目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
緑のトタン壁の家にて~叔母さんと一緒
江戸川ばた散歩
文芸・その他純文学
2024年12月17日
公開日
63,743文字
完結
卒論が書けなくて義理の父の妹であるところの「叔母さん」が一人田舎で住む家に居候することになった「私」。
その辺りにあるもので何か作ったり、格別な収入がある訳ではないけどのほほんと楽しく生きてそうな「叔母さん」との何となくライフ。

第1話 裏庭には庭がある

 どうしたんだ、と叔母は言った。


「立ち止まってちゃ入れない。それとも、裏庭でも見るか?」

「裏庭が…… あるの?」


 すぐ横にでかい家があるというのに。

 ある、と叔母は答えた。こっち、と手招きする。

 緑の錆だらけのトタン壁、草がぼうぼうに茂っている細い路地(?)を進むと、やがて視界が開けた。


「裏庭には庭がある」


 言ってから、違ったかな、と呟くと叔母は首を傾げた。小さなポリカーボネットの小屋、まだ葉がつきだした木が何本か。足下には無闇にもしゃもしゃとした草が。


「昔から蛇のひげだらけでな。知ってそうなのは…… あっちがカラスノエンドウ。で、ちょっと前にソバとトウモロコシを蒔いた」

「畑?」

「って程でもないからなあ。庭だ庭」


 頭をかきかき、彼女は進む。足下に気をつけて、と付け足して。わ、と一瞬踏み外しそうになる。段差。

 叔母は考えると、右手へ向かった。隣の家との境がある。薪が積まれていた。


「お隣は、薪ストーブがあるんだよね。ほら煙突」


 確かに。


「で、このでかい葉はオオタニワタリ」

「オオタニワタリ?」

「と、親父は言ってたな。昔まだ、この町が九州からの出稼ぎの人があった頃、もらったんだって」

「出稼ぎ?」


 こんな寂れた町に、と言いそうになる。

 だってそうだ。ここに連れてきてもらったのも、タクシーだった。叔母はバスがあったら簡単だけどね、と言っていた。どうやら無いらしい。かと言って、自家用車を持っている訳でもないらしい。通ってくる家々には車が当たり前に、時には一軒に二、三台あったが、この家にはその気配は全く無い。

 そんな町に出稼ぎに。


「昭和三十年代くらいかな。小さな町工場が沢山あったらしい。親父はまあ、その幸せな世代かな」

「幸せ?」

「朝八時に出かけて、昼を食べに帰ってこれて、一時にまた出てって、夕方六時には家に居たな。土曜は半日。残業の記憶は、少なくとも私には無いね」

「信じられない」

「今じゃね。正社員でそれっていうのはまずないだろ。まあその分、給料がもの凄く高いということは無かったが、年金は綺麗に出たから、悠々自適な……」


 彼女はそこで少し言葉を切った。


「まずまずの人生だったんじゃないかな」

「叔母さんは?」

「私か?」


 ふい、と彼女は私の方を振り返った。大きな木を振り仰ぐ。


「まあ、結構幸せな方だと思うよ」


 今度は私が首をひねる方だった。


「これは梅。何の種類か知らなかったんだけど、実のでかさから南高梅っぽいんじゃないか、って以前にお隣さんから聞いたんだけど」

「そこの?」

「いや、もう片方の」

「だけど」

「うん、東のお隣があった頃だな」


 現在は更地になっている、東側にもかつては隣家があったということか。


「この家はこの辺りで、昭和三十年代にぽつんと親父が建ててな」


 錆の入りまくった壁を思い返す。


「建て増しを少しずつして、まあ、今の形。不完全なまま、私が引き継いだ」


 これも、と梅の木をたどりながら北側へと抜けていく。一段高い向こう側には北側の隣家が数件見える。

 梅の木は全部で三本あった。


「六月に入ったら、地面にネットを敷く」

「何で?」

「実が落ちるから」

「取るんじゃないの?」

「そんな高さか?」


 そう言って、くくっ、と叔母は笑った。見上げる。思わずぐらり、とめまいがする。慌てて叔母は手を出す。

 三本ともかなりの高さがあった。さわさわと揺れる葉の隙間から差し込む陽がまぶしい。


「まだ小学生の時に、スケッチをしたことがある。その時もうちゃんと実をつけてたな」

「凄い、古いんだ」

「古いな。でもまだ現役で花も実もつけてくれる。大役立ちだ」


 だがな、と彼女は言うと、ぽきんと小さな枝を折った。


「こうやって枯れてしまうものもある。そういうのは適度に取らないとな」

「いけないの?」

「生きてる枝でも、こんな風に」


 絡まっている枝々を手にする。解く。


「解けるものならいい。だけどどちらかがどちらかの成長を邪魔する様なら、ある程度は刈り込んでやらなくちゃならない。本当はこんなに大きくしちゃいけないんだ」

「何で?」

「大男、総身に知恵は回りかね」


 私は首を傾げた。


「でかすぎちゃ、水も栄養もなかなか回りかねる。光合成するにも、日が当たらないところも出てくる」

「じゃあ何でそうしなかったの?」

「さてな」


 そう言うと、叔母はサングラスの下の目を細めた。


「それは私には判らんよ」


 梅を抜けると、何やらやわやわとした木が細い葉を茂らせていた。右手には、ひどく細かいとげを持った木が何本か並んでいる。


「本当は、ノウゼンカズラが欲しかったんだが、ヒメノウゼンしかなくてな」

「違うの?」

「違う。ノウゼンカズラは、こんな大きな花が真夏直前と、夏の終わりに咲いて、ぼとんぼとんと落ちてくのだけど、ヒメノウセセンは、……そうだな、小さな花があちこちに、……ジャスミンの方が花の形は近いのかな」

「ジャスミンが判らないよ」

「じゃまた後で探してみればいい。箱、もってるだろ」

「箱?」

「パソ」

「スマホで十分だよ」

「大学生じゃなかったか? サナカは」


 それを言われると痛い。


「大学生だからって、皆バソが打てる訳じゃないよ」

「じゃ何でレポートを? 今さら手書きってこたないだろ」

「結構あるよ、今しゃ」

「パソのワープロじゃないとあかん、ってちょっと前に私は言われたがね」

「先生によるよ」


 へえ、と叔母は肩をすくめた。彼女は自称五十歳なのだが、数年前に二年間だけ大学院に行っていたらしい。

 私が今、ここに居るのはそのせいもある。


 ―――どうせ休学するんでも、全く勉強から遠ざかるのもね。

 ―――カンコさんは変わってるから、家が本だらけだし。

 ―――……大丈夫か? 片づけとかさぜられるんじゃないだろうな。あいつは昔から……

 ―――確かあのひと自身も、医者通ってたんじゃないの? いいの?

 ―――いや、通っているだけで、安定しているからいいらしい。逆に多少なりとも事情が判る方がいいんじゃないかな。


 皆言いたいこと言ってくれちゃって。


「……で、ここにソバとトウモロコシ。もうじきカボチャとサツマイモを育てようと思うんだけど」

「ナスとかトマトは?」

「まだハードルが高い。それともあんたやる?」

「あー……」


 さすがにそれは。


「秋になったらライムギを植えたい」

「ライムギ?」

「いや、一緒に蒔けるかな、と思ったんだけど、どうも時期を間違えたらしくって」

「いやそうじゃなくて」


 ライムキってあのライ麦だろうか。パンの。


「そうだよ」


 訊ねると即答した。


「小麦大麦も考えたんだけど、とりあえずアマゾンで扱ってるのがそれしか見つからなくて。時期の問題だろうな」

「いやそうじゃなくて」


 何で麦。


「一応野望はある」

「野望」


 思わず眉を寄せた。どんな野望だ。


「収穫して粉に挽いてみたい」

「……何でまた」

「あ、そうだ、言ってなかったけど、ウチの主食はパンだからね」


 困る? と彼女は聞いてきた。


「もし困るんだったら、それは自分で炊いてね。私はパンこねが好きでな」

「はあ……」


 それ以前に、まともに食事を作ったことすらないというのに。


 ―――まあ、いろいろ経験してくればいいさ。


 父親はそう言った。

 と言っても、血はつながっていない。母の再婚相手だ。

 三度目の結婚だという。

 私は五つ上の兄と一緒に、小学生の時に新しい父と、関東地方の住処を手に入れた。それまでは山がちの場所だった。忙しい彼は、都心と連絡がスムーズな海よりの近県に住んでいた。場所が場所だったので、なかなか憧れがあった。


 だが、そこに落とし穴があった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?