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第19話 帰参

 「ああー……やっと、やっと帰ってこられた……」


 ウィルウィエイラは一月ぶりとなる自分の机を抱きしめて、その自分の体温よりも冷たい温度に落ち着いた。


 外務がやらかしてくれた失礼の尻拭いで出張に出たら、向こうで別件の問題が出て、それに内務が――主にゼアリリューゼが――嘴を突っ込むことにして、その走狗に選ばれ大変な目に遭った。


 あっちへいったりこっちへいったり、一日に覚える人間の顔と名前と役職は少ない日でも二十を下回ることはなく、不慣れな異国語を術法で脳髄に叩き込むような無茶をすることも屡々。


 それもこれも、巨大帝国の内部が仲良しこよしである道理がないのが悪かった。


 連邦帝国の外務省と内務省は、それはもう熱戦半歩手前の冷戦状態にあった。


 これは、両省共にナワバリが一部被っていることが大きい。


 内務省は外部から入ってくる外国人の折衝や国内防諜の分野で。外務省は外交は当然として諸国に出て行く邦人の管轄と対外諜報という点で、国際的に動き回るため領分がダブっているのだ。


 そう、中々異質なことに、連邦帝国の国内情報安全は内務省が握っている。独立した司法警察でも軍部でもなくだ。警察局は内務省の隷下組織であり、情報部も内務、外務ともに持っているという混沌具合。


 なればこそ双方が準軍事組織を構えて、仕事の領分が何れにあるかで掴み合い、会合や謝恩会ともなれば口舌の刃で斬り合う修羅場と化すケオスを生み出した。


 それこそ陛下の御前で決闘寸前に行くほど、両部門長の間柄がよろしくない上――しかも前帝国時代から犬猿の仲だったそうだ――基本的に自分の閥で固めたがる貴族の悪い癖が働き、内務省と外務省は殆ど内紛状態にある。


 その荒波に揉まれて〝事故死〟もせず帰ってこられるあたり、この死霊族も中々の傑物であるのだが、それをしても一月の出張はキツかったらしい。


 これが飲食の必要な種族なら、更に酷いことになっていただろう。彼女は一日か二日で帰ってこられるだろうと思って家を出たので、食事をストックしておく種族だったら自宅の扉を開けるのがさぞおっかないことになっていたはずだ。


 「ご苦労だったね、ウィルウィエイラ。外務の尻拭いで辺境から辺境にで大変だっただろう。パラミリ準軍事部門の連中に絡まれはしなかったかい?」


 「あ、室長……ただいま帰参いたしました……いやほんと、騎竜便は暫く御免被りたいですね……二、三回、現地の反政府集団に見せかけた地対空砲術がカッ飛んできて死ぬかと思いましたよ」


 艱難辛苦を乗り越えて帰ってきた配下の労を労うべくゼアリリューゼが声をかけると、一応は官僚らしい態度を取り繕うことを思い出したウィルウィエイラが体を起こす。しかし、ほぼ休みなし、しかも命を狙われながら乗り心地の悪い亜竜が牽引する箱馬車を何度も乗り継いでの強行軍は相当に堪えたのであろう。本来なら慎むべき上席への愚痴が思わずこぼれだしてしまうのであった。


 「騎竜便か。難儀だったね。私も上に進言して内務専用の航空機を仕入れようとしたのだけど、外務から止められてしまってね。アレならば君もそこまで苦労せず、快適な空の旅が送れただろうに。凄いぞ、方術が届かない超高空域を飛べるんだ」


 「室長の成機大陸贔屓はお変わりないようで」


 「便利な物を生み出す場所だ。私は使える物は何でも使い倒す主義でね。今時、この二枚の羽で翔ぶなど面倒でやってられんよ」


 その使い倒す対象って自分も含まれます? という軽口を辛うじて呑み込んで、ウィルウィエイラは相変わらず他の官僚とは装いが違う室長の机を見て苦笑いした。


 二枚の紙を圧着して間に術方陣を仕込み複写や盗み見を困難にした公用紙に混じって、成機大陸製の様々なデバイスが散らばる机を見て、大抵は古式ゆかしい物を好む吸血種の執務机だと思う者は少なかろう。


 実際、未だ帝都を走行できないにせよゼアリリューゼは成機大陸から車を輸入して領内での移動に使うくらい成機大陸贔屓であり、当人曰く「気分で性能が変わる動物よりずっと使いやすい」として珍重している。


 そこで個人の力量に左右される航空術法や、乗り心地が悪い騎竜籠よりずっと快適らしい個人用航空機を内務省の足として導入したがったのだが、他国製の物品に貴人の命を預けるのは如何な物かとと宣う外務からの横槍が入って頓挫したのは最近のこと。


 ただ、ウィルウィエイラも新しい物好きという訳ではないし〝アンチグラビティシステム反重力機構〟だとか〝アーティフィシャル・インコンペテンス疑似知性〟やら言われても意味が分からないし、原理不明の代物に乗って上空うん万メートルまで運ばれるのが勘弁願いたい。誰だって理屈が分からない物に命を預けるのは怖い物だ。喩えそれが不死者の身であるとしても。


 まぁ、それは術法が一切使えないらしいアンドロニアン達も、存外同じことを思っているのやもしれないが。


 「ま、ここまで酷使したんだ。労ってあげようじゃないか。何処が良い? 何処にでも連れて行ってあげるよ」


 「本当ですか? じゃあ、お堅い雰囲気じゃないところ……」


 大衆酒場ほどではないが高給レストランという程でもない、内務省御用達の身内が歓送迎会で使う店の名を言いかけて、ウィルウィエイラは思い出した。


 そうだ、もう一月もあの甘美な生気を味わっていないではないかと。


 「と、言いたいところですけど、遠慮しておきます」


 「ん? どうしたんだい。上司の財布は囓れるだけ囓っておいた方が得だよ」


 「いやぁ、一人で行きたいところがあって」


 うぇへへへと品のない笑顔を浮かべる死霊に吸血鬼は一瞬で悟ったのだろう。付き合いが長くない者でなければ、気付かない程度に表情が固まった。


 「……あれ? もしかして室長……」


 「そんなに通ってないよ」


 誰も〝何処へ?〟なんて聞いていないのに、この物の良いようでは自白したも同然ではないか。数世紀に一度出るか出ないかのボロを出した上司をジトッとした目で見た彼女の目線に気付いたのか、ゼアリリューゼはしまったという顔をした。


 出張費がたんまり出る予定なので、無理してでも今晩に予約をねじ込もうとしていたウィルウィエイラは、反射的に予定表が同期される手帳を開いていた。


 「あっ、こら、ちょ」


 「室長、ここ最近、一月ばかし無理に予定を空けてますねぇ」


 「これは働き方改革というやつだ!」


 「それ公務員に関係ないですよね!?」


 苦しい言い訳に、この女、どハマりしてやがると人のことを言えないのにウィルウィエイラは溜息を吐いた。


 この室長なら「興味深かったよ」の一言くらいで済ませると思っていたのに。


 というよりも、1,200年も生きていたなら、ヒト種の一人二人は食い殺したことがあってもおかしくないのではなかろうか。中央大陸でヒト種が激減したのは、その血の芳醇さと、食べた物によって味が変わる美食に目を付けた吸血鬼が乱獲したのも大きな要因だというのに。


 それこそ歴史書に名前が残る悪女は、新鮮な処女の生き血のみを選って搾り取ったバスタブに身を沈める享楽を愛好したという。その放蕩によって領地を傾けて最後は処刑された人物と同年代を生きていたはずのゼアリリューゼが、ヒト種一人にかまけて予定まで変えるというのは配下にとって中々納得が行かないことであった。


 とはいえ、ウィルウィエイラが知らぬのは無理もない。


 何せゼアリリューゼは一時ではあるが、ヒト種を毛嫌いしていたのだ。


 父が妾として抱え込んだヒト種を大事に大事にして何年、いや半世紀近くも館に帰らなかったせいで、母親が激怒して実家の領地と連んでフェーデ私戦寸前まで行く、あまりにも恥ずかしい身内の恥に発展したが故、自分はああはなるまいと、まだヒト種がそこそこ残っていた頃にも彼女は同種の血を頑として呑むことはなかったという。


 それどころか、近くに置くことどころか視界に入れることも嫌がったのだ。


 まぁ、言うなれば父親の醜態に起因する食わず嫌いであり、そしていい大人になった彼女も幼少期のソレをすっかり忘れていただけの話だ。


 斯様な経歴があるからこそ、初めて見た時の愛らしさ、そしてその血の旨さに魅せられて、色々と〝拗らせて〟しまったのであろう。


 「なっ、なんだいその目は!」


 「いえ、何でも」


 三百年くらい前だったら「そういう目をした!」なんて理由だけでお手討ちに遭っても仕方ない、優しいような憐れむような何とも言えぬ生温ーい目線を逸らし、ウィルウィエイラは手帳を閉じた。


 「まぁ、今晩はHaven of Restに行こうかなと。お土産も買ったので」


 「店主に土産? 贈り物の類いは極端に嫌う男のはずだけど」


 「生粋の貴族様には難しいですかねぇ。地下しょみん生まれには〝お土産は別〟という例外があるのですよ」


 自慢気に下町の流儀を披露した彼女は、空間圧縮方術の掛かったポシェットから古色蒼然とした箱を取りだしてみせる。丁度、酒瓶が一本収まりそうな寸法のそれは、厳重に四隅が封蝋で固めてあって開いたことがないことを証明している。


 「酒かい?」


 「んふふふ、あの御店主、結構イケる口なので。希少酒マニアでもあるようですし」


 「待てよ、その箱、その蝋印……北森大陸諸同盟……〝処女の血〟か!?」


 「流石は室長、ご明察」


 彼女の出張先、北林同盟は葡萄酒の名産地でもあり、彼の地に住まう長耳族は葡萄酒狂いで有名だ。


 選び抜かれた畑の中でも数株の葡萄からしか取れない葡萄だけを用い、百歳にならぬ若い処女が素足で踏む古式ゆかしい抽出方法を護った上、特定のセラーでのみ熟成し生産されるワイン。それも国認定、専門の鑑定人が一樽一樽検査した上で頷いた逸品にのみ掲げることが許されるのが〝処女の血〟という最上のラベル。


 それは偽造を困難にするため祝福祈祷が何重にも欠けられており、箱にも内部劣化を防ぐ独得のルーンが内側に刻まれているという。


 そして箱の古さ、封蝋の印からして古酒であることは確実。


 最低でも金貨一枚1タラントンはぶっ飛ぶだろう品物にゼアリリューゼは目を剥いた。


 「君なぁ!?」


 「ふふふ、現地で仲良くなった人から特別に譲り受けまして。同盟歴アリューン12年産の当たり年ですよ」


 「私には!?」


 「目下が目上に土産を持って行くのは不遜にあたりますから」


 コイツ……と思ったが、実際そういう文化なので何も言えないゼアリリューゼ。自分のセラーにも数本あったかどうかという品を手に、これで好感度大アップと悦に入る配下を一発ぶん殴ってやりたくなったが、今はもう〝そういう時代〟ではないので必死に堪えた。


 そして、一握りの冷静な部分が呟く。


 男に入れあげると、女はここまで必死になるのかと、全く他人のことを言えない呆れを。


 耳かきの代価に五千タラントン金貨五千枚も渡そうとした女らしからぬ目で配下を見やり、今宵も取っている予約の時間が被らないことを吸血鬼は一心に祈った…………。



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