その人は一目で見て、人間ではないと分かった。
額に十字の印があり、青い獣耳と尻尾を生やして、黒と青の戦闘装束を羽織った白銀の髪の女性で……
見たこともない程に美しい姿に、自分が置かれてる状況を忘れてしまう程、私は見惚れていた。
「…………ん、小娘?どこか怪我でもしているか?」
「………っ!?」
心配そうに覗き込んでくる切れ長の青い瞳を見て、私はハッと我に返る。
「す、すみません!私は大丈夫ですっ!」
「ふむ、そうか……。すまんが、このまま摘まれておれ。でなければ、此奴に食われかねないのでな。」
そう言って、獣人の女性は私の襟首を摘まんだまま、モヤの化け物を睨みつける。
今更気付いたが、あれほど暴れて騒がしかったのに、ビックリするほどモヤは静かになっていた。
襲いかかってきたモヤを改めて見ると、狼のモヤの首にあたる部分から下が氷漬けにされていたのだ。
女性は私の襟首を掴んだまま、呆れたように口を開く。
「まったく……、腹が減って気が立ってるのは分かるが、人間まで喰らおうとする奴があるか、バフォロスよ。」
説教をする女性に、バフォロスと呼ばれたモヤはまるで怒られた子どもの様に俯いて薄れていき、最後には縮んで地面に空いた穴へと引っ込んでいった。
「はぁ……、逃げおったか。すまんな、連れ………なのか、アレは?まぁ、よい。連れが失礼を働いたな。」
「は、はぁ………。」
モヤが引っ込んでいくのを確認して、女性が私を下ろしながら謝罪をしてくれるので、この状況に追いつかない頭で曖昧に返事を返した。
先程のモヤもそうだが、頭が追いつかない理由は他にもある。
目の前の女性だ。
「あの、助けていただいてアレなのですが……。」
「ん?何じゃ、申してみよ?」
目の前の女性は本当に不思議そうに私を見て小首を傾げる。綺麗なのにどこか可愛らしい反応をする女性に少しおかしくなりながら、私は気になった事を聞くことにした。
何故なら、先程のモヤに襲われた以上に、今は危険な状況かもしれないからだ。
「貴女は……高位魔族の方、ですか……?」
それを言われた女性は暫し黙ったあと「ああっ。」と気付いた様子で声を上げる。
「そうじゃ。妾は汝らの言うところの高位魔族だ。」
「驚いたか?」と尻尾をパタパタと振って子どものように目を閉じて笑う女性に、私はいよいよ死を覚悟する。
(やっぱり………、)
そう。この女性こそ、その穴の底から感じた気配の一つだったのだ。
高位魔族とは、魔王と同じく神に等しい力を持つ魔族と伝え聞かされている。
勝てる訳などないし、逃げられなどしない……。私は覚悟を決め、震えながら青い顔で質問をする。
「私は……」
「ん?」
「………ここで殺されるのでしょうか?」
「…………なんじゃって?」
「……え?」
「何を言っているんだ、コイツは。」と言わんばかりの顔で、女性は私を見てくる。
「だって、高位魔族ですよね?」
「ああ、そうじゃ。」
「なら、私なんて簡単に殺ふぇっ?」
「……本当にさっきから何を言っておるのじゃ、お主は。」
心底呆れた顔で私の頬を摘んで女性は言う。
「妾達、高位魔族をそこらの魔族やなんの役に立っているのかも分からん物盗りの人間どもと一緒にするでない。我等、高位魔族は無闇に他の命を奪うマネなどせんわ。」
「よいな?」と頬から手を離して、そのまま摘んだ部分を包むように撫でられるので、顔が赤くなるのを感じながら、私は黙って頷く。
「うむ、それでよい。それで、汝の名は?」
「あ、はい……アリス。アリス・リアドールといいます。」
「アリス、か。妾の名はフェンリルじゃ。よろしくな?」
「はい、よろしくお願いします!フェン、りる、さん………?」
「………そうじゃが?」
差し出された手を握り返しながら、その名を聞いて固まり、そして………
「えぇぇーーーーーーーーー!!?」
この先、ここまで驚く事は無いだろうというほど、私は大きな声を上げて驚いた。