卒業も就職も一度に駄目になった。
私は一月中、ずっと家に引きこもっていた。担当教官から電話があった。出たくなかった。出なかった。母か兄が代わって出てくれた。
二人の心配は見ていられなかった。見たくなかった。だから部屋の中に閉じこもった。
二人とも聞いてきた。何でそんなことをしたの。訳がわからない。もう一度書き直せば。
そんなこと言われても。
正直私自身、何でそんなことをしたのか、さっぱり判らなかった。今までの人生の中でも初めてだった。
「羽目を外したことは無い?」
父親は戸口で聞いてきた。無い、と私は答えた。本当に無かった。羽目を外す暇なんてなかった。外し方も知らなかった。
そっか、と父親は言った。
「大学は辞めたいかい?」
「そんなこと」
「じゃあ休学しようか」
「そんな、勿体ない」
「でも卒業できなかった。そして今卒論を書き直す気も無い。だったら書く気になるまで、行っても仕方がないよな」
「だけど……!」
「行こうという気が無いのに行っても仕方がない」
すっぱりと言い切ってくれた。
「だから一年、すっぱり休めばいい。ただし条件がある」
条件。私はそろそろと戸を開けた。
「一つは、休学の前に一応心療内科の診察を受けること」
「病気じゃないよ」
「診断書があると無いじゃ、先生の対応も変わるよ」
ただの怠惰で休むんじゃない。そういう証拠を持っていた方がいい、と父親はきっぱりと言った。
おかしなもので、そうあからさまに言ってくれると妙に納得がいった。それは母や兄の感情が先行したものと違った。
「君がそうなってしまったことは仕方ない。だからどうするかを何とかしなくちゃね。で、二つ目」
それが、少し離れた地方の叔母のところに行って住むことだった。
「けど叔母さんって、私と別に関係はない人じゃない」
「まああいつは物好きだから」
答えにならない応えをくれた。
*
無論母親は父親のその決定に微妙な顔をした。
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど、確かあのひと、一人で暮らすのがいいって、さっくりとお父さん有料老人ホームに入ってもらったひとでしょう?」
「まあ俺でもそうするがな」
「そうなのか?」
「俺の場合も、その時にはそうすりゃいい」
親父さん、と兄は咎める様に言った。父親は茶をすすりながらのんびりと言った。
「性格は皆違うんだけどな、親父もあいつも、そういうところは無性に似ていてな」
「でも普通は、多少でも居て欲しいって思わないかあ? 俺だったら、かーさんにはできるだけ家で老後迎えて欲しいよ」
「うん。だからその時、そうしたければそうすればいい。だけど俺は、俺らが夫婦で独立して暮らせる様に蓄えをしておくさ」
「俺のこと、頼っていいと思うんだけど」
「頼りにはしているよ。だけどそれとこれは別。何がいつ起こるか判らないだろう? あいつも、古い家で体を壊した親父が暮らしていくのはきついとか、いつまでも昼間一人でぼけぼけしているのは良くないとか、考えはしたらしい」
本音は別だけど、と後で知ったのだけど。
「でも、本当にそうやって一人でやっているカンコさんのところに、うちのが行っていいのかしら。血がつながっている訳じゃないのに」
「気になるなら、食費と下宿代少し入れればいいさ」
「でも」
食い下がる母親に、父親は珍しく決定事項だ、という意味のことを言った。普段この夫婦は、色々話し合ってきた印象があるんだが、この時は父親が押し通したということだった。
*
二月はじめにかかった心療内科では、軽い鬱だ、と言われた。一緒に来た両親は私を外した場所で何か言われたらしいが、その内容は聞かされていない。
「まあ、すぐにどうこうという感じではないから」
と、処方箋一枚出すでもなかった。
「もし不安やら自分で訳がわからない行動が起こったなら、引っ越し先で心療内科を探して行くといい。その時に必要なら、こっちからの手紙も出すから」
そうですか、と流されるままに、私は他人事のように自分への診断を聞いていた。
*
三月になる前に、私は 列車と新幹線、また列車にタクシーを使って、ここまでやってきた。
叔母さんは私の顔を覚えていなかったらしい。約束の時間にホームに出迎えに…… という予定のはずなのだが、誰もいなかった。
仕方なく駅の待合室に入ったら、「お前は一体何者だ」と言いたくなる様な、フードつきミリタリーコートとやたら暖かそうな帽子をかぶり、濃いめのでかいサングラスをつけた年齢不詳の女…… らしい人が、黙々と何やら読みふけっていた。
本ではない。束ねた紙を何やら、だ。凄く怪しかった。
時間は合っていた。念のため、スマホを掛けてみた。
低い音が響いた。怪しい人がバッグからガラケーを取り出した。私は苦笑した。確か私は覚えていたはずなのだが。ほっ、と彼女は顔を上げた。サングラスを取ると目を細めてやっと「ああ」と言った。
「久しぶり」
「叔母さん?」
「行こうか」
……今思うと、そのやりとりだけでよく付いていったと思う。彼女は私の名を呼びもしなかった。
タクシーの中で聞いたところによると、半分は「どう呼んだものだか迷ってた」もう半分は「ほとんど忘れてたから確証が無くて」だったという。
「人の名前って本当に覚えにくい」
叔母さんはそう言った。
「自分の名前だって時々忘れそうになるのに」
何ですかそれは、と私は思わず問い返した。
「普段呼ばれないからな。パートでは名字だし、それ以外ではネットのハンドルネームがほとんどだし」
ネットは使うのか、と問いかけると、ヘヴィユーザーだと答えた。
「来年で20年だね」
それは長い。
「ウィンドウズがだいたい普及して、ネットで夜中だけテレホーダイが使われるようになった頃かなあ」
「夜中だけ? っていうか、意味わかんない」
「昔は常時接続なんて無かったんだよ。それにクリックしても結構な時間つながるまで時間がかかるとか」
「うわあ」
ありえない、と私は思った。
「あんた等には想像できないだろうなあ」
「そりゃまあ」
そんな会話で始まってしまったので、何か当初から気合いもへったくれもなくなってしまった。
「それにしても…… 叔母さんミリタリー好きなの?」
「あー。好きって言えば好きだけど。別に集めてる訳じゃないな」
違うのか。
「だってこのコート、十年以上着てるし、そもそも古着だし」
「えええっ」
「こっちは新しく買ったけどね。滅多に買わないよ。……って言うか」
あー、と彼女は天井を見上げた。
「軍ものは、丈夫だし、防水がある程度利くし、あとここいらの冬には便利なんだよ」
「冬に?」
「ここいらは冬の強風地帯だからさ。私はいつもは自転車乗りだから、ある程度以上防寒できる服がありがたい……」
「は? 自転車?」
その時走っていたのは、湖を渡る橋の上だった。道路以外何も無い。ただただ風が吹き荒んでいるところだ。
「叔母さん車乗らないの!」
「乗らないというか、乗れないというか。うん、何年か前まではさっきの駅までバスも出てたんだけどね」
採算が取れないとかで、廃線になったのだという。
「だから自転車しかないんだよね。あんた乗れる?」
「一応……」
高校は自転車通学だった。
「そっか。じゃあ買った方がいい。じゃないと生活困るよ」
それは後でしみじみと感じた。
***
「ああ、終わったん」
下へ降りて行くと、何やらビニル袋を揉んでいた。
「何それ」
「パンの生地」
黙って目をすがめた。
「ホームベーカリーとかは……」
「無い。っか、こういう過程が楽しいのに何でやらせんといかんの」
ほら、と手渡されたビニル袋の中身がふにゃん、と手の中で崩れた。少し温かい。
「しばらく揉んだら、足の間にでも入れて暖めてて」
足の間、ですか。