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第16話

 一時間はあっと言う間に過ぎた。



「それでは各チーム無事に料理ができたということで、それぞれ発表していただきましょう! まずはアリッサさまたちのチームから!」


「わたくしたちは、シチューを作りましたわ! こだわりのポイントは、とにかくおいしいものが多いという点でしょうか」


「シチュー……ね」



 ライシは転生してはじめてシチューというもの食べた。


 味噌汁とは違うその汁物は白かった。


 最初こそ不安しかなかったが、いざ口に含めばとろりとした甘さが口腔内にぱっと広がり、野菜や肉による旨味もしっかりと凝縮されている。


 舌鼓を何度も打った。それだけの強烈な記憶があるだけに、テーブルの上に鎮座するそれにライシは目を見開いた。


 毒々しい紫色は目に大変よろしくない。鼻腔をつんと突く香りは強烈の一言に尽きた。


 いろんな具材がぷかぷかと浮く様は、まるで死体のよう。どろりとした質感はもはや沼といっても過言ではない。


 とてもではないが食べられたものではない。ライシは内心で滝のような冷や汗をどっと流した。



「こ、これは実に個性的なシチュー? ですね。いやぁ素晴らしい、とても初心者が作ったものとは思えないぐらい見事な出来栄え!」


「……ニスロクさん、めちゃくちゃお膳立てしてますね」


「本音を言って殺されないのは貴様ぐらいだぞ、小僧」


「だからって俺も馬鹿正直に言いませんよ」


「そ、それでは続きましてシルヴィ様! シルヴィ様が作られた料理は!?」


「余はこれだぁぁぁ!」



 どかっと置かれた料理にライシは感嘆の息をそっともらした。


 熱々の鉄板の上で尚もじゅうじゅうと焼かれるそれはステーキだった。


 一見するとてもシンプルなもので大した見栄えもない。しかしアリッサたちの料理を目にした後だと、ずっと輝いていた。


 香ばしい匂いと見た目は、それだけで食欲を大いに促進させる。これは食べたくてもおいしいだろう。ライシは確信した。


 極端に対照的な二つの料理が並んだ。後は、どちらが優れているか審判するのみ。方法は言うまでもなく、実食すること。



「まずは……こっちから食うか」



 ライシはアリッサたちのシチューに手を付けた。


 本音を吐露すれば食べたくない。スプーンを持つ手が無意識に震えてしまう。


 たったの一口がどうしてもなかなか進まない。


 死にたくない。ライシは、ちらりとアリッサたちのほうを何気なく見やった。


 今にも泣きそうな顔をしていた。エプロンの裾を強く握りしめるその手はわずかにだが震えていた。


 見なければよかった。妹たちのあんな顔を見てしまったら、無下にするのは無礼というもの。


 覚悟を決めろ。ライシは強く自らにそう言い聞かせ――ついに口に運んだ。



「……え?」



 ライシは素っ頓狂な声をもらした。



「どう? ライシちゃん、おいしい?」


「独特な色合いと匂いだが……というか大丈夫なのか?」


「小ぞ……ライシ様、大事ないですか?」


「……味がなんもしない」


「え?」



 他の審査員が今度は間の抜けた声をもらした。



「いや、臭いはあれですけど本当になんの味もしないんですよ。肉とか野菜とか入ってるのに、おそろしいぐらいの無味です」


「そんなバカな……」



 そう口にしたアモンも、一口食べて「確かに」と、もそりと呟いた。


 いろんな意味で奇跡が起きた。まずくもなければうまくもない。かと言って食べられないわけでもなし。臭いは、我慢すればどうとでもなる。


 口腔内に広がる違和感は途方もなかったものの、ライシは残すことなく平らげた。触感だけは、なんとも言えない絶妙なものではあったが妹たちの名誉のためそっと胸の内にしまった。



「これはなんという奇……いや番狂わせ! 無味の料理とは私ニスロクもはじめてのことでどうコメントしてよいかわかりません!」


「まぁ、胃を満たすという点については合格ですね」



 まずくはなかったが、できることならば二度と食べたくない。ライシは切にそう願った。



「それでは続きまして、シルヴィ様の料理です! 審査員の皆さま、実食のほうをよろしくお願いします!」


「これはまぁ、大丈夫でしょう」


「匂いも見た目も申し分なしだな」


「ふふふっ、さすが我の娘だな!」



 ステーキだから外れはない。そう確信してライシは早速口に運んだ。



「ぶほっ!」



 口にしたステーキを思わず吐き出してしまった。



「な、なんだこれ……!」



 どうしてこのような味付けになってしまったのだろうか。ライシはステーキをいぶかし気に見やった。


 焼き加減や触感は申し分なかった。代わりに異様なぐらい甘い。それこそ例えるなら砂糖の塊を直に食べたのかと錯覚してしまうほどに。


 強烈な胸やけにそれ以上食べたいとは思わない。実母であるファフニアルもこれは予想外だったのか。一口食べてからすでにフォークとナイフを置いてしまっている。



「……よ、余のお料理そんなにだめだったかな……」


「……いいや。ちょっと……いやかなり甘いだけで食べれないことはない。さっきのは、少し驚いてしまっただけだ」



 現環境はとても裕福だった。ほしいものは大抵手に入るし、食料だって豊富にある。


 質素な食事ばかりだった生前と比較すれば、明らかに豪華になった。


 それでもライシはその環境に決して甘んじることはなかった。米一粒でさえも残すのは罰当たりである。


 ましてやこれは幼馴染が一所懸命に作った料理だ。たとえ他が手を止めたとしても、自分には彼女の料理を完食するという責務がある。


 シルヴィの泣き顔は、見たくはない。ライシは大きな口を開けると、そのまま一気にステーキにかじりついた。


 途端に強烈な胸焼けが襲った。


 噛むほどにあふれ出る肉汁は――いや果汁のような甘さが咀嚼する意志をことごとく奪う。


 飲み込みたくない、吐き出したい。そんな本音をライシは強靭な意思によって無理矢理抑える。


 シルヴィが泣きそうな顔でこちらをジッと見ていた。女の泣き顔にはどうも弱い。ライシは自嘲気味に小さく鼻で笑った。


 いつの間にか周囲からは声援がわっと上がっていた。たかが料理を食すだけだというのに、これではまるで戦いのようではないか。シルヴィに対していささか失礼だと思わなくもないが、けれどもある意味これは戦いである。


 なにがあろうと決してあきらめたりはしない。ライシはついに、最後の一口を食べた。


 大きな歓声が食堂内を包んだ。席から立って万雷の喝采を送る者までいた。感涙されるだけのことは、特にしていないのだけれども。ライシは苦笑いを浮かべた。



「ラ、ライシ様完食ー! 強大な敵を前にその食べっぷりは見事という他ありません!」


「敵っていうのはやめてあげてくださいな……うっ……」


「それでは、二チームの料理も実食したところでいよいよ審査員たちによる結果発表を行っていただきたいと思います!」



 そんなものは、言うまでもなかった。


 ライシが出したその回答に食堂内がざわついた。


 中でも特に困惑していたのがアリッサたちとシルヴィである。



「な、なんとライシ様! アリッサ様たちとシルヴィ様……両方のチームのプレートをあげているー!」


「当然の結果だと思いますけどね……うぷっ」



 この戦いに真の勝者はいない。それがライシが下した結論だった。


 当然ながら、この結果に不服を申し立てる者達がいた。今回の主役ともいうべき彼女たちである。



「ちょ、ちょっとライシお兄様! 引き分けってどういうことですの!?」


「そうですわぁ! エスメラルダたちがんばりましたのにぃ……」


「納得できないよお兄ちゃん!」


「異議ありだ! 異議あり!」


「ライシにいちゃ、どうしてだめなの!?」


「ライシ、引き分けだなんて余は認めないからね!」



 自分達が勝つ、そう信じて疑っていなかっただけに引き分けという曖昧な結果が許せないのだ。


 気持ちは、わからないでもない。だからといって今更結果を覆すつもりは、ライシには毛頭ない。これはすべて純然たる結果だ。忖度もなければ贔屓も一切ない。



「うっ……ふぅ……それじゃあどうしてこうなったのか言うぞ? まずアリッサたちの料理は見た目はまぁ……あれだったな。無味無臭なのも逆に驚かされた。シルヴィの料理は見た目、匂いは完璧だったけどあれはいくらなんでも甘すぎる。肉本来のうまみが強烈な甘みですべて台無しになってしまってるのが惜しかった。それらを考慮してこの結果とさせてもらった」



 せめてもの救いは、我慢すればなんとか食べられたことであった。


 二度と口にしたくはない。今後するならば双方共にもっと練習するべきである。


 その辺りはニスロクがきっと、アリッサたちをうまく指導してくれるだろう。ライシはそう思った。



「え~と、それでは今回の料理は引き分け……という形でよろしいでしょうか?」


「異議なし」


「そうねぇ。みんなとってもよく頑張ったと思うわ!」


「これを糧に更に高みを目指せばよい」


「他の審査員たちも同じ意見ということで、第一回料理対決は引き分けという形になりました! 皆さん、今回がんばって料理を作られた両チームに盛大な拍手をお送りください!」



 万雷の喝采が上がる中で、ライシはそっと食堂を後にした。


 とにもかくにも、すさまじく気持ちが悪い。


 一刻でも早く医務室にいって薬がほしい。こんな時に石田散薬でもあればよかったのだが……。



「副長の実家の薬……結構効いたからほしいなぁ」



 ライシはもそりと呟くと、その顔にわずかな笑みを浮かべた。


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