城に向かっていた最中だった。
どこからともなく冷たい風が吹いた。骨に突き刺さる異様な寒さに肌がぞくりと粟立った。
ふと視線を凝らせば洞窟があった。生い茂る草木で全然気付けなかった。この道は幾度となく通っているが、これまで全然気付かなかった。
新しい発見をした。この先になにか未知の世界が広がっているのかもしれない。ライシの胸中で好奇心がどんと強く跳ねた。
今すぐにでも行きたかった。だが、現在は妹と盟友の令嬢がいる。
幼い彼女たちをいっしょに連れていくわけにもいかなかった。かと言って二人が大人しく待っているとは、どうしても思えなかった。
機を改めてゆっくりと散策することにしよう。ライシはそう判断した。
「ねぇ、ここなにか面白そうね。入ってみましょうよ」
「そんなのダメに決まってるでしょう!」
シルヴィの発言にアリッサが真っ先に噛みついた。
「勝手に危ないことをしたら駄目だってお母様からいつも言われています!」
「それはアンタの家のルールでしょうに。余には関係ないもんねー!」
「あ、おい一人で勝手に行くな……! あーもう、本当に餓鬼って言うのはさ……」
アリッサの言葉も虚しく、シルヴィは先に洞窟へ入ってしまった。
洞窟の中は当然ながら真っ暗だ。入り口付近ならばともかく、
果たしてどこまで続いているのか。それよりも、中にはなにか潜んではいないだろうか。
様々な危険性が孕む中で無防備にも入っていったシルヴィの行動は愚行という他ない。余計なことをしてくれたものだ。ライシは深い溜息を吐いた。呆れてはいるものの、その顔には怒りではなくむしろ笑みがこぼれていた。
「アリッサ、これから俺はあいつを追いかける。お前は――」
「わ、わたくしもライシお兄様といっしょにいきます!」
「駄目に決まってるだろ。お前は大人しく帰れ。幸い、城まで目と鼻の先だ。まっすぐに帰ればすぐに――」
「いやです……絶対にいやですわ! ライシお兄様から離れたくありません!」
「……はぁ。こうなるかやっぱり。わかったわかった、でもそのためには条件を呑んでもらうぞ」
「条件?」
アリッサが不可思議そうな顔をしてはて、と小首をひねった。
「……俺たちの目的はあくまでもシルヴィを連れ戻すこと。不要な戦闘は極力避けて、目的を達成した後すぐに撤退。危ない真似だけはしないでくれ? それだけが俺と同行する条件だ」
「もちろんですわ。だってわたくしは、ライシお兄様の妹でアスタロッテお母様の娘ですもの!」
「……信頼するからな?」
「ライシお兄様に失望されないようにがんばりますわ」
アリッサが素直に言うことを聞かない。それは想定の範囲内だった。
無理矢理にでも帰らせれば済む話ではある。しかし帰ったフリをしてついてくる可能性もあるから、完全に信頼することは極めて難しい。
そうとなればいっそのこと、行動を共にしたほうがなにかと都合がよい場合もある。アリッサはシルヴィよりも自制心が一応ある。
城ではそうでも、未知にして危険な場所であれば突拍子もない行動はきっとしないだろう。こればかりはもうシルヴィを信じるしかなかった。
明かりの類は一切なく、しかし中へと入っていくライシの足取りは極めて軽やかなものだった。
手を離すまいと必死に握っているアリッサも、この時ばかりは驚きを声に出していた。
「ライシお兄様。この暗闇の中よく見えますわね……」
「あぁ、そういう特訓はしてきてるんだよ」
新撰組では主に夜間での任務が極めて多い。そのため隊士たちは夜目が効くように徹底して鍛えるのだ。
明かりがなくとも多少見えさえすれば別段どうということはなかった。むしろ暗闇に近ければ近いほど、新撰組にとっては絶好の好機だったとも言える。
どれぐらい歩いただろうか。景色が一向に変わらないので時間の感覚がまるでない。
そう思い始めた矢先である。前方より眩い光が見えた。
どうやら出口のようだ。ライシの足も自然と速くなる。
「これは……」
「す、すごい……」
アリッサが驚愕と感嘆の声をもらした。
地下には巨大な空洞が広がっていた。敷地だけでいえばアスタロッテの城よりも遥かに広い。
そして暗闇を照らす光とは、天上の隙間より差す陽光だった。光自体は差ほど強くないものの、周囲にびっしりと生えた苔がそれを吸収してより強い光へと変換させていた。
さらさらと流れる地下水は海のように青々としてとても透き通っていた。ちょうど喉が渇いていたので飲んでみた。ひんやりとしてうまい。渇きはあっという間に潤い、心なしか身体から疲労がすっと消えたような錯覚すら憶える。
「まさか、城の近くにこんな場所があっただなんて……」
「これは驚きだな」
視線の先、シルヴィの後姿があった。
とりあえず無事である姿にホッと安堵する。
「おい、勝手に中に入るなんてなにを考えてるんだ?」
「おいここはすごいぞ! こんなすごい場所があるなんて……なんかずるい!」
「なに言ってるんだお前は」
怪我もなく興奮した面持ちで周囲を物色するシルヴィに、ライシは深い溜息を吐いた。
無事に発見できた。後は当初の予定していたとおり来た道を引き返すだけ。探索したい気持ちをグッと堪えてライシは踵を返した。
「ねぇ、ライシお兄様。あれはなんですか?」
アリッサが指差した先には小さな霊廟があった。
陽光浴びて佇む姿はどこか雄々しく、そして神々しい。
果たしてこれは誰のためのものなのか。ライシははて、と小首をひねった。
魔物が同胞や一族を弔うことはあるが、ライシの知るそれとはまるで異なる。全種族が該当するわけではないが、彼らは死した者の魂は絶対不変の形に変わると信じており、そのため躯を装飾品や武具にすると言った風習があった。
魔物の血や骨はよい素材となる。それを目論んで無差別に殺傷する輩も少なくはない。ヒトと魔物……両者がいつまで経っても相容れぬのは、ここにあった。
「あれは、多分霊廟だな。亡くなったご先祖様や偉人を祀ったりするためのものだ。でも、母さんが統治するこの土地にこんなものがあったなんて……」
ライシは何気なく霊廟に触れた。
瞬間、全身の肌がぞくりと粟立った。凍てつくような冷たさに刃のように鋭利な殺気が全身を突き刺す。
ライシは咄嗟にその場から飛び退いた。なにが起きたのか、さっぱりわかっていないアリッサとシルヴィはひどく困惑した面持ちでたた見守ることしかできない。
なにかがいる……! ライシは腰の大刀にそっと手をかけた。
霊廟の蓋がゆっくりと開いた。白煙が満ちる中で現れたのは一人の騎士だった。
かつては美しかったであろう鎧は、長い年月によって失われていた。輝きも失せ汚れと破損がとにもかくにもひどい。
ただし右手に携えた一振りの剣だけは、現在も美しい輝きを発していた。
見事な一振りだった。黄金の鍔に漆黒の刃が特徴的な刀身はすらりとして細い。
素人目でも一目で名剣とわかるそれを手に、騎士が静かに向かってくる。
目覚めさせてはいけないものを目覚めさせてしまったようだ。ライシは大刀を正眼に構えた。
敵か味方かどうかはさておき。幸いにも騎士は極めて鈍重だ。逃げるのはさほど困難ではない。アリッサたちの足でも十分に逃げれよう。
「な、なによあれ……」
「ラ、ライシお兄様……」
二人の少女はすっかり怯えてしまっていた。
シルヴィはさておき。アリッサに実戦経験はまだない。
いわばこれがはじめての実戦となる。彼女たちがおそれてしまうのは至極当然の反応と言えよう。
「……安心しろ。お前たちは俺の後ろにいろ」
ライシは振り返らず、しかしその顔に不敵な笑みを作った。
不謹慎であるのは重々承知していた。あれから五年、ずっと実戦から離れていた。
久しぶりの実戦に魂が激しく高揚している。この時の感覚は生まれ変わっても心地良いものだ。
「さてと、それじゃあ……やるか」
ライシは静かに言った。