妹たちからどうにか解放されたライシは、人知れず小さな溜息を吐いた。
「――、まったく。あいつらもいい歳だし、俺以外の男に興味をもってもらわないと困るからなぁ」
「なにを朝からぶつくさと言っているのだ?」
「あ、アモンさん」
「その様子だと、またアリッサ様に侵入されたようだな。ずいぶんと仲の良いことだ」
アモンがじろりと睨んだ。
「へぇ、おかげ様で。まぁ俺としてはさっさと兄離れしてほしいもんですけどね」
「……兄離れ、か。あれは本当に兄だからそうなのか、怪しいものだが……」
「それよりも、どうしたんですか? 今日はなんだかずいぶんと城が騒がしいみたいですけど」
城内はいつも賑やかだ。ここにはたくさんの魔物がいるのだから騒がしくてもなんら違和感はない。
騒がしいとはいっても、祭のような賑やかさでそれは平穏と呼ぶに相応しい。
だからこそ、いつになくざわざわとした城内の空気にライシははて、と小首をひねった。
「あぁ、小僧は知らなかったのだな。もうすぐここに多くの魔物たちが集まってくるぞ」
「それはまたどうして?」
「アリッサ様たちの婚約者を決めるためだ」
「婚約者を!?」
ライシは大いに驚愕した。
これは、もしかしなくてもいい傾向なのかもしれない。
ついさっき懸念していた出会いが今日ある可能性は十分にある。
これでアリッサたちが兄離れさえしてくれれば、ライシはもうなにも言うつもりは毛頭なかった。
いつ頃到着するのだろう。ライシははやる気持ちを抑えつつ、アモンに尋ねた。
「そ、それで? いつ頃到着する予定なんですか? 後一分ですか? いや一秒後?」
「何故貴様がそんなにも嬉しそうなのだ……。少なくとも今日の昼頃には到着するだろう」
「なるほどなるほどぉ。でもどうして急に婚約者なんかを?」
「これはアスタロッテ様の意向でもある。自分の娘が十五歳を迎えたら、素敵な出会いがあるように精一杯サポートしたいとな。我々は、見てのとおり魔族だ。ニンゲンと同じように街を歩いて運命的な出会いをする、などということはないからな」
「確かに……でも、それはそれでちょっと見てみたいかもしれないですね」
それにしても楽しみだ。ライシは内心で一人ほくそ笑んだ。
約束の時間となった。時刻はもうすぐ正午を迎えようとしている。
来訪者をまず最初に迎える大ホールは修練場より劣るものの、それでも収容数は他よりもずっと多い。
すでに大ホールは数多くの魔物であふれ返っていた。おどろおどろしい姿をした者から、人間にほぼ近しい造形の者まで。実に多種多様な魔物がいる。こうして見るとなかなか圧巻だ。二階の踊り場より眺めながらライシはそう思った。
約束の時間となった。正午を告げる鐘の音が城内に反響する。魔王が住まう城なのに、鐘の音は神々しかった。
「皆の者、これより我が主アスタロッテ様とそのご息女様たちがこられる。あえて警告するが……決して無礼のないよう務めろ。さもなくが皆に待つ結末は死のみだ」
アモンの声がいつになく鋭く冷たい。
アスタロッテの右腕として、その身分に恥じないよう振る舞うアモンの気が、それだけで魔物たちを制した。
さすがという他ない。改めてアモンほどの男は敵に回したくないものだ。ライシはすこぶる本気でそう思った。
しばらくして、大ホールにアスタロッテが姿を見せた。いつも目にする漆黒のドレスとは異なり、赤いボンテージ衣装を纏っている。
六児の母でありながら露出度の高い衣装は、仮とはいえ息子的にはよろしくない。
いつまで経っても若々しいままなのは息子としても自慢できる。若ければそれだけ剣を振るえるのだから、ライシには魔族の不老長寿は羨ましかった。
アスタロッテに続いて、アリッサたちが遅れて出てきた。
次の瞬間、感嘆の声が次々と上がった。かくいうライシも思わず息を飲んでしまった。
アリッサたちはかわいい。すでにわかりきっている情報で特に新鮮さはない。
各々ドレスを身にまとった姿はそれこそ、一刻の姫と呼ぶに相応しかった。普段とは異なる美しさは、いつも目にしているライシでさえもつい見惚れてしまう。だが、そんな彼女たちの表情はいつになく冷たい。
顔がまるで笑っていない。眉一つさえも動かさず無表情を貫くアリッサたちだが、長年見てきたからこそよくわかる。アリッサたちはすこぶる不機嫌だ。
「おいおい、一応来客者の前なんだからもっと愛想よくしたらどうなんだあいつらは……」
「さて、どうなることやら」
いつの間にか、アモンが隣に立っていた。
同じように大ホールを見下ろすアモンの瞳は、どこか憐れみに近しい。
「……なんでそんな顔してるんですか?」
「貴様、わかっていて聞いているだろう」
「まぁ……ね」
「アリッサさまたちの顔を見ろ。あれほど冷たいお顔は今まで見たことがない」
「俺だってはじめてですよ。あいつら、あんな顔できたですね」
「……このお見合い、平和で終わると思うか?」
アモンのその問い掛けにライシは静かにかぶりを振った。
「多分ですけど、血の雨が降るんじゃないですかね」
「……だろうな」
小さな溜息を吐いたアモンの表情は、いつになくげんなりとしていた。