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第22話 術法と奏上

 術法は傍目からすると、指一つ鳴らすだけ、道具一つ弄るだけで何でも引き起こせる便利な技術に見えるかもしれないが、これでいてかなりの制約と誓約が存在する。


 それこそ入念に行いたいのであれば、下準備に何日も用意したり、目玉が飛び散るような額の触媒を必要とされたりと、派手さに反して地道で金の掛かる準備が多い。


 「マスター、お支度いたしました」


 「ありがとうグルゼフォーン」


 「しかし……本当に大丈夫ですか?」


 何が? と問えば、バイタルが落ちているとアンドロニアン特有の心配をされてしまった。


 「これも大術法の下準備なんだ。世界に溶け込むため、できるだけ体を清くするんだよ」


 「だからといって体の必須栄養素を断つのは如何な物かと」


 私はこの三日、改装作業という名目で店を閉めて――ご贔屓様が何かあったのかと悲鳴を上げていた――準備をしていた。そして、その間十穀断ちをして術法的な純度を上げるのに専念している。


 どういう訳か、この世界における魔法に当たる方術という技術は体が清く、そして死に近づけば近づくだけ精度が上がる、謎に仏教めいた特性を持っているからだ。


 故に結構キツいが生臭物と十穀を断って水と少しの茸や草だけで生きていると――それでも腹一杯食えば、ガチの即身仏になる準備より随分と気楽だ――栄養失調に伴う脳内麻薬物質の過剰分泌とは異なる感覚で世界が鋭敏になる気がするのだ。


 「よろしければ点滴をご用意いたしましたのに」


 「そういう〝ズル〟に世界は敏感だ。何かを捧げるからこそ、術法の冴えは鋭くなるのさ」


 「当機には分からない感覚なので、ただただ心配が勝るばかりです。これを終えたら、特性のおかゆを召し上がってくださいね。暖かいスープも用意してあります」


 「ああ、楽しみにしているよ」


 心配そうにしている従僕を風呂場から追い出して、私は猫足のバスタブに注いだ井戸の水にゆっくりと体を沈めた。


 「うううっ……さむっ……」


 冬の到来が近い時期、清廉な井戸から汲んで、陽の光に当てず、月の光にだけ三日間晒した水は、温めていない以上の効力で体の熱を奪っていく。


 歯の根が合わず、ガチガチ鳴りそうになるのを堪えながら全身を綺麗に洗い、禊ぎを終えた私は逃げるように風呂から飛びだして体を拭った。炭水化物とタンパク質を三日間も断って代謝が極端に落ちた体に、この冷たさはキッツいな。


 丁寧に洗濯して一部の隙もない、竜血で染めた黒い従僕服に身を纏い、中指と人差し指にそれぞれイライザから用立てて貰った触媒で作った、花輪の指輪を通す。


 そして、普段使いのモノクルをケースにしまうと、心配そうに戸口で待っていたグルゼフォーンを伴って寝室へ向かった。


 「ふぅー…………」


 「マスター、体温がかなり落ちています。ストーブを焚きましょうか?」


 「いや、今から使う術法は火の気を嫌うから駄目なんだ」


 今にも飛びつきたくなる有り難い申し出だけども、それはできない。


 何せ今から使う術法は、私に絡む〝時間〟と〝因果〟を遡って、こちらを盗み見していた連中を逆に引っ張り出す術法。大胆にして繊細なソレは、扱いを一つ間違えば、こちらが覗き見ていることが逆にバレてしまう。


 香炉で調合したまだ青い朝顔の種と草原で初めに飛んだ蒲公英の綿毛で作った香を焚けば、独得の甘い匂いが立ちこめて調合が成功していることを報せてくれた。失敗していたら材料相応の青臭くて嗅げた物じゃない煙が立ち上ったはずだから。


 場の空気が清浄に塗り替えられていくことを感じつつ、私は呟くように詠唱を始める。


 「天道虫、天道虫、小さくて紅くて可愛い天道虫」


 パンと一つ手を打って、術法を練り上げてみれば手の中には小さな淡い光を放つ天道虫がいつの間にか現れていた。


 無論、本物の虫ではなく、疑似生命に役割を込めるために生み出したもので、詠唱しているマザーグースに由来していて、ちゃんと意味がある。


 のそのそ指先へ張っていく姿を眺めながら、両手を広げ舞踊を踏む。本当は袖が長い服の方が良いのだけど、丁度良いのを持ってなかったので今日は略式だ。


 「お家は何処かしら。さぁ、翅を広げて、早く早くお帰りなさい。子供と友達が帰るお部屋へお帰りなさい」


 躍りながら人差し指の先端にとまった天道虫を窓から外へ差し出せば、甲殻が開いてパッと翅を広げた。


 「お家が燃えるよ、燃えてしまうよ、その前に帰りなさい。火を付ける悪い人が来る前に」


 急かすような曲調に合わせて天道虫は飛び立った。翅を震わせ、淡い燐光をまきながら夜空に消えていく姿は幻想的で、使っている私でも魅入ってしまいそうになるくらい美しい。


 「子供達が焼け死ぬ前に、お友達が焼け死ぬ前に、お前達はパチンパチンと音を立てて燃えるから、その前にお帰りなさい」


 詠唱を終えると、体から気力が抜けてガクッと膝を突きそうになった。


 「マスター!!」


 「問題ない。少し疲れただけだよ」


 窓縁に捕まって膝を突かないよう耐え、グルゼフォーンに介抱された私はゆっくりと寝床に腰を下ろした。


 「いやはや、逆探やらに気を付けた術法は燃費が悪いな。ここまで良い品を使って、色々な物に肖ってこれとは。教授の言葉に載せられなくてよかった」


 私の担当教授は五月蠅かったからな。君は才能があるから学園に残って教鞭を執り、同時に自分を高め続けなさい何て言ったけど、とても高みに登れる才能なんて持ち合わせていない。


 本当にそれだけの力があったら、どれだけ楽だっただろうか。


 「マスター、もうよろしいですね? 毛布をかけますよ」


 「ああ、ありがとう。それと、何か暖かい飲み物をくれないかな」


 「根セロリのポタージュを温めて参ります。その後はおかゆをゆっくり召し上がってください」


 いいね、そいつは素敵だ。暖かいし消化にも良い。疲弊した体に染み入るように効くことだろう。


 珍しくパタパタと足音を立てて厨房に向かう彼女を見送って、私はそっと目を閉じた。


 さて、この術式は捜し物、特に自分に害意を持つ者を逆に見つけ出すためのものであり、因果の糸を手繰ることもあって難易度がかなり高い。相手の因果絶縁や対抗術法を潜り抜けられるよう、専門外のかなり高位な物を行使したので凄まじく疲弊してしまったが、天道虫が飛んだということは標的を見つけたということだ。


 私は目を閉じて、飛ばした術法の標でもある天道虫の視界を借りると、短い飛翔の後にそれは一件のお屋敷に潜り込んでいた。


 「……貸し屋敷だな。」


 帝都は社交の都であるため、社交期間のみ滞在する貴族に向けた貸別荘めいた邸宅が幾つも存在している。金持ちならば一々そんな物を借りず、ちゃんと別邸を建てるのだが、貴族と言ってもピンキリで皆が金持ちというわけでもない。


 その中で明かりを絞って活動しているのは、正装寄りの平服を纏った多種多様な人物達。よくよく観察すれば、その身のこなしと体幹の強さから、何かしらの武芸を囓った者であることが一目で分かった。


 忍び込んだ部屋の卓上には地図が広げられており、複写術法によって撮られた写真やピン、そして紐が方々に張ってあって如何にも秘密作戦という雰囲気を醸し出している。


 「……この写真、間違いない、ゼアリリューゼ様だ」


 帝城の辺りに置かれている写真は、なんとほぼ日参する勢いでHaven of Restを訪ねてくれている吸血鬼ではないか。かなり高位の貴族であり、そこそこのポストに就いているのだろうと踏んでいたけれど、秘密作戦のターゲットになるほどとは。


 そして、この地図。国防上の都合で一般には絶対出回らない帝都全図詳細地図の傍らには、知っている刻印が押されていた。


 「……中央情報局?」


 略号はそのまんまにも程があるCIAであるが、私が知っている米国のソレと違って、情報局は外務省傘下の対外情報収集機関であり、通称は〝毒蛇の塒〟だ。


 専門は人的情報収、いわゆるヒューミントであるが、その活動は多岐に渡り連邦帝国の害となり得る組織や国家に潜り込んで情報を収集するのみならず、準軍事部隊、パラミリ組織を持っていて必要とあらば暗殺から爆破工作まで何でもやる危険な集団。


 私も探索者時代に何度かカチ合ったことがあるよ。護衛対象を襲われたり、確保すべき情報を横取りしようとしてきたりで鬱陶しい連中だった。


 イラついた仲間が皆殺しにしちゃって、隠蔽にえらい苦労させられたことを今でも根に持っているぞ、私は。


 国外が活動のメインであるはずの彼等が、帝都で蠢いている理由は……まぁ、深く考えるまでもないか。


 連邦帝国は官僚国家であると同時に貴族制国家だ。そして外務省傘下ということは、超エリートコースの金満貴族様が何かしらの政治的策謀に組織を私的利用することは十分あり得る。


 それができるだけの権力を持っているからこその貴族というものだからな。


 「ゼアリリューゼ様が危ない?」


 私は顎に手をやって考え込むが、腑に落ちないことも幾つか。


 そも、彼女は旧い吸血鬼であり、物理的に殺そうとして殺せるような存在ではない。普段は抑え込んでいるが全身に漲る力は凄まじく、やろうと思えば単身で都市を陥落せしめることも容易い超常の存在だ。


 正直、私ではかすり傷一つ負わせられるかどうか。


 「となると、醜聞で責めるほかないと判断されたか」


 では物理的に殺すのが難しい存在を排除するのに適したやり方は何か。


 センセーショナルな醜態をぶちまけて、その地位に相応しくないと満天下に知らしめてやることだ。


 考えることがセコいが、実際有効なので何も言えない。


 ふむ……ということは、あの見張りは〝Haven of Rest〟に足繁く通うゼアリリューゼ様のスキャンダルに繋がると思って、店主である私に貼り付けられたのか。


 こうなると些か面倒だな。物理的に突入して叩き潰す訳にもいかんし、さりとて古い伝手をあたっても新しく作る〝借り〟がデカすぎてちょっと躊躇する。


 「こりゃ直接お報せした方が早いな」


 しかし、前世で言えば猫カフェにご執心ってくらいで失脚の足場になるのかね? それこそホンワカニュースでお茶の間を和ませるくらいで終わってしまいそうな気がするが。


 「マスター、遅くなり申し訳ございません。体を温めてください」


 「ありがとうグルゼフォーン。ああ、それとレターセットを用意してくれないかい。ちょっと手が悴んでいて綺麗に字が書ける自信がないから代筆も頼むよ」


 マグカップに注がれた根セロリのポタージュを音を立てないよう啜りながら、私はゼアリリューゼ様に一筆奏上するべく、グルゼフォーンに便箋を用意するよう頼んだ…………。



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