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第3話

 時の流れとはおそろしいほど早い。


 五年の月日が流れた――。



「――、さてと。それじゃあ今日もやりますか」


 場内にある修練場は、とても広々としていることで有名だ。


 100人以上が優に入れるだけでなく、城壁よりも堅牢な造りとなっている。


 魔物の力は非常に強力だ。そのため並大抵の耐久性ではあっという間に壊れてしまう。


 修練と言えど常に全力で。手を抜かない姿勢は素直に感心できるものだった。


 時刻は午前五時ごろ――空はまだ東雲色しののめいろで城内はまだ心地良い眠りの中にある。


 しんとした静けさの中で少年は手にしたそれをゆっくりと鞘から抜いた。


 刃長二尺約60cmの白刃がきらりと輝いた。相変わらずこの美しさには惚れ惚れとしてしまう。


 刀を静かに構えた。正眼である。何もない正面の空間に向かって、少年は地をとんと蹴った。


 ひゅっ、と鋭い呼気と共にびゅんと風切音がわずかに遅れて奏でられる。


 これは少年にとっての日課だった。いかなる環境下であろうとも、生前・・の日課を疎かにはできない。



 かつて、一人の隊士がいた――名を、和泉雷志いずみらいしという。


 今日の治安維持のために結成された組織――新撰組。平隊士であった雷志は、ある日の死番で命を落とした。


 別段これは珍しいものではない。死番となった者の死亡率は普段よりもぐんと高くなる。


 それについて雷志は特にこれといった感慨はなかった。人間は遅かれ早かれいつかは死ぬ。今回はたまたま死ぬ時期が早かったというだけにすぎない。後悔の類はなかった。



「……なんの因果か、違う世界の人間として生まれ変わるとはなぁ」



 雷志は自嘲気味に小さく笑った。



「朝早くから精が出てるな」



 誰よりも早くやってきたその悪魔は相変わらずどんな表情を浮かべているかがわからない。


 頭がフクロウであるから、人間のように表情が読み取りにくいのは言うまでもなかった。


 そのため声で今日の機嫌を測る。特になんの感慨もなし。まぁ普通といったところ。



「ん? あぁ、アモンさんですか。おはようございます」


「……あれから五年の月日が流れるのだな」


「えぇ、早いものですね」


「……貴様もずいぶんと変わったな」


「変わりましたか?」



 少年ははて、と小首をひねった。



「最初にあったころとは大違いだ」


「あぁ、そのことでしたか」



 少年は苦笑いを小さく浮かべた。


 少年には前世の記憶が鮮明に残ってた。


 記憶があるということは、これまで培ってきた技術も然り。


 あの頃は、まだまだ餓鬼だった。自分が一番だと愚かにも思い込み、そして痛みと共に現実を知った。


 世界にはまだまだ、自分なんかよりもずっと強い者たちがたくさんいる。そんな奴らをいつか全員ぶっ倒したい。


 それができた時こそはじめて、俺は最強と胸を張って言えるだろう――このような思考に至る時点で餓鬼である。少年は自嘲気味に鼻で一笑に伏した。


 肉体年齢は五歳とまだまだ幼い餓鬼だが、精神面ではもうとっくに成人を超えている。


 齢二十を超えていながら餓鬼のようにふるまうなど、みっともないことこの上なし。


 人は時間と共に成長する。それは例外ではないのだから。


 とはいえ、確かにかつての自分よりもずっと落ち着いたと思う。



「まぁ、中身のほうはもうとっくに二十代を超えているわけですからね。落ち着きもあればそれ相応の振る舞いだってしますよ。それに、これはちょっとした決別でもありますから」


「決別だと?」



 アモンがいぶかし気に見やった。



「……新選組隊士としての和泉雷志はあの時死にました。ここにいるのはあくまでも閃剣のライシとしての俺ですので」



 これは、なんたる偶然だろうか。あるいは普段信じてもいない神仏によるいたずらか。 だとすれは神仏というのはとことん、意地悪な性格をしているようだ。


 新たな生を受けた少年は、魔王アスタロッテによって名を授かる。あろうことかその名もライシだった。旧魔族言語にて意味は――【雷光で照らす者】の意を持つ。


 偶然というものは時に恐ろしくもある。ライシはすこぶる本気でそう思った。



「ふん。まぁよかろう。仮にも貴様はアスタロッテ様の子息なのだ。あの方の子息として恥のない振る舞いは必須だからな」


「わかってますよ。でも、なんというかあれですね。俺が思い描いていた魔王……モノノケの大将とは随分とイメージが違うというか」



 ライシの脳裏にある魔王とは、もっと恐ろしい存在だった。


 おどろおどろしい姿形はもちろん、圧倒的な妖力をもって人間を容赦なく葬る。


 アスタロッテにはそうした恐ろしさが欠片ほどもなかった。誰にでも優しく接し、特に我が子に対しては誰よりも深い愛情をもって接する。本当に彼女は魔王という大それた存在なのか? どうしてもそのようには見えないのだが……。この手の疑問は今に始まったものではなかった。



「貴様はアスタロッテ様の真の恐ろしさを知らないからそのようなことが宣えるのだ」


「真の恐ろしさ、ですか……」


「貴様など、本気のアスタロッテ様の前ではものの1秒で跡形もなくこの世から消失しているだろう」


「それは……さすがにゾッとしますね」



 ライシは幼いのに大変聞き分けのよい子供として認知されていた。


 精神の肉体が比例していないのだから、幼子本来のような振る舞いはまず不可能である。


 だからライシは、母親アスタロッテからまだ怒られるという経験が皆無だった。



「どんな風に起こるのか興味深くはあるけど……虎の尾を踏んで殺されたくないしやめておくか」


「正しい判断だな。なにがあろうと、アスタロッテ様だけは怒らせるな。いや、普通に怒られる分にはいい。だが秘密だけは絶対に知られてはならん。よいな小僧」


「もう何度それ聞いたことやら……言われずとも、すべてはお互いのために。精いっぱいやらせていただきますよ」


「――、たたた大変だぁ!」



 不意に場内に反響したその声はひどく狼狽していた。



「何事だ騒々しい」


「あ、アモン様! こちらにいらしたのですね!」



 修練場を出てすぐに、一匹の魔物と出くわした。


 一角を生やし鎧のように分厚い巨体をした彼だが、その顔色ははっきりといってすこぶる悪い。


 息も激しく乱れ、額からは滝のように汗が流れている。よっぽど急いでいたことが手に取るようにわかるだけあって、アモンの表情もいつになく険しい。なにかとんでもないことが起きた。そう察するのは極めて容易だった。



「報告を」



 アモンが端的に要件を促した。



「は、はい! アスタロッテ様がご出産されました!」


「なんだと!?」


「それはそれは……確かに一大事だなぁ」



 家臣からの報告に、アモンが放たれた矢のように修練場から離れた。


 どんどん遠ざかりあっと言う間に視界より消失した背中をライシも遅れて追った。


 確かにこれは一大事だ。実は、アスタロッテはその身に新たな命を宿してた。


 義理とはいえ、自分にもうすぐ兄弟ができる。兄として恥ずかしくないようにという意味もかねて、これまでも身の振り方を改めた要因の一つでもあった。それがよもや今日生まれるとは予想外である。


 アスタロッテの私室に向かうにつれて耳に入る元気な産声に、ライシも自然と頬を緩めた。



「おぉ……アスタロッテ様! ご出産おめでとうございます」


「アモン……みんな……ありがとう」


「いやぁ、それにしても女の子・・・とはめでたいですなぁ」


「しかも五つ子・・・とは非常にめでたいですぞ!」


「……え?」



 ドアノブに伸ばした手を、ライシは止めた。



五つ子・・・……だって?」


 瞬間、脳裏に記憶が鮮明によぎった。


 思い出したくもない記憶だ。自分の死因へと繋がっているから尚更だ。


 恐る恐る、ライシは中へと入った。


 中にいるのは等しく魔物たちばかりではあるが、空気は日差しのようにぽかぽかとして優しく暖かい。


 ほんわかとした空気の中、ライシはおずおずと口を開いた。正直、どう反応すればよいかまるでイメージできない。



「ど、どうも~母さん。今日の調子はどう?」


「あ、ライシちゃん……! ほら、見てライシちゃん。あなたにかわいい妹ができたわよ」


「あ、うん……」



 ゆりかごの中では、顔がそっくりの赤子が産声を上げていた。


 穢れを知らない純粋無垢な碧眼に映る己に、ライシは自嘲気味にふっと笑った。


 とてもめでたい日なのに、なんて辛気臭い顔をしているのだ自分は。所詮過去は過去にすぎない。今更あれこれと思考をめぐらせたところでなにかが変わるはずもなし。


 和泉雷志いずみらいしとしてではなく、ライシとして生きると決めたならば、過去はもう振り返るな。ライシはそう自らに強く言い聞かせた。


 ふと、五人の妹と目が合った。


 先ほどまでずっと産声をあげていたが、急にそれもぴたりと止んだ。


 五対の瞳がジッとライシの顔を見つめていた。たったそれだけなのにライシはこの時得体のしれない恐怖に襲われた。


 それの正体が果たしてなにかまでは、さしものライシも皆目見当もつかない。



「ライシちゃん。これからはお兄ちゃんになるんだから、しっかりね」


「あ……う、うん。そう、だね……ははっ、は……」



 なんだか嫌な予感がする。どうかそれは杞憂であってほしい。ライシは心から切に願った。


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