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第18話 大きすぎる黒字

 執務机の魔導照明と傾きかけた陽の照らす机上で帳簿と大量の金貨、銀貨を数えながら諸島連合製の計算盤を弾いていたヨシュアは、一段落ついたところでウンと伸びをした。


 「さて、どうしたものだか」


 「マスター、お困り毎ですか。計算したら、どうかこのグルゼフォーンにお任せを」


 モノクルを外して目頭を揉んでいた店主の下に従業員が緋茶を手に訪れる。抽出温度は完璧で、茶葉も彼の好みを反映したチョイスがなされたそれは間違いなく心を癒やすであろう一杯。


 ただ、それを一口飲んでも、ヨシュアの顔が晴れることはなかった。


 「帳簿付けでしたら当機が幾らでもやりますが」


 「これも主人の仕事だよ。ただ、ちょっと思うところがあってね」


 ギシリと回転椅子を回してカーテンが半分だけ開いた窓を眺めつつ、物憂げに片眼鏡の曇りを拭う店主を見て、従僕は数字と積み上がる銀貨の山、未精算の手形などを一瞬でスキャンして、知る限りの出費と照らすと黒字も黒字、かなりの大儲けで心配することなどないのではと考える。


 「いやぁ……私は大分阿漕な商売をしてるんじゃないかと思ってね」


 「と、仰いますと?」


 「黒字がデカすぎる」


 一向に良いことでは、と至極当然の感想を抱くグルゼフォーンであるが、一小市民であったヨシュアには〝自分〟を商材にしているとはいえ、ここまで儲かっていいものなのかと今更になって良心が咎めたのだ。


 何せ座るだけで五十デナリオン。前世でいえば大卒初任給の八割近い金額をチャージ料で取っている上、ワンドリンク無料とはいえお代わりは勿論有料。


 サービスには一切手を抜いていないが、商品は自分が手ずから注いでいるだけのほとんど右から左の商売で仕入れ値の何十倍もの金額に設定しているため、凄まじい金額が一瞬で稼げてしまう。


 然したる労力を払っているでもなし、ここまでの額を手にして良いのだろうかと、ひたすらに足と自らの命をベットして稼いできた探索者時代の性根が冷めた目で見てくるのだ。


 「……というか大丈夫かこの国。大土地所有者と官僚がここまでカフェ一軒で散財しているとか」


 「妓楼で浪費されている分と比べればかわいいものかと」


 そういえばそんな物もあったなとヨシュアは帝都南方、大河の方をぐぐっと潜ってウェリタヌス恩賜運河に囲まれた花街のことを思い出す。帝国では性をあまり嫌っておらず、国家が娼館を管理する制度を導入することで風紀紊乱を防いでいた。


 そして、江戸の吉原を想起させる彼の街では、一晩どころか一目会うだけで銀五十、つまりここの席料と同じ金額を要求される高級娼婦もいるという。


 まぁ、要は高位ともなると金を蕩尽して疑似恋愛を楽しむ場所なのだが、それと似たようなことをやっているとはヨシュアは全く思い当たらないのであった。


 「しかし、冷静になると茶一杯で銀貨五十だ。私が決めればそれが適正価格ともいえるのだけど、阿漕な気が少ししてね」


 「それは付加価値というものなので当然なのでは? 余所の店には他ならぬマスターはいないのですから」


 「分かっているつもりなんだけど、ここまで稼げてしまうとちょっとね」


 爵位を買うには全く足りないが、開店から軌道に乗るまで、たった数ヶ月の収入で一般的な家族が一生、しかも年に海外旅行を一回か二回はした上、子供を二人くらい奨学金なしで大学に余裕で通わせても働かずとも良い金額が机の上に乗っていると思うところもあるのだ。


 勿論、この店の開業資金、及び地下のセラーで唸っている銘酒は全てヨシュアの持ち出しであるため、そのマイナスを埋めたならばプラスはもっと小さくなるが、それでも額は大した物。物価が前世地球と同じではないので一概には言えないが、諸経費をさっ引いても概算で数千万円クラスの純利益が上がっている。


 普通、飲食業を始めるにあたって必要になる負債は――それも一端の高級会員制カフェを名乗るに相応しい設備で――一ヶ月の儲けでペイできていいものではない。


 況してや、彼は大規模に手を入れるため建物を一戸丸々購入しているのだ。それを加味して既に儲けが出ていることを考えると、末恐ろしくなるのも無理はないだろう。


 「以前は喫茶店の儲けを賃料で埋める生活だったんだけどなぁ」


 大阪はミナミの難波、その路地裏で寂れた喫茶店を道楽でやっていた時は黒字を拝むことが基本的になく、太い実家が残した不動産賃料が主たる収入源であったヨシュアには考えられない帳簿の数字だ。幾らヒト種が希少とはいえ、ここまで儲かるのかと俯瞰してみると怖くなったのだろう。


 「マスターは以前にも客商売をやっていらしたことが?」


 「片手間にね。探索者だった時代の方が長いけれど」


 必要以上にピッカピカにした、抗精神系術法を付与した片眼鏡をかけ直すと、現実に目を向けるべく回転椅子が180度回った。そして、成機大陸産のボールペンが帳面の上を滑って今月の純利益を書き記す。


 その額、なんと二十タラントン。流通貨幣である銀貨になおせば十二万デナリウス也。


 しかも、この額は仕入れ値だとか諸々を抜いた本当の純利益であり、稼いでいるのは基本的にヨシュアなので全額が彼のバックのようなものだ。


 ただお茶を煎れてお話をして、ちょっとしたふれあいによって稼いだ額だと考えると申し訳ない気分がしてくるのも無理はなかろう。


 「地代も要らないのに赤字垂れ流してダラダラと連れや後輩、後は地元のご老体だけが来る店をやっていた時代と比べるとねぇ」


 「失礼ですが、マスターが経営して赤字?」


 「席料はなし、黒茶一杯で二ドゥポンドってとこかな? お代わりすれば一杯半額だ」


 驚愕したように目を見開く従僕に、馬鹿な商売だったよなと笑うヨシュアなれど、問題はそこではないとアンドロニアンでなければツッコミが飛びだしていただろう。


 ドゥポンド青銅貨は一般小額硬貨の中でも最も日用的に使われるものであり、額面に直せば百五十円かそこらであろうか。


 コーヒー一杯三百円。物価高の世界、それもミナミでよくぞこの値段でと言う話だが、土地持ちが道楽でやっていたのでむべもなし。言うまでもなく一杯あたりの利益は十円を割る。


 ただ、ヨシュアの前世では、それでよかったのだ。楽だったし楽しかったから。


 されど、グルゼフォーンからすると、自分の主、その繊細にして愛らしいことこの上ない手が煎れた茶が、そんな子供の駄賃で買える値段で売られていたことが驚くと同時に赦せなかった。一体どこのどいつだ、割安を通り越し破格の概念を越え、最早罪ですらありそうな恩恵を享受していた者達はと。


 「ま、あれだ、街角でレモネードを売って小遣い稼ぎをしているガキと同じ時分が私にもあったのさ」


 時代のズレを子供の頃だったとねじ曲げた彼は、自分の腰元くらいの高さに手をやって、こーんな小さな頃がねと子供時代の背丈を示すが、その異様なまでの小ささを想起したグルゼフォーンは、一瞬で怒りを忘れて自分をぶん殴りたくなる。


 何故、それだけお可愛らしい時代を見逃したのかと。今より更に危なっかしい時期、一切離れることなく奉仕できなかったのかと。


 いや、むしろ許される頃なら、赤子の頃から乳母ユニットに換装して付き従いたかった。


 そして、あわよくばママなどと呼ばれて……。


 「それは……さぞや、お可愛らしい黒茶屋さんだったことでしょう」


 「地元じゃ大人気さ。安いからだったけどね」


 邪悪な妄想を陽電子頭脳が描こうとするのを止めもせず、しかしマルチタスクで主人との会話を打ち切りもしない従僕の脳内で何が渦巻いているかヨシュアは全く知らぬまま。つまみ上げた金貨を申し訳なさそうに袋に仕舞い込み、執務机の中に収めた。


 ここは術法を使った金庫になっており、彼の私室ということも相まって護りは堅い。探索者時代に手に入れた珠玉の素材や術法具、想い出の品々も纏めてあるので、生中な金庫に入れておくよりも安全だ。


 ともすれば市井の貸金庫の何倍も信頼が置ける収納場所に売上げと帳簿をしまった彼は、少し行儀悪く頭の後ろで手を組み重心を後ろにずらした。


 「しかし、小銭を稼いでいた時代もそれなりに考えることは多かったけど、大金を稼ぐとこれはこれで考えることが増えて困るな」


 「何故です? 儲けは多いほど良いと相場が決まっておりますが」


 「といっても、二号店を出す予定はないし、私は馬鹿でかい私邸を建てて喜ぶ気質でもない。そして、趣味の酒を買っても店で使うことばかり考えるから、ほとんど仕事だ。使い道がない」


 いや、あるにはあるのだが、それはお嫁さんを紹介して貰った後、遙か道の先だ。誰にも揺るがされない地位を持ち、同族と血を繋ごうと思えば、中央帝国の貴族籍が必要となろう。


 満足な爵位を買うなら今の売上げは、それこそ小銭程度の物であり全く足りない。さりとて全て貯蓄に回しても問題ないにせよ、ちょっとは散財したいという気も湧く。


 なれども、最も憂慮すべき問題もあった。


 「それと、税金がね。費えに比べて稼ぎすぎると大分持って行かれる」


 「ああ、税金……ありましたね、そんなもの」


 「ありましたねって。成機大陸はどうなっていたのさ」


 「造物主達が健在の頃、国民は基本的にベーシックインカムで生活しておられましたので、余程の趣味人か資本家でもなければ租税が発生することはありませんでした。そして我々は奉仕機械、労働こそ報酬ですので税金も何もあったものでは」


 羨ましい政体をした、逆を言えばそれだけの余裕がある国と種族でも滅ぶのかと七合界の過酷さに想いを馳せながら、ヨシュアはどうしたものかと足を組んだ。


 まぁ、舗装された道を歩いているし、治安のいい暮らしもできているし、いざとなれば軍隊も護ってくれるだろうから税金を納めるのはやぶさかではないのだが、それでも額はできるだけ小さくしたいのが小市民の常。


 致し方ないよなと思いつつ、ふとヨシュアは、そういえば周りは高額納税者ばかりではないかと思い至った。


 「……ただ、リラックスしに来ていただいているお客様に相談する内容か?」


 そうだ専門家ならごまんといるではないかと思いつつ、高級会員制カフェで和みに来たのに、店主から金の話をされて気分が良い物だろうかと思ったヨシュアは、すぐ相談してみようと短慮に走ることはなかった。


 何かこう、愚痴を聞いていれば、その折りに租税のこともポロッと出てこないかなと期待しつつ、ヨシュアは徴税官が来るのは先のことだしまだ良いかと一旦置いておくことにした。


 そう、お察しの通りこの男、前世ではいつも確定申告は最終日間際まで放っておくタイプであった…………。



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