連邦帝国の行政中枢は帝城に集約されており、方々に出城のように築かれた各省庁の出張所が内部に犇めいている。
御前会議を終えたゼアリリューゼは従者として選んだウィルウィエイラを伴って、広く豪奢な廊下を進んでいた。
「おや」
「む」
そこで彼女は大名行列めいた集団と出くわすこととなる。
十人からぞろぞろと配下を引き連れた、大名行列の主めいた一人の女は外務省の重役であった。
ロウファ・イースタシア・ニューバーニー・ネグローニカ。
東方系の移民貴族であり、帝国が帝国を名乗って恥じぬ前提条件たる海外植民地領土ネグローニカの伯爵にして総督。そして外務省の高官であり、現在は審議官補という極めて高い地位にある人物であった。
その美貌は東方系の細い笑顔にも見えるつり目と相まって、薄い顔付きがオリエンタルかつ蠱惑的であるとして社交界では憧れの的となっている。彫りが深い顔が多い土地において、特異とも言えるアッサリした極東系の顔付きは、時に何とも言えぬ魅力を放つ物だ。
そんな彼女は龍神種であり、下位神格を宿す竜種であった。今日も2.7m近い上背を帝国風のスーツやドレスではなく、東方系の民族衣装で包んだ姿は神々しいまでに均整が取れており、軽く捻れながら額より伸びる二本の角と、その間に浮かぶ真球の宝珠が神々しさを醸し出す。
「ネグローニカ伯」
「そういう貴女はオッペンハイム伯」
ゼアリリューゼとロウファの間には、一言で語り尽くせぬ関係があった。
かつてゼアリリューゼは前帝国が行った東方植民時に先遣隊の一軍として領地軍を率いて亜熱帯諸島帯に攻め入った経験があり、その功績によって当時空位であったキャリフォニア植民地伯位を授かった。
そして、その戦の主敵がネグローニカの藩王位にあったロウファだったのだ。
龍神種の彼女は土着の信仰が篤く、忠誠の固い軍勢を率い能く戦った。会戦を企図していると思わせての釣り野伏、原生林に潜んでの遊撃戦、空城化した都市を囮にした火攻めなどで侵攻軍を悉く追い返し、三十倍以上の国力差を持つ連邦帝国を七年にわたって足止めしてみせたのだ。
しかれども、その努力が実ることはなかった。
あろうことか、ロウファの主人は戦に脅えて遷都。逃げた先で放蕩三昧、毎日観劇に明け暮れて戦は遠いところのよそ事という立場を取ったこともあり、遂に彼女は寝返りを打った。
当時の皇帝は敢闘精神と主君に恵まれぬ哀れさを汲んで、帝国に散々煮え湯を飲ませたロウファに温情を与えたのみならず封土を与え、同時にそれまでの所領を安堵して抱え込んだという経歴の持ち主であるがため、主戦線を張っていたゼアリリューゼとの遺恨は根深い。
特に彼女は自らの郎党、不死の軍勢を用いて万軍を圧倒するロウファの兄を討ち取っているし、逆に竜種の強力さによって当時の側近を滅殺されてしまった間柄。
同じ帝国の貴族になったからと言って、何百年かそこらで仲良しこよしになれる訳もなく、ことあるごとに〝ちょっかい〟を掛け合う間柄となっていた。
それが何かと諍いの絶えない外務と内務の重役となれば、溝が深まるのは当然のことであった。
許されるなら殺してやろうかという殺気を込めて、しばしガンをつけ合う二人。前帝国からの古参家臣、外務省審議官補、格としてはどちらも劣ることはないため、廊下の中央を譲るか否かはプライドと権勢に関わる。
ロウファは笑顔に見える糸目を微かに開いて、さてどんな嫌味を言ってやろうかと思ったが……その瞬間、余裕たっぷりの笑みを浮かべてゼアリリューゼが一歩左に退いたではないか。
「ぜ、ゼアリリューゼ様!?」
「構わんよ、今日の私は気分が良いんだ。たかが道を退いたかどうかでご機嫌になる東方蜥蜴に譲ってやるくらいの精神的余裕がある」
ふふんと笑った彼女は、反応が遅れて道を空けるのが遅れたウィルウィエイラにも退くように命じると、余裕たっぷりの笑みを浮かべて、さぁどうぞと手を伸ばす。
「あの血濡れ姫がまた、えろう歯が抜けてしもたみたいですなぁ。帝都一の歯科医でも紹介してさしあげましょか?」
「人生に余裕があるだけだ。楽しい日々を送っていると違う物だよ」
「ああ、うつつを抜かす物があるようで、ええ空気吸えてなによりどすな」
古都訛りの雅なアオリを軽く受け止めて、ゼアリリューゼは時は今かと察した。
この女は尻尾を出した。調べていることを、醜聞だと確信している。
だが、愚かにもカウンターになり得る一撃を放ったのはロウファだ。
「なら、今宵私と茶を共にしようか? 例の場所で」
ぴくりと上品な柳眉が上がった。
ロウファはスキャンダルの元を掴んだかと思っていたが、よもや同じ場所に誘われるとは思ってもみなかったのだ。
そして、ここまで挑発されて引けば貴族が廃る。
茶の一杯共にするのも毒殺されるのが怖くてこられないのか? と言われているのに等しいのだ。
「それはええお誘いどすなぁ、せやったら、お時間空けさせていただきましょか」
「迎えの馬車を出す。ああ、時計を見させるような場所ではないから、その派手な腕時計は外してきて良いかもしれないよ」
どうせ古都流の嫌味で返されることは分かっていたので、ゼアリリューゼは先んじて一撃を入れて帝城の廊下を行く。古都はかつて首都であったプライドが妙に高いので――曰く、今も皇帝陛下はちょっとお散歩に行ってらっしゃるだけですが? とのこと――慣れていれば逆に何を言われるか推測するのは簡単だ。
「ちょ、ちょっと、室長!? あの毒竜と会食って正気ですか!? しかも例の場所ってことは、ヨシュアくんが……!!」
「ああ、私は一向に明瞭だ。なぁに、いい手があるだけでね」
唐突に凄まじいことを言いだした上司に食ってかかるウィルウィエイラを軽く遇いながら、必勝の手を握るゼアリリューゼは薄く微笑むばかりであった。
そして、その日の夜、首なし馬の馬車に乗ってとある場所を訪れた二人。
「何とも風情がある場所どすなぁ」
「だろう? これが気に入っている」
竜の嫌味を軽く受け流した吸血鬼は、握り慣れたドアノブを握った。
即ち、天の休息所、Haven of Restの扉を。
「お待ちしておりました、ゼアリリューゼ様」
「ああ、今日も世話になりに来たよヨシュア」
扉の前にはヨシュアが待っていた。いつもの整った侍従服で一切の隙なく武装した彼は、今日もちまっこくて愛らしい。短い手足で貴種に対する礼をする様は、小さな仔猫が丸まっているかの如く。
今日、Haven of Restは高い金を払ってゼアリリューゼの貸し切りとなっていた。余人を交えず、しかもVIP席でディナーコースを付けて歓待する念の入れ用は、必ず〝推しの可愛さで〟殺すという凄まじい殺意が香る。
さて、一方でロウファであるが……固まっていた。
か、とも、こ、とも付かない吐息を一瞬吐いた瞬間に硬直し、じぃっとヨシュアを見つめている。
彫像にでもなったかのように体が動かなくなった彼女の脳裏を占めるのは……圧倒的な〝カワイイ〟であった。
かつて、彼女が治めた地にも僅かながらヒト種はいた。そして、それが最上の捧げ物として支配者に献上されることもあり、彼女の兄は何とヒト種の愛妾を四人も抱えていたのだ。
その妾達はロウファの乳母の役割も果たしたため、彼女はヒト種の可愛さを生まれながらにして全力で味わって育ったのだが……悲しい運命に引き裂かれてもいた。
ヒト種は定命、皆、あっと言う間に逝ってしまう。
小さい時分の手を引いてくれていた妾達は百年もせず、皆死んでしまい、絶大な空虚と悲しみだけが彼女の心に残る。
こんなにも辛いなら心など要らぬと、一時期は出家を真面目に考えたほど心に刻まれた傷は深かった。
そして、折悪くヒト種が殆どいなくなった時期も重なって、ロウファは自分だけのヒト種を持ったことがない。
それほど希少な存在が、どうしてここで、そして何故当たり前のようにゼアリリューゼに腰を折っているのか。しかも、この吸血鬼、やけに馴れ馴れしいではないか。
一度に膨大な情報量を叩き付けられた脳が混乱し、遂には彼女の貴種らしい部分がベキッと音を立てた。
「ヒト種……動いてはる……生きてはる……」
「え? あ、はい、それはもちろん、健康体でございますが」
「息をしてる……あ、瞬きもした……尊い……ありがたい……」
「お客様!?」
どしゃぁと2.7mの巨体が膝を突いて、ヨシュアは大慌てし、ゼアリリューゼはドン引きした。
ロウファは貴種にはあってはならぬ膝を突くという醜態を晒したのみならず、ぼろぼろと糸目の間から滝のように涙を流していたからだ。
何と言うか、横合いから肘で突っついてやろうと思ったら、階段から転げ落ちて頸椎をねじ切ってしまったかのような予想外のクリーンヒットが入った政敵に心から引いているゼアリリューゼとは余所に、ご愛顧してくださる常連様の連れが自分を見て卒倒しかけていることに店主は困惑することしきり。
「お客様!? 何か不手際が!? お客様!? 困ります! 店の前で号泣されては困りますお客様!!」
「喋ってはる……動いてはる……しかも心配してくれてはる……尊い、尊いわぁ……」
「お客様!? お客様ぁー!?」
うわぁ、って面してないで止めてくれよとの目線をヨシュアから向けられても、ゼアリリューゼは関わり合いになりたくないという気分で一杯だった。
戦地においては吸血鬼を大いに苦しめ、同胞を何人も殺された憎い仇であっても、これだけの無様を晒されると反応に困る。
この後、ロウファ人生最大の恥となる時間はしばらく続いたが、ヨシュアの尽力もあってなんとかHaven of Restに招き入れることに成功した…………。