さて、一番のお客様が出禁になって三日ほど――術法伝信もシャットアウトされる念入り様――経ったが、相変わらず店は大繁盛というほどでもないので暇な時間を持て余すこともある。
そういう時は掃除に精を出してカフェのマスターらしくグラスを磨いてみたり、茶器を綺麗にしてみたりと色々やっているのだが、私がこの手の清掃をやるのをグルゼフォーンは嫌がる。
何でも、掃除は従僕の仕事にして
ただ、前世からの習慣だからやめられないんだよね。ほら、茶渋とか曇りとか気になるじゃない。そういうのはバイトも雇わずやっていたカフェのマスター的に、見かけ次第やっつけたくなるのだよ。
それに、コッチの世界でも銀器を扱うのは尊い人間の仕事だ。実際に家の全てを取り仕切る執事でなければ触れることが許されないくらいなのだから、ただの銀食器の数倍以上も値が張る茶器類は自分で手入れしたっておかしくないさ。
「うーん、しかし、体が鈍りそうだ」
私は成機大陸性の合成クリスタルグラスを磨き上げると――光の加減によって虹色の光を放つ特殊なカットが施されており大変美しい――定位置に戻して軽く首を鳴らした。
平和なのは良いことだ。ただ、あんまりやることがないと折角鍛えた体が弛んできそうで怖い。CIAが動いていたのは私を捕らえるためというより、ロウファ様の独断であったことも分かったとは言え、今後も狙われないとは限らないからな。
「マスターは以前、探索者をやっていらしたのでしたよね」
客が来る予定がないのを良いことにワックスをかけ直していたグルゼフォーンが、主人の無聊を慰めるように問うてくれた。
「そうだよ。えーと、一九で大竜骸の学院を卒業して、そっからすぐ探索者になったから、ギルドに加盟してえーと……」
六年か、今年で二五なので――固有時間制御のアレで、肉体年齢は二年ほど余分にとってるけど――割と長くやっていたものだ。会社だったら役職の一個くらいはついてるくらいの勤務年数だな。
「中央大陸は未開地が少ないから、直ぐ旅立って方々に行ったね。最初は新皇大陸で山師の護衛をやったり、由来の忘れられた墳墓の調査をしたり、時空間異常の調査をやったり、まぁ色々さ」
「その時に危ないことも沢山あったのでは?」
「怪物、野盗、強盗、詐欺師、なんでもござれだったね」
ま、大体は〝物理的交渉〟でボッコボコにして黙らせたんだけど。
「なんだいその目は。信じていないようだね」
「主の言葉を疑う従僕などおりません」
フェイスプレートは微動だにしていないが、流石に二月以上一緒に働いていると彼女の疑似感情系がどう働いているかくらいは分かるようになってきた。
あれは、こんなに小さくて儚いヒト種が、そんな暴力的なことができるとは信じていないし、考えたくもないという顔だな。
なので、私は普段仕舞い込んでいる指輪を指パッチンで取り寄せて見せた。装備品ではなく、あくまで記念品なので普段は倉庫に放り込んであるが、これでいて結構価値がある物なのだよ。
「これは?」
術法鋳造された指輪を受け取って、センサーで精査しているらしいグルゼフォーンに私は胸を張った。その竜鱗と竜眼を囲むように配された五本の剣が刻まれた純金の指輪には、相応の意味があるのだと。
「大竜骸の学院で〝戦闘術法師〟の資格を取った証拠さ。内側に私の名前が刻んであるだろう? いわば、軍隊でいう徽章だね」
私は博士位を取ったからといって直ぐに飛びだした、よく冒険者物の小説で序盤に出てきてゴブリンに殺されそうな魔法使いとは違うのだよ。ちゃんと学内の決闘倶楽部に加入して戦闘法術を磨き、下準備をし過ぎなくらい積んでから探索者になったのだ。
「基本的に術法は日常を便利にする物か、戦争の有り様そのものを変えるような代物をみんな研究してて、出世するのに個人戦闘力はそこまで求められなくなった今では価値は低いけど、軍隊に仕官すればすぐ幹部候補になれる代物だよ」
大竜骸の学院でも個人戦闘術法の研究は人気が失せてきている。それも当たり前だ。成機大陸ではSF兵器がびゅんびゅん飛び回り、先進的な火器が出回っている大国も珍しくなく、連邦帝国でも戦術級や戦略級術法で局所的大破壊がお手軽に引き起こせる装備を持った軍隊が主流の中、態々個人が力を持つよりも、そういった術法具を持った方が手っ取り早いので、技術として磨くのは殆ど趣味の領域に至っていた。
帝国の気風であった指揮官先頭の精神も今は遠く――それでもゼアリリューゼ様クラスの化物が出張ったら、旅団くらいならタイマンで下しそうであるが――前線で英雄同士の一騎討ちなど絶えて久しい。
それに、実際の戦場では対抗術法が飛び交いまくって、殆どが相殺されて消えるから、やってることは棍棒を持って兵隊が殴り合っていた時代と大差ないしね。やっぱり戦争は数だよ兄貴。
されども、まったく需要がない訳ではない。少数で敵を撃破することが求められる特殊部隊なんぞでは、今でも戦闘術法が重宝される。今では数少ない、固体戦闘能力に秀でたプロフェッショナルが生きる戦場だからね。
そしてそれは、個人の武勇と生存能力が物を言う世界である探索者の界隈でも役に立ってくれたものさ。
「当機は詳しくないのですが、術法もやり方によっては普通に殺傷能力を持ちますし、学院を卒業したなら一定の戦闘能力を持っているのは当然では?」
「甘い、甘いよグルゼフォーン。それは包丁を持てば、誰だって人を殺せると言っているようなものさ。家庭科の授業を人殺しの授業と同じ扱いするぐらい甘い」
ちっちっちと気障っぽく指を鳴らした私は――家庭科? と彼女は首を傾げていたが――さっきまで仕込みに使っていたペティナイフを取り上げると、掌の中で縦横無尽に弄んだ。
実はちょっと短刀術、というよりCQBを嗜んでいるからナイフの扱いには一家言あるのだ。身体強化術法がなければ腕相撲で勝てる種族の方が希なヒト種であれど、得物さえ持てばそこそこ戦えるようになるからね。
「危ないですマスター!!」
「自分で持った刃物で自分を傷つけるほど素人じゃないって……」
子供が刃物遊びをしているのを咎めるように取り上げられてしまったので――というか、この子格闘ルーチンも入ってるのか。抵抗しなかったけど凄く自然に持ってかれたぞ――ぶすっと唇と尖らせてみせたが、それが可愛らしかったのかグルゼフォーンはペティナイフを抱えて押されるように一歩下がった。
ふむ、この表情は効果的と。覚えておこう。
「それはさておき、私も身を守る術法は使える。こんな具合に」
遷都に当たって新造されただけあって水事情が良い帝都には、捻れば水が出る蛇口を通すことができる。日本と比べると割高どころではない水代を取られるが、術法で浄水されている水は澄んでいて綺麗だ。
それに指を添えると水は私の指に引かれて線を描き、輪となって高速で回転する。その様はまるで水でできたチェーンソーだ。
「……ウォータージェット?」
「正解。本番はここに金剛樹他幾つかの素材を混ぜた秘伝の研磨剤を入れて使う」
「掛かっている圧力と速度的に、その研磨剤の性質によっては殆どの物が切断できますね。素晴らしいです」
パチパチと手を叩いて褒めてくれるグルゼフォーン。術法を知らない、というより使えない種族に生まれた彼女には、これが初歩の流体操作術法を洗練させたものだと説明しても理解することは難しかろう。
「生活を便利にする基礎、私達みたいに乾くと死ぬ炭素基系生物の根源に関わるものが多いんだ。これは初等生でも使える水汲みの術法を自分なりに弄くったものでね。竜鱗でも抜ける自慢の主兵装さ」
使った水の回転を緩め、球にして指の上でバスケットボールのようにクルクル回した後、パクリと食べるように飲むと彼女は、言いたいことは伝わりましたと頷いた。
「水をただ叩き付けるのと格段に威力も違うでしょうから、正しく戦闘術法というわけですね」
「金属加工にも使った生活術方の応用とも言えるけど、殺傷力をここまで上げたのは私くらいかな。便利なんだよね、水筒一つぶら下げたら武装完了だから」
水筒は何処にでも、誰でも持ってるから使いやすくて楽だ。私は自前の水筒に他人の術法が通らないよう加工しているが、態々そんなことをしているのは同業者くらいなもんで、色々悪さをしたものだ。
膨張させてぶっ飛ばしたり、蓋が突然開いたと思ったら水が顔に纏わり付いて窒息させにかかってきたり、対処が難しい小技を一杯持っている。
まぁ、おかげで〝水葬のヨシュア〟なんて物騒な二つ名がついたこともあるのは、今でもちょっと異論を言いたいところなんだけどね。誰も殺してないっての。
「とまぁ、こんな具合に私も少しは戦えるわけだよ。だから嫌なんだよね、カンというか身についた技術が錆び付くし」
「平和な帝都で使うこともないでしょう。何より、当機がお守りいたします」
胸を張って言うグルゼフォーンは、私に毛筋一つ傷付けないよう盾となり、同時に立ち向かう全てを貫通する矛となる、そう宣言して誇らしげにしてくれているんだけど、やっぱり男として全くの無力というのは情けないんだよなぁ。
そりゃゼアリリューゼ様や出禁の原因となったロウファ様とタイマン張って勝てるかって聞かれたら、絶対にやりたくないけど、それこそ山に行くのに熊よけスプレーくらいは持っていたいのと同じ心境で戦う技術を失いたくない。
さりとて、店の経営もなんやかやで忙しいし、ギルドに顔出してちょっとお仕事……って無茶は、この従僕がさせてくれんだろうなぁ。
朝夜のランニングも10kmはやりすぎだとか、筋トレもちょっと怒られてるくらいなんだから、組み手の相手もしてくれないだろうし。
さて、どうにかこうにか体を鈍らせないための良い機会はないものか……などと思っていると、伝信機が着信を報せる音を立てた。
「はい、Haven of Restでございます。はい、はい、初めてのお客様ですね、ご芳名をお伺いしても、はい、はい……少々お待ちを」
グルゼフォーンにしては珍しく対応に倦ねたような顔をして――そのフェイスプレートの微妙な動きに気付けるのは私くらいだろう――振り返った。
「その、できるだけ早く予約を取りたいというお客様がいらっしゃるのですが」
「それは問題ないよ。今日は……もうのんびりしようか。しばらくは余裕があるしね、明日は空いているとお伝えしてくれ。番号を知っていると言うことはご紹介かな?」
「いえ、それが、その……マスターの恩師だと名乗っていらして」
私は思わずさっき呑み込んだ水を噴き出しそうになった。
「マスター!?」
「げほっ、ごほっ……し、心配要らない……って、お師様!? どこでここを知った!?」
面倒くさいことになりそうだから報せなかったのに!! ナンデ!? ナンデ!?
い、いや、だがもうこうなっては黙っていられないか。断るのも無礼だし、同門繋がりということでイライザに苦情が言ったら申し訳ない。
私は身を切る思いで、歓迎するのでいつでもいらしてださいとお答えするように頼んだ…………。