の布を張ったり。

 確かにエアコンところじゃないはずだ。

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