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第16話 やはりエッチなお店では?

 「そう言えばだ」


 己でも恥じ入る程の常連となってしまったゼアリリューゼは、ほぼ日参するほどの勢いで通っているHaven of Restにて――そのため、仕事の密度が更に過密になっていた――いつも通りサービスで血の雫が垂らされた緋茶を乾して言った。


 「奥の部屋は何なのだ? 扉の構えからして従業員室や倉庫のようではないが」


 「流石ゼアリリューゼ様、お目が高い。あそこにお気づきになりましたか」


 にっこり微笑んだヨシュアは、内心で「なんで誰もメニュー熟読しねぇんだろうなぁ」と思いつつ、すっかり飾りになっているメニュー表を開いた。


 とはいえ仕方のないことだ。ここの客は基本的に例外なく金満であり、金の使い道に困るような人物揃い。それこそ、ここで蕩尽した費用を〝接待交際費〟やら〝取材費〟なんぞに充ててしまおうと領収書を切らないくらいに。


 故に内容なんぞ読まずとも、全てを言い値で払ってしまうため、すっかり活躍の機会がないメニュー表にようやく陽の目が当たった。


 「ああ、酒の取り揃えも良いな。セラーがあるのか」


 「はい、私が各地から集めたコレクションがございます。ですが、見ていただきたいのはそちらではないのですよ」


 湿度管理のため表に出していない酒が載っている項目を見て、一級のレストランにも劣らぬ品揃えだと思わず唸ったゼアリリューゼであるが、小さく可愛らしい指が指し示すのは隣のページであった。


 「VIP……ルーム……?」


 「はい。一刻五百デナリオン銀貨となっておりますが……」


 中々に凄まじい、それこそ庶民感覚では馬鹿げているにも程がある金額設定であるが、VIP、つまり特別重要な人物という意味の通り、それくらい出せる客だけを通すに相応しいサービスが約束された場所という意味にも通じる。


 そして、それが平均的な庶民が受け取る初任給の十倍でも足りるかどうか、という値段設定にゼアリリューゼは思わず生唾を飲んだ。


 無論、高額さに驚いたのではない。彼女は高級官僚にして貴族であり大土地所有者。そんなもの一秒間ただじっとしているだけでも溢れるくらい勝手に懐へ入って来る額未満に過ぎず、庶民でも分かりやすく表現すれば、普段は黒パンで我慢してるけど、今日は白パンにしちゃおうかなくらいの贅沢だ。


 ただ、高級遊郭でも中々やらない、あまりに力強い値段設定から「もしかしてエッチなお店なのでは」と最初に来た時と同じ妄想が脳裏を巡ってしまったのである。


 当然、この笑顔で佇む男主人が斯様な安売りはするまいと軽く頭を振るい――それこそ彼が遊郭で男娼をやっていれば一晩金貨五十枚でも出す客は幾らでもいよう――あまりにもピンク色をした思考を追い払ったゼアリリューゼであるが、どのようなサービスを受けられるのか問う声は少し震えていた。


 「完全個室、防音と諜報の行き届いたお部屋でご対応いたします。このような開けた場では落ち着けない方もいらっしゃるでしょうから」


 「個室、か」


 「はい。VIPルームだけで承っている特別なサービスもございますよ」


 個室、隔離空間、二人きり、という連想ゲームで浮かんでくる言葉に、またも良からぬことを考えてしまうゼアリリューゼは口内で誰にも気付かれぬよう舌を牙で噛み千切って平静を装い、即座に再生させると素直になった。


 欲望に。


 「では、試しに入ってみようか」


 「畏まりました。ご案内いたします」


 いそいそとエスコートされながらVIPルームに通されたゼアリリューゼは、その内装を見て悪くないと思った。


 それと同時に、やっぱりエッチなお店だった? とも。


 室内は上級貴族が訪ねて来た時に備え、下級貴族が必死こいて整えた客間です、と紹介されても納得できる程度には金と手間が掛かっていた。毛足の長い絨毯が惜しみなく敷き詰められ、家具は全て特注品で埃一つ落ちていることはなく、照明も優しい術法照明で安心する色味と光量だ。壁紙は店内と同じく淡いグリーンで、これもまた落ち着いた雰囲気を演出するのに一役買っている。


 ただ異様なのは、応接用のテーブルセットの他に〝寝台〟まで用意されていること。


 明らかに高級会員制カフェの備品ではない。品質自体はゼアリリューゼでも満足できそうな巻き金入りのちゃんとしたものであるが、置いてあるだけで淫靡さを感じてしまうのは邪推ではなく仕方がないことであろう。


 〝一般人類〟向けの大きさをしたヨシュアには高すぎる椅子を引いて貰いながら、目線だけで部屋を品定めした彼女は、果たしてあの寝台が何をするための物なのか興味が沸々と湧いて仕方がない。理性がいい加減にしろと本能をぶん殴っても、それに倍するカウンターが欲望から飛び上がってきて五月蠅いのだ。


 斯様な精神的激戦が客の脳内で繰り広げられていることを露知らず、ヨシュアは普段の営業スマイルを貼り付けて、VIPルーム用のメニュー表を取りだした。


 「このお部屋は特別に遮音方術、因果断絶方術、運命操作方術を備え、ありとあらゆる外的干渉に対抗できるよう店内より一層固く守られております。つまり、この部屋の中で起こったことは神々でさえ知ることができないと自負いたします」


 「博士殿のお墨付き、という訳か」


 「私だけの力ではありませんけどね」


 人造神格の加護もあって、VIPルームの機密性は主人が誇るだけあって最高クラスだ。ここを抜いて覗き見や盗み聞きをするのは、あらゆる観点において〝割に合わない〟だけの手間暇をかけている。


 「ですので、お通しするお客様は厳選させていただいております。失礼ですが、我が身の安全にも関わりますので」


 「私はお眼鏡に適ったということか」


 「ゼアリリューゼ様以上のお客様はいらっしゃいませんから」


 普段であれば諄い程に甘ったるいリップサービスに惑わされるゼアリリューゼなどではないが、この瞬間だけはグサリと心に深く刺さった。表情が蕩けそうになるのをグッと堪え――それでも眉間に皺が寄っていたが――そうかと当然の扱いをされていることに納得しているよう、精一杯貴族らしく尊大に頷いた。


 「それで、特別なサービスとは?」


 「まず第一に、この環境自体とも言えますね。カウンター席ではお口にすることも憚られるような愚痴であろうと何であろうと、表に漏れることはございませんから」


 それに、私自身にも自己誓約方術を使っているので。そうさも当然のように宣うヨシュアにゼアリリューゼは「何てことを!」と叫びそうになった。


 自己誓約術法。それは自分が自分に対して結ぶ契約であり、内容によっては破れば死ぬような結末も含まれる。


 そして、これだけの部屋で歓待するということは、それこそ欠片でも情報を漏らせば自死を覚悟してのものであろう。


 だが、人間の口とは軽い物だ。うっかりで死ぬような可能性が欠片ほどであっても浮上する術法を使って欲しくなどなかった。


 ただ、貴族の愚痴を聞くのは、そこまでするだけの覚悟があって始めてできることなのだ。庶民は与り知らぬことなれど、流言一つ、誰それが誰それに悪口を言っていたなどと噂されるだけで首が〝物理的に〟飛びかねない世界であるのだから。


 それをヨシュアは長年の探索者生活で弁えているからこそ、自ら進んで誓約を立てたのである。


 「私は愚痴を吐かねばならぬようなことなどないよ」


 「これは大変失礼を。ですが、誇り高いお方こそ、時にガス抜きが必要だと愚行いたしますれば、我慢ならないことがあれば存分にどうぞ」


 こう言い切ったゼアリリューゼであるが、実際のところ愚痴は無限にあったし、何ならちょっと言いたかった。


 一々私欲を絡ませてくる同僚だとか小狡い配下だとか、社会システムに護られている癖して口ばかりでかい領民だとか、あとは取りづらい球ばっかり投げてくる〝大年増の行き遅れ〟だとか、それこそ堰を切れば濁流の如く雑言罵言が跳びだそう。


 ただ、それをこの可愛らしい生物に浴びせたくはなかった。


 たとえ、ニコニコと全肯定されることが分かっていてもだ。


 「で、他は?」


 「そうですね……たとえば、このような物が」


 すっと取り出された物は、小さな木の棒きれ、いや、そうとしか見えない物であった。


 よくよく観察すると東方の諸島皇国で算出される竹製であることをゼアリリューゼは見抜いたが、小さすぎる茶杓めいた道具の用途だけは全く思いつかぬ。


 「それは何だ?」


 「耳かき、という文化をご存じですか?」


 謎の行為を口にしながら、しかし妙に自信ありげに店主は微笑むのであった…………。



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