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第10話

 眩い陽光が心地良い微睡の海から意識を優しく拾い上げた。


 小鳥たちのさえずりが音楽変わりの目覚めは、穏やかの一言に尽きよう。


 それも、すぐ隣で静かな寝息を耳にするまではの話だが。


 またか。ライシは寝息の主を見やり、そして静かに溜息を吐いた。


 その寝顔は美しく、それでいて聖女のようにとても優しい。


 ライシからすれば、心臓へ悪いことこの上なかった。十年の時が流れた。


 ライシの身体もそれ相応の成長を遂げた――生前と比較すると身長がほんの少しだけ伸びた。素直に嬉しいと思う分、体つきの方はやはり相変わらずという他ない。華奢な肉体だ。


 剣が果たして振れるのか、とこう揶揄されるのもわからないでもない。


 顔つきも、ライシが思う男らしさは微塵もなかった。最近になって、利用する価値があると思えるようになった。女としての顔ならば潜入する分にはやりやすいかもしれない。


 ともあれついに、後数日でライシは成人を迎えようとしていた。


 それに伴ってアリッサたちも成長した。十五歳となったばかりの姉妹たちは、相変わらず天真爛漫なじゃじゃ馬娘である。


 しかし肉体については皆すっかり大人のそれとなった。特に胸の辺りに大きな差が生じるようになったのである。


 中でもアリッサは二番目に大きい。さて、その豊満と呼ぶに相応しい胸を惜しげもなく押し付けられればどうなるか。男であれば皆まで言わずとも容易に想像がつこう。


 相変わらず破廉恥な恰好をしていやがるなこいつは……! ライシは思わずどぎまぎしてしまった己を深く恥じた。血の繋がりがなくともアリッサたちは妹なのだ。妹相手に欲情するなど決してあってはならない。



「おい起きろアリッサ」


「う……んん……あ、ライシお兄様。おはようございますわ」


「おはようございますわ、じゃないんだわ。お前、また勝手に俺の布団の中に入ってきたな?」


「だって……ライシお兄様といっしょに寝るといつもよりぐっすり眠れるので」


「だからっていつまでも添い寝しようとしてくるんじゃない。もう子供じゃないんだから、そういうのはいい加減にやめてくれ」


「そんな……どうしてそんなひどいことを言うのですかライシお兄様! わたくしはただ心から純粋にライシお兄様をお慕いしているだけですのに……!」


「そ、そんなこと言っても駄目だからな。ほら、さっさと自分の部屋に帰って朝の身支度整えてきなさい」


「……チッ」


「こいつあからさまに舌打ちしやがったよ……」



 最近、妹たちからのスキンシップがとても激しい。


 以前からもアリシャたちの甘えっぷりには頭を悩ませるものがあった。


 十五歳になった途端から更に苛烈になったのは気のせいではない。恥ずかしげもなく身体を密着させるのは当たり前。


 つい数日前ではいきなり風呂場に乱入してくるということもあった。


 タオルで隠そうともせず堂々と入る様は妙に雄々しかった――決して、褒められるべきものではないが。


 アリッサたちはあろうことか兄に恋をしている。


 これが妄想ならばどれだけよかったことか。ライシは自嘲気味に小さく笑った。


 周囲にも男がいるが、アリッサたちはまるで興味を示さない。あくまでも家臣とその主人という関係性を保っている。


 平和である代償にここには外部からの指摘が一切ない。やってくるとすればせいぜいが冒険者たちぐらいなものだ。


 そんな冒険者も検問所ですべて追い払っているので尚更、アリッサたちには出会いがない。


 いっそのこと、一度素直に通してやるべきか。ライシはそんなことを、ふと思った。


 人間にだっていい者はいる。そうした者との出会いがアリッサたちの心境になにかしらのよい影響となってくれるかもしれない。


 果たして、そうだろうか? 自らそう考えておきながらライシはすぐに己を制止した。


 人間と魔族、常にいがみ合う両者が仲良くなれるだろうか? それはいつごろだろうか。先がまるで見えない。



「すぅーはぁー……あぁいい匂いですぅ。エスメラルダのあそこがなんだかポカポカしてきましたぁ。やっぱりライシ兄上様の匂いは犯罪的ですわぁ」


「…………」


「――、あらぁ。ライシ兄上様~おはようございますぅ」


「……何をやってるんだエスメラルダ」



 ライシは溜息と共に大きく肩を落とした。


 エスメラルダのおっとりとした雰囲気は、どれだけ嫌なことがあっても忘れさせるほどの魅力があった。


 彼女に癒される、とこう口にする者は決して少なくはない。優しい笑みは姉妹の中で一番といっても過言ではない。


 それで衣服の匂いさえ嗅いでさえいなければ、の話だが……。我が妹ながらその狂人具合が心底恐恐ろしい。


 どこでどう間違ってしまったのか。ライシはすこぶる本気で悩んだ。エスメラルダは、そんな兄の悩みなど素人もしない。以前大事そうに抱えたそれは、洗濯する予定の衣服だった。



「とりあえずエスメラルダ。お前が今手にしているそれは、なんだ?」


「これはライシ兄上様のお洋服ですぅ」


「うん、そうだな。だったらどうしてお前が持ってるんだろうな。いらないよな別に」


「これがあるとぉ、夜がすっごく充実しますのでぇ返せませんねぇ。でもでもぉ、ライシ兄上様がエスメラルダといっしょにこれからずっと同衾どうきんしてくれたらお返ししますぅ」


「子供じゃないんだ。いい加減兄といっしょに寝ようとするのはやめてくれ、いろいろと心臓に悪いから」



 皆等しく発育がいい。


 これもひとえにアスタロッテの血をしっかりと引いているからだろう。


 将来は更に美しい女性になることが期待できる。


 実の兄であったとしても、あぁも容姿がいいと落ち着かなくて仕方がなかった。


 少なくとも、生前に突然できた五人の妹・・・・はここまで大きくなかった――あえてなにが、とは言わない。



「あ、ライシお兄ちゃんだ!」


「おはよう兄貴!」


「……あぁ、おはようエルトルージェ、カルナーザ」


「えへへ~ライシお兄ちゃんの匂いだぁ。僕、この匂いを嗅ぐとすっごく幸せな気分になれるんだよねぇ」


「そ、そうか……って、お前はなにをやってるんだ?」



 背後からそろりと近付こうとしたカルナーザを、ライシは視線で牽制した。



「くっ……さすが兄貴だぜ。よくアタシの動きに気付いたな……」


「僕たちの動きがどんどん読まれていく……もっと訓練しなきゃ」


「努力するのはいい。ただ、その方向性が間違ってるんだよなぁ、お前らは」



 二人はよく行動を共にすることが多い。


 なにかとウマが合うのだろう。その関係性は姉妹というよりは、どちらかと言えば親友といったものに近しい。


 いずれにしても仲睦まじいのはとてもよいことだ。仲睦まじいだけに、なにをするのも二人でやってくる。


 添い寝はもちろん、時には一人が拘束しその間に既成事実をさっさと作ろうとする。見事な連携はさすがと言わざるを得ないが、使うべき場所を彼女たちは間違っている。


 いい加減正しいことに使ってほしい。ライシはいつもそう思っては深い溜息を吐いた。



「う~……ライシにいちゃ、おはよぉ……」



 遅れてやってきたクルルは、まだ心地良い微睡の海を漂っているようだ。


 こくりこくりと船を漕ぎ、重たいであろう瞼をごしごしと擦る仕草は大変愛らしい。


 一見するとクルルが一番無害だと誰もがそう思うだろう。それは誤認である。


 質が悪いのは、本人が無為にやっていることだ。



「っておいクルル! どこに顔を埋めようとしてるんだ!」


「ん~……クルル、ライシにいちゃのここふかふかして好きぃ……」


「せめてお腹とかにしろ! 絵面的によくないからな普通に!」


「あーずるい! 僕だってライシお兄ちゃんのそこにまだ顔つけたことないのに!」


「アタシだってそうだぞ! 今すぐアタシと変われ!」


「あ~ん……エスメラルダだってやりたいですぅ!」


「やらんでいい! やらでいいから張り合うなお前ら!」



 どうすれば妹たちがまっすぐ育ってくれるのだろう。


 もうとっくに手遅れなのかもしれない。そんな考えに思わずゾッとしてしまった。


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