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第3話 ばらの恐ろしいまでの生命力というやつ

「何で食われたんだろ」

「さて。それは当の虫に聞かなくちゃ判らないさ。ただ今年最初の食われた方の木がどれだけ食われるが見物だけどな」

「見物って」


 げ、と私は顔をしかめた。


「連中が学習するなり伝達するなり、そういうことがあるんなら、今度は木のアジサイも食われないんじゃないかな、って。まあノイバラを取ってしまったせいもあったけど」

「ノイバラ」

「可愛いんだけどね。白くて。他のばらの苗木にもなる。ばらの基本形だからね。だけど何つか、ものすごい生命力で」

「増えすぎた?」

「切っても切っても伸びてくる。本当によく虫に食われるんだがそれもおかまい無し。うちの親父はトケ嫌いでね、ともかく好きじゃない、って言ってたけど、……まあさすがに気持ちがわかるようになった」


 叔母さんは苦笑する。


「綺麗なだけですめばいいんだがね、どうしても他の植物との生存競争した場合に強すぎてね。他を手入れする時に邪魔になるんだ」

「白い花は綺麗なんでしょ?」

「本当に野にある場合はな。もともとは浜辺にあった奴を挿し木したんだ」

「浜辺で育つの!」

「それだけ何も無いとこでも育つんだよ」


 それだけ強靱だから、他のばらの台木にもなりやすいんだという。


「裏にやけにトゲトゲが細かい木あったろ」

「うん」

「あれはハマナス。タイプは違うけど、やれもバラ科の原種でな。北海道では実でジャムとか聞くけど、残念なことに私は咲いている花を見ることも滅多にない」

「咲かないの?」

「いや、どうも見逃してるらしい」


 そう言って、彼女はキョウチクトウの下の木を指す。


「で、こっちがあんたの親父のばら」

「だけど父さん、今もう五十……」

「私の三つ上だったな、確か。だから、あ~」

「……凄い生命力」

「全くだ」


 しかも、と彼女は苦笑しながら付け足した。


「元々奴は一本だけのそれをウイスキーだかブランデーのびんに挿してたんだよ。暗いガラスのな」


 はて。それがどうしたんだろう。


「奴は何か、花が落ちても適当に水をやってんだと。だけどなかなか枯れない。で、おかしいと母親に見せたら、何か中で根が張ってたんだと」

「ええっ」


 驚いた。まじで驚いた。そんなことが。


「笑えることに本当に事実なんだよ。で、理にはかなってる。根は暗いところの方が伸びやすい。たまたま奴が挿したのが、暗いびんだったのと、気にして何度も見てしまうことなく放っておいたのが良かったんだな。毎年赤い花つけるよ。いい香りだ。挿し木をしても結構よくついてくれる」


 はあ、と私は言うしかなかった。


「まあ入ろうや。今日のバンを仕込まなくちゃならない」



 入ると更に雑多だった。だがまあその辺りはいったん置いておくことにした。私も決してピカピカの綺麗好きという訳ではないので、我慢できない程ではない。

 そのまま奥に進み、やはり塗装途中の暗い廊下に手作りらしい灯りをつける。電源に直接つながっているソケットに、和紙でカバーをつけただけのものだ。

 そのままやや急な階段を上る。ちょっと怖い。

 上りきると、床板がぎい、と音を立てた。


「増築した時に安普請だったから、と言ってたからなあ…… まあ私でもつぶれないから、あんたなら大丈夫だ」

「叔母さんそんなに重いようには見えないけど」

「何を言う。これでも70キロは超えてるぞ」


 ……そうは見えないが。まあ自分はそれよりずっと少ないので安心する。

 右手の戸を開くと、六畳間だった。


「あんたの部屋は基本ここ。荷物はおいておいた。私は二階は使わないから、あとの二つも自由にすればいい」


 と、「あとの二つ」を見る。

 上って左の南北にやはり戸がある。


「奥は私の父親の部屋だった。中に本だの座卓だの置いたままだ。南側は私がずっと使ってた。……んだが、ひどい有様だからな。使いたいんだったら、さすがに私も片づけようと思うから、声をかけてくれ。こっちは四畳半だ」

「え、じゃあこっちは誰の」

「元々はあんたの親父のために作った部屋だった。しばらくは親父が使ってたが、まあ今は無人だな」


 東と南に窓。障子がカーテン代わりになっているらしい。


「布団は干しやすいと思う。それと風も通りがいい」


 確かに。


「本棚の中は、あんたの親父が残してったものがそのまんまだから、何か見つけてからかってやってもいいぞ」

「へっ」


 そんなに長く放ってあったのか。


「興味の無いものばかりだったし、本人がどう思うかねも知らなかったし、まあ母親が生きてた時に、処分も何も言わなかったから、放っておいたんだよな。私は元々このタイプの本棚は使わないし」

「へ? どうして」

「扉がついてるだろ」


 確かに。観音開きの扉がついている。叔母さんは両手で一気に開けて見せる。


「ほれ、開けないと何も判らないだろ? それだと入ってるものを忘れるからな。私には向かない。お、懐かしいな、ルービックキューブじゃん」


 でも直せないから使わね、と彼女は呟いた。


「私は遊んでもいいの?」

「いいさ。まあ捨てたいと思ったら、一応あんたの親父には許可を取るんだよ。あんたより若い時の手紙とかもあるかもしれないし。奴は高校卒業と同時にここを出て、それ以来住んだことはまるで無いから」


 それは…… 興味がある。


「あ、でも叔母さんは何処で」

「私は一階全部が巣の様なものだからね。まあ後で下に来れば、すぐに判るさ」


 荷物の整理をしたら台所へ来いよ、と彼女は言い置くと、とんとんと階段を下りていった。

 残されて、私は障子や窓を両方開けてみる。雨戸――― はシャッターだ。下とは違う。

 障子も何度か南側は張り替えされた跡がある。一方、東側には手がつけられていない。少し触れると、かりかりに乾いた紙が破れた。

 畳の上に絨毯が敷かれている。掃除機は掛けてくれてある。

 白木のたんすが一つ。タオルが少し入っているだけだ。これもどうやら好きに使えということだろうか。

 私は自分のもってきた荷物をちらと見る。手持ちは鞄二つだけだ。送られてきたのは、布団と衣類だけ。

 勉強関係は――― 置いてきた。

 また見る気になったら、送るから、と母は言った。

 そう、今は見たくなかった。

 出す直前に破棄してしまった卒業論文に関わるものは。


***


 私が卒業も就職もおじゃんにしたのは、そのせいだった。

 卒業論文の締め切りは一月。十二月にはもう完成していた。就職はもっと前、夏には決まっていた。

 だが何故か、本当に何故か判らないけれど。

 大晦日、友人と遊んで帰って来た時、ふらふらと自室へ向かった私はパソコンを床に叩き付けた。

 その音に驚いた兄が見つけた時には、中のディスクを踏んづけていたらしい。

 らしい、という辺りが困ったところなのだが、私にはその記憶がおぼろげだった。

 あーあひどい、と滅茶苦茶になったパソコンを拾い上げて、兄は低い声でうめいていた。


「でもまあ、卒論できてたんだろ、それだけは良かったよな」

「出してない」


 私はぼつんと言った。


「はあ?」

「プリントアウトしてない。最新版は」

「その前のは」

「出して修正食らって書き直したら捨ててたから」

「何だよそれ」


 そして私が踏みつぶしていたハードディスクを摘み上げて。


「復元業者に頼むか……」

「……いいよ」

「いいよ、ってお前」

「わかんないけど、いいんだ」

「ちょっと待てよ」


 私はその時妙な方向を見ていたらしい。じっとしていろよ、と兄は私の肩に手を当ててベッドに座らせた。廊下で声がした。電話をしている様だった。母親宛だった。

 大晦日でも――― だったからこそ、両親はまだこの時家に帰ってきていなかった。会社の得意先に挨拶に出ていたのだ。


「……なあ、メシ食いに行くか」

「え」

「どうせまだしばらく二人とも帰ってこないし。正月料理も用意してあるし」

「でも」

「ともかく出ようや」


 そう言って兄は私を外へ連れだした。もう周囲は暗くなっていた。

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