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第12話

 アリッサたちの表情は終始暗く冷たい。


 常人であればこの時点で辞退するだろう。


 彼らに辞退する兆しは微塵もなかった。それどころか頬をほんのりと赤らめてさえいる。


 彼らは、正気なのだろうか? 地獄のようにすっかり冷え切ってしまった大ホールを目前に、ライシはそんなことをふと思った。


 アリッサたちは加減というものを知らない。そのためつい誤って惨殺してしまうなどということは頻繁だった。


 スイカのように呆気なく頭を吹っ飛ばされた冒険者をつい思い出してしまう。あれは、なかなか無残な光景だった。



「……今すぐにでも止めたほうがいいんじゃないですかね?」


「それは不可能だろうな」



 アモンが小さくかぶりを振った。



「あの者達を見ろ。すっかりアリッサさまたちに惚れてしまっている様子だ。追い返すとなれば、よっぽどの事態でも起きない限り不可能だろう」


「その、よっぽどの事態っていうのは?」


「そうだな……アリッサさまたちの機嫌を損ねて大暴れする、とかだろうか」


「それ結局地獄絵図が生まれるだけですね」



 彼らが自主的に辞退するしか、生きる道はないようだ。


 せめてどうか、この大ホールが朱に染まらないように。ライシは切にそう祈った。


 今回の婚約者選定の内容は、至ってシンプルなものだった。


 一人ずつ順番に自分を精一杯アピールするというもの。内容としては至ってシンプルなもので大変わかりやすい。


 魔物の多くは、自分に絶対的な自信を持っている。果たしてそれはどこからくるものなのか、定かではないが。



「――、俺の名前は……」


「興味ありませんわ」


「――、オレ様の特技は……」


「あらあら~お帰りはあちらですよぉ」


「――、私と結婚してくれたら絶対に君を」


「あ、僕そういうのいいかな。じゃ、そういうことだからバイバイ」


「――、やらないか?」


「は? 死ねよゴミカス。ぶっ殺されてぇのか?」


「――、はぁはぁ……ク、クルルたんかわゆす」


「ねぇこのおじさん気持ち悪いよぉ……」



 結果的にいえば、惨敗という他なかった。


 どれだけ自分をアピールしようとアリッサたちの心にはまったく響かない。


 そればかりか対面時よりも更に冷たくなった視線が、容赦なく婚約者候補たちを突き刺した。


 今すぐにでも暴れ出しかねない雰囲気に、いよいよライシは逃走する準備に入った。


 アリッサたちが本気で魔力を使えば、大ホールはあっという間に消し飛ぶだろう。さすがに巻き込まれたくない。



「――、我が娘たちの婚約者に相応しい者は一人もいなかった。よってこの話は白紙に戻そうとする。今日は遠路はるばるよくきてくれたが……お帰り願おう」


 いつも優しい口調の母が、今は魔王としての一面で振る舞っている。


 威厳のある言動だった。なにげない仕草一つでも畏怖してしまうぐらい力強く、それでいて恐ろしい。



「ちょ、ちょっと待ってくれよ! こんなの納得できるわけがないだろ!」


「そうだそうだ! こんなものは我は到底認められぬぞ!」


「自己紹介だけで推し測ろうとするなどいささか浅はかがすぎるのではないか!?」



 これに異を唱える魔物たちが次々と現れた。魔王を相手によく食って掛かれるものだ。彼らは、己の命が惜しくないのだろうか? ライシははて、と小首をひねった。


 ライシは生前、常に死と共にあった。二十四時間ずっと休まらない。それがずっと絶え間なく続くのだ。これを地獄という意外に相応しい言葉をライシは知らない。


 実際、そうした日々に嫌気がさして逃走する隊士も極めて多かった。


 若く、ただ新撰組という看板を掲げちやほやされたいと浅はかな願いを抱いた者たちも少なからずいた。


 当然ながら、彼らは等しく士道不覚悟としてもれなく断首されている。


 新撰組に入っておきながら簡単に脱退できると思うその心構えこそが愚かなのだ。


 魔物たちも常に死と隣り合わせにある。だからこそ魔王アスタロッテと対峙しても恐れないのかもしれない。



「では、わたくしが代表して言わせていただきますわ」



 アリッサが一歩、前に出た。


 さっきまで上がった不満の声もそこでぴたりと止んだ。


 何を言い出すつもりでいるのか。いぶかし気に見やる魔物たちと同じように、ライシも固唾を飲んで見守った。



「あなたたちからはライシお兄様のような魅力がまるで感じられませんわ」


「おいおい、そこで俺を出すのかよ……」



 猛烈に嫌な予感がした。アリッサはなにか、とんでもないことを口走ろうとしている。


 止める者は誰もいない。アモンに至ってはとっくに隣から姿を消していた。面倒事になると先に逃げたのだろう。


 実に薄情者な悪魔だ。あくまで契約上の関係なので彼がそこまで面倒を見る道理はなし、行動についても極めて的確な行動といえよう。それだけにライシは、この場にいないアモンを恨んだ。



「ライシお兄様はわたくしが知る中でももっとも賢く、気高く、優しく……そしてお強い。正しく運命のヒトと呼ぶに相応しいお方ですわ。あなたたちにそれだけの魅力がおありですか?」


「だ、だったらそのライシってやつをぶっ倒せばいいんだな!」



 そう口走った魔物の頭が粉々に吹っ飛んだ。


 じゃらじゃらと音を鳴らして地を這うそれは、アリッサの手に繋がれている。


 モーニングスター……鉄球に突起がつくことによってより殺傷能力を高めた武器だ。


 可憐で気品ある彼女にはいささか不相応な武器ではあるが、これによって数多くの冒険者がその命を無様に散らしたのもまた事実である。



「口を慎みなさい下郎ども。わたくしたちの前でライシお兄様を愚弄するのは万死に値しますわよ」



 アリッサの視線は氷のように冷たく、猛禽類のように鋭い。


 濃厚な殺気が大ホールを瞬く間に包んだ。あれだけ威勢のあった魔物たちも、怒りを露にしたアリッサを目前にすっかり気圧されてしまっている。


 他の姉妹たちも同様に、殺意と共にそれぞれ武器を手にした。



「ライシお兄様のことを悪くいうヒトはぁ……ぶっ殺すしかないよなぁ」


「やばい。エスメラルダのやつ本気で切れてやがる」


 エスメラルダの口調が変わるのはいつも決まって彼女が激怒した時だ。


 姉妹喧嘩の時でさえもおっとりとした口調を貫くエスメラルダだが、真に怒った際のエスメラルダはひどく荒々しい。口調だけでなく性格さえもがらりと豹変することから、怒らせてはいけないという暗黙の了解が周知されるようになったほどである。


 これ以上はさすがに見ていられない。ライシは二階から大ホールへと飛び降りた。


 高さは六間約10mはあるが、ライシにとってはこの程度は造作もなかった。


 わずかな突起などを足場にし、失速しながら地に降り立つ。ふわりと音もなく着地するその様はさながら一枚の羽根が舞い降りたかのように静かで穏やかなものだった。



「ライシお兄様!」


「そこまでだお前たち。これ以上、この城を血で汚れてしまうのはさすがに看過できない」


「こ、こいつが……」


「なんだか、人間みたいなやつだな……」



 怪訝な眼差しと共にどよめきが起きる中で、ライシは咳払いをした。



「あーえーっと……とりあえず皆さん、今日のところはこれで帰ってもらえませんか? これ以上ここで言い争っても時間の無駄ですし。それに無駄に命を落とす必要もないでしょう」


「な、なんだと!?」


「退けって言ってるんだ俺は」



 掴みかかろうとした魔物をライシはぎろりと睨んだ。



「お前らがどこでどう死のうと俺には一切関係ない。だが、この城が余所者の血で穢れるのは我慢ならん。別に今日だけしか出会いの場がないわけじゃないんだ、生きていれば素敵な出会いもいずれあるだろう。それともここで無駄に命を散らすか? だったらはっきりと言ってやる――そんなものはただの犬死だ」



 ――どうにか事なきを得た。


 すごすご去っていく魔物たちの群れにライシはまずホッと安堵の息を吐いた。


 犠牲者がついに出てしまったものの、被害は最小限に留められた。


 わずかに漂っていた血の香りもすっかり消失した。四散した肉片や血もあっという間に片付きそうだ。



「ライシお兄様素敵でしたわ!」


「アリッサ……」


「ライシ兄上様ぁ。エスメラルダ、怖かったですぅ」


「いやエスメラルダお姉ちゃん余裕だったでしょ。僕のほうが怖かったもん。ねぇライシお兄ちゃん、頭なでなでしてほしいなぁ」


「兄貴! アタシはこれっぽっちも怖くなかったぜ!? なぁなぁすごい? すごいだろ?」


「ライシにいちゃ、クルルもね。怖かったけどがんばったよ?」



 駆け寄るアリッサたちの頬は皆等しくほんのりと赤い。


 それは兄に対し向ける視線ではなかった。熱を帯びた妖艶な眼差しは、異性に対するそれだった。


 誰かに恋をした者の目だ。周囲が見えずただ視界に映るものしか見えない、移そうとしない――恋は盲目とはよく言ったものだ。当事者であるライシに、それを鼻で一笑に伏すだけの余裕はない。


 恐れていた事態が少しずつ、しかし確実に現実なものと化していく。そしてそれに囚われつつある己の状況に、ライシはぞっとした。



「わたくしたち、これではっきりと確信しました。やはりわたくしたちの運命の殿方はライシお兄様しかいないと」


「お、おぉ……で、でも普通に駄目だからな? 俺とお前たちは兄妹だから」


「ん~まぁいいんじゃないかしら」


「母さん気でも違ったか!?」



 あっけらかんと言ったアスタロッテの口調は、、いつもの優しい母としてのそれにすっかり戻っていた。


 とはいえ、その内容についてはさしものライシも看過できるものではなかった。実母でありながら兄妹同士の結婚を推奨するなど、聞いたことも見たこともない。



「私としてはアリッサちゃんたちが幸せならそれでいいもの」


「あの、俺は? そこに俺の幸せは考慮されてないんだけど?」


「ライシちゃんは嫌なの?」


「いや嫌なの以前に倫理観的に普通に無理でしょ」


「わ、わたくしは全然大丈夫ですわよ! 今すぐ結婚しましょうライシお兄様!」


「駄目よぉアリッサちゃん。結婚するにはアリッサちゃんもちゃんと



 ライシはすこぶる本気でそう答えた。


 今すぐにで計画・・を実行したほうがよいかもしれない。


 元より悠長にしていられるだけの時間はない。外堀を完全に埋められてしまう前に一刻でも早く、この城から立ち去りたい。気が付いたらこの場にいたアモンでさえも、その表情は険しい。あぁも焦った表情を目にするのは、ひょっとするとはじめてかもしれない。


 成人まで残りあと少し。その少しの時間が今ばかりは早く過ぎ去ってほしい。


 和気藹々わきあいあいと母娘の団欒を目前に、ライシはひっそりと決意を新たにした。


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