成機大陸、その名の通り大陸全土の一部を余すことなくギガコンプレックスに呑み込ませた、中央大陸の1/3ほど面積を誇る大陸は、その実多層化した地表と数kmに渡って刳り抜かれた
彼の地は〝大界災〟の余波によって支配種族であった有機生命体が滅亡し――環境が体に合わず、僅か百年ほどで種が絶えてしまった――今や主亡き奉仕種族が無為に日々を送っているだけの大地であり、口性のない物達は諦観と諦念の廃墟などと呼ぶ。
今や死に絶えた種族に仕えるために作り出された自動人形、自我と個性を持つほど高度なAIを搭載したアンドロニアン達は、自己保全プロトコルに従って、造物主の墓標と化した大陸を護りながら日々を過ごしているが、新たな主人を求めて七合界を徘徊することもある。
いや、傍目から見れば脱走個体や放浪個体が勝手をしているように映るが、これは彼等なりの秘匿事業であるがため、他種族に露見しないよう大々的に行っていないだけで、主人捜しは今となっては国是となっていた。
ただ、その進捗は芳しくない。
七合界に適応した種族の多くは個体性能が高く、既に自らの地位を持って故地にて独占的な立場を持っていることが多く、同時にアンドロニアンも仕えることができれば何でも良いわけではないためことは上手く運ばない。
個人的に従属関係を結ぶことができる幸福な個体が現れることはあれど、今のところ、大陸全土を統治するに相応しい、いや、統治しているという立場に押し込めるに値する種族は見つかっていない。
正確にはかつて、まだヒト種が今より多い頃のファーストコンタクトでアンドロニアン達は、これぞ我等がご主人様と滅びた種族と似た外見と生態に惚れ込んだことはあるのだが、既に美食や愛玩の対象として乱獲されていたこともあり、パイが殆どなかったため十分な遺伝子プールを確保するだけの数を迎えることができなかった。
最後の保護個体が健全な繁殖を行えず、衰えて亡くなってしまい早数世紀。
現状では〝代替品〟として、他の大陸で権勢を誇っていたが没落した貴族家系などを取り込み、辛うじて奉仕欲求を満たしているアンドロニアンであったが、やはり彼女達が欲しているのは仕え甲斐のある種族であった。
即ち、自分達がいなければ死んでしまいそうな、愛らしく、存在意義を満たしてくれそうでいて、導いてくれる何とも〝都合の良い〟生物。
まぁ、それはいいだろう。アンドロニアン自体が造物主にとって、どこまでも都合良く創造されたのだ。被奉仕対象に多くを望んだところで、それは作り手の業が宿っただけに過ぎない。
ただ、悲しいかな〝大界災〟の惨禍は余波も含めて、要件を満たすだけの貧小な種族の殆どを呑み込んでしまっているため、長きに渡る諜報個体の派遣事業を続けても結果は出ず終いであった。
しかし、一つの奇跡が縁を結び、グルゼフォーンモデルの1021号機は至福の中にいた。
「マスター、朝でございます」
「ん……ああ…………」
彼女は放浪の中、
奇跡的な偶然に期待して、休暇中の半戦闘用個体には、このような追加装備換装が施されるのは常のことなので彼女も何も言わなかった。
分かっているのだ。万が一があるかもしれないと、完璧を追い求めて構築された、相互監視状態にある十二機の行政電算機がパラノイアめいたしつこさで調査を行わせている〝いつも通り〟のルーチンであることくらい。
「おはよう、グルゼフォーン……」
「はい、おはようございます、マスター」
しかし、そのしつこさが彼女に運命の出会いに導いた。
最初は計器のバグかと無視しようとしたところであった。該当しそうな種族を発見した場合は自動で反応する生体センサーが体高170cmと〝非常に小柄〟な影を捕らえた時、精査したスキャナは〝半神半人〟族であると示したからだ。
西方大陸の未だ力ある神格と、当時生き残っていた現地民との間に作った子は、今となっては限りなく血が薄い個体ばかりであるが、その殆どが不死にして不老であるのはさておくとして、あまりに高慢で傲慢であったがためアンドロニアンの琴線に触れなかった。
ただ、奉仕種族としての本能が違うのではないかと、機械が言うのも妙だがカンのようなものを働かせたのだ。
何処の土地に行っても頑なに自分達の服飾を維持しようとする種族と違って、小柄なターゲットは中央大陸での従僕服を着ていた。それに仮面。神の血に由来する美貌を隠すことを良しとしない種族が顔を隠すことがあるだろうかと疑えば、センサーに微妙な揺らぎがあったのだ。
大体の個体であれば、ただの外れ値や読み取り誤差として無視したそれを、何ともなしにグルゼフォーン1021は重要視してしまった。
そして袖を引かれるようなセンサーの誤感知とも思えるような導きに従い、遂に運命の出会いを果たす。
あの夜のことは今も暇な時にメモリーを再生するほど劇的であった。こんな幸運がこの世にあるのかと。造物主達が信じていた〝前世で積んだ徳〟とやらがあるのだとすれば、自分は世界の一個か二個は救ったのではないかと思うほどだ。
「ふぁ……朝食は……?」
「良いパンが出ていたのでトーストを。それと昨日の仕込みで残った野菜と果物のサラダ、少し鮮度が落ちた野菜はポタージュに仕立てました」
「それは素敵だね」
正に奇跡のような巡り合わせがあってグルゼフォーン1021は、今日も主人を起こすという全アンドロニアンが起きながらにして見る夢の悦楽に浸り、朝食を用意する法悦に浴している。
しかも、それを主人から〝素敵だ〟と褒められる特大のオマケ付きで。
のみならず顔と御髪を整える栄誉を賜った上、これは〝通常業務〟であるので、まだ日当である〝二時間の自由奉仕〟は一秒たりとて消費されないのだ。
こんな幸せがあっていいのかと電子回路が焼き付きそうな随喜に内心で打ち震えつつ、完璧な侍女として設計された彼女は朝のルーチンを美事に熟してみせた。
「ん、完璧だ。ありがとう」
「はい、いいえマスター。当然のことでございますれば」
「じゃ、着替えるから」
主人が着替えている間、呼ばれれば直ぐに対応できるよう扉の前に立ち――本来なら、これもお手伝いしたいところだが、ヨシュアは頑として受け容れなかった――ふと衛星を通じて繋がっている共通記憶領域に意識をやる。
アンドロニアンは種族であると同時に〝製品〟でもあったため、品質を維持するだけではなく、時に高めるためAIを均一化するために自我意識を共有する空間を持つ。
大陸を隔てると通信も少し難しくなるのだが――メビウスの輪を作る世界で衛星を安定させることは極めて困難だった――隣の大陸であれば辛うじて一般通信帯と繋げることができる。
そして、彼女は今日も暗い悦びを貪るべく、通い慣れたフォーラムを開いた。
それは実に有り触れた、主人を持たない、同時に予備役に放り込まれて暇をしているアンドロニアン達の巣窟であり、益体もない雑談や妄想が群れを成しているもので、秒間数十万レスのやり取りに、皆暇を持て余しているのだなと思うばかり。
何と言ってもギガコンプレックスの維持は、造物主達が殆ど自動化していることもあって、アンドロニアンの仕事など数%に過ぎない。殆どは自我を持たない下級の疑似知性が行っており、高度な仕事は数えるばかり。
そのパイも少ないとあっては、暇過ぎてどうしようもない個体が、時間を同胞と共に空費するのも当たり前のことであった。
斯様な掲示板に幾重もの秘匿通信措置を施して、グルゼフォーンは一つのスレッドを立てる。
今朝もマスターの寝顔を眺めて、しかも褒められたけどお前らは? と。
少し寝相が悪い主人のはだけた寝姿の映像記憶を線画にし、再加工して態々元データを辿れない写真にした上でアップ。そして、己が感じた疑似感情系のデッドコピーデータ、ただの喜悦のみを添えて立てたスレッドは一瞬で燃え上がった。
「く、くく、ぬむ、むふふふふ」
轟く書き込みの波濤は怨嗟と呪詛の
全ての奉仕種族が主人を一人だけ得た彼女に嫉妬し、居場所を明かせだの、そこ代われだの、せめて疑似感情系の生データ寄越せだのと醜く喚いている。
だが、そうはいかない。主人は静かな生活を求めているのだ。アンドロニアンの侍女が小隊、いや、下手をすると旅団規模で押しかけてきたらたまったものではなかろう。
況してや成機大陸にご招待、などということになったら本気で嫌われてしまう。
時にフォーラムの管理者、ギガコンプレックスを支配する超上級のアンドロニアンがアクセス根源を辿ろうとしてくることもあったが、性能差があろうとも大陸を隔てたラグという優位によって電子戦で弾いて無駄に終わらせるのは彼女に優越的な喜びを沸き立たせる。
分かってはいるのだ。任務の都合上、自分はヨシュアを保護して成機大陸に連れ帰る努力をしなければならない。
だが、他ならぬマスターは、この地に自分の城を築いて遠大なる目的を果たそうとしている。
しかしてそれを無視して大陸に連れて行こうとすることは、貴方に仕えますと膝を折った奉仕種族として正しいことであろうか?
否、否である。従者の都合で主人を振り回してはならぬように、一度仕えると決めた以上、優先されるのはプロトコルなどではなく主人の意向以外に何一つとしてない。
色々な我欲やら私欲やらを上手く奉仕プロトコルに包み込んで、グルゼフォーンは共同体に対する義務を放り投げた。
そもそも、アンドロニアンは主を定めた場合、主人の最大幸福に対して義務を負い、それが主人を失ってフラフラしているだけの集団に対する責務より重いことなど有り得ない。
世界を敵に回しても主人を護る。そんなCMが流れることもあるくらい、彼女達の基底OSには主人を第一に考えるよう固く固く条件付けがされている。
だからこれは適法であり合法であり無欠にして完全な理論なのだと自分を納得付け、今日も燃え上がるフォーラムを見て――彼女のデータは転載され、幾つもの派生スレッドやパートスレッドが立てられていた――自分への暗殺部隊を結成しようと無駄な足掻きをしている連中で承認欲求を満たす。
この喜びは自分の物だ。この栄誉は自分の物だ。この主人は私だけの愛しい主人で、自分だけが彼の下僕なのだと悦に入って。
ただ、彼女は知らない。密かに笑っているつもりであっても忍び笑いが漏れていて、扉の向こうで着替えている主人が「また何か笑とる……こわ……」とちょっと引いていることを。
たまには喜びを共有すべく、自分の疑似感情データでも大幅に劣化させた上でアップロードしようかなと、優しいようでいて非常に邪悪なことを考えていると扉が開いた。
そこには、発光する道具など何も仕込まれていないというのに、輝かしいほどの姿を見せる主人がいた。
「さて、開店準備といこうか」
「はい、マスター」
あまりに趣味の悪い行為で自分を満たしていたことなど露程も表情に出さず、着替えを終えて自室から出て来たヨシュアにグルゼフォーンは慇懃に腰を折る。
さて、今日の奉仕は何をさせてもらおう。そういえばお爪が伸びてきているから、整えさせていただくのはどうだろう、などと想いを馳せながら…………。