「会員制なんて、私初めてです」
三杯目の紅茶を堪能しているウィルウィエイラ嬢に、私はパイ生地の上に桜桃の缶詰を載せた――この世界でヒト種が遺した数少ない技術だ――即席ピーチパイを饗しながら、少し遅れてシステムの話をした。
「中央帝国の官僚様なのでしょう? 私など及びも付かない名店に通われているものだとばかり」
「いやいやそんな……もう、方々を振り回されているばっかりで全然……」
「謙遜なさらないでください。帝国の官僚になるだけの努力と能力をお持ちなんですから、もっと誇ってもいいくらいですよ」
そうかな、とちょっとオタクっぽい笑みを溢すウィルウィエイラ嬢に、私は二枚のカードを渡した。
名刺大の大きさをしたそれは、いわゆるショップカードというやつで、真っ白な紙の表面には店名と住所だけが書いてある。
見た目だけなら飲食店のレジカウンターにでも置いてそうな普通の代物であるが、これはHaven of Restを守る人工神格によって祝福されており、これがなければ神格によるお導きから外れた〝紹介のない人間〟は店に辿り着けないようにできている。
いわゆる一見さんお断りの高度版だ。
彼女がここに来られたのは、私がアスラールに送った招待状にショップカードが入っていたからだろう。そうでなかったら、余程の良縁でもないかぎりなりたて官僚の彼女は、神格に弾かれていたはずである。
まぁ、この鄙びている、よく表現すれば風情のある門構えを何となくで叩く客なんてそうそういないから、過剰な心配といえばそこまでなんだけどね。
「ともかく、しばらくは一見さんお断り。信頼できるお客様からのご紹介がある方のみを歓待する形になりますね」
「し、信頼? 私、まだ一回来ただけで……」
「我が古き友のご学友でしたら、私の友人も同然です。それとも……おいやですか?」
少しあざとく、上目遣いで私の友人扱いは嫌かと問えば、彼女の顔がボッと紅くなって――青白い肌は、血流がよくなると濃い紺色になるようだ――わたわたと両手を所在なさげに暴れさせた。
ちょっと破壊力が強すぎたかな?
まぁ、ぶっちゃけ私も加減という物が良く分からないのだ。今までは〝無貌の仮面〟で半神半人と偽って生きてきたから、他人種がヒト種を見た時の反応は新鮮に過ぎるし、態度一つで一喜一憂されると塩梅というものが分からない。
ただ確実なのは、前世で美人ってのはこんな気分だったんだろうなという、ちょっとした優越感を覚えたことである。
「そういうことですので、ウィルウィエイラ様がご納得なさった方に紹介していただけると、とても嬉しいです。お店も回さないといけませんから」
「そ、それなら私が! 毎日、まい……にち……」
言い終える前に彼女はメニューを睨んで言葉を止めてしまった。どうやら半刻、つまり一時間五十デナリオンは新人官僚には些かお高かったようで、毎日来ますと断言できるだけの持ち合わせはないようだ。
しかし、官僚なんていう権力者との繋がりを邪険にするほど、私は商売っ気に疎くない。前世では適当極まる接客と個人的趣味で仕入れたコーヒー豆のブレンドにばかり拘った道楽店長であったが、ある種の客商売でもある探索者をやってきた今の私とは違うのだよ。
「新しいお客様をご紹介いただけたら、特別にサービスいたしますのでご安心を」
「とっ、特別なサービス!?」
何にに反応したか知らないが、ガバッと顔を上げる彼女に私は営業スマイルを貼り付けて、メニューをパラパラ捲り〝予約権〟を指し示した。
「予約……?」
「ええ、ご覧の通り小さい店ですし、従業員も二人きり。お相手できる人数は限られているので、場合によってはご遠慮願うこともあります。そういった時に備えて、予め席の予約権をご販売いたしております。二十デナリオンと少々高価ですが」
まだ始まったばかりの店が言うには傲慢ですかね、そう問うと彼女は顔をブンブンと横に振った。
「き、きっと、だ、だだ、大人気店になります!」
「ありがとうございます。そう仰っていただけると自信が湧いてきますね」
猫好きの自分が〝世界に猫カフェが一件しかなかったら〟というイメージで料金設定をしているので、本当にこれで合っているのか不安な部分が多いのだが、成り立ての官僚様が納得しているのなら的外れでもないのだろう。
「お客様をご紹介いただいた場合、この優先予約権と席料一刻分をサービスさせていただこうかと思っているのですが。如何でしょう」
「……と、友達とか、誘ってみます」
短い間、しかしかなりの葛藤と逡巡が窺える表情を浮かべた後、ウィルウィエイラ嬢は大事そうに数枚のショップカードを懐にしまった。
よしよし、官僚の友人や上司を紹介して、どんどん太客を増やしておくれ。私もその分、たっぷりとサービスするから。
「そういえば、学生として研鑽している頃に聞いたことがあるのですが、魂魄系の術法を操るお方にとって、これは常識なのでしょうか?」
「というと……?」
「生気のやりとりは、直接触れあうように行うと効率が上がるという話です。死霊族の方は味より生気に拘ると聞き及んでおりますので」
私は一つ、失礼しますと断って半分ほど飲まれた緋茶の中に匙を差し入れ、林檎のバラが崩れないよう慎重に持ち上げた。
「本当でしたら、こうした方がもっと濃い生気をご提供できるのかなぁ……と」
「あ、あわ、あわわわわわ、ほ、ほほ、本当ですけど、そんな、しげ、しげきてきすぎ……」
ワタワタと両手を振って顔を真っ青にしているウィルウィエイラ嬢の呂律は完全に回って折らず、脳味噌の処理が追っついていないご様子だ。
私的感性に基づけば、猫カフェで座っていると向こうからやって来てくれた子が、顔を伸ばしてお鼻をツンと合わせてくれたくらいのサービスのつもりなんだけど、ちょっと刺激が強かったかな?
「はい、あーん」
「あ、あああ……あー……ん……」
匙が歯に触れないよう優しく、控えめに開かれた口の中に差し入れて唇が閉じられるのを見届けると、ゆっくりと引き抜く。術法を使った時のように、少し体から力が抜けるような感覚が軽く膝に来たが、これが直接生気を啜られるということか。
これは、あまり軽々にやらない方が良いな。術法の根源、体を回る法力に自信がある方じゃないから、大事に使わないといけないのだし。RPGの如く一晩寝たら全回復、なんて便利な体の構造をしてないから、ちょっとサービスのお値段は高めに設定しておくか。
「如何ですか?」
「あふ、あ、あああああ…………」
問うてみても答えは返ってこなかった。熱い物を含んだように、上手く噛み締めることのできない口の動かし方をしている彼女は、眼をとろんとさせて夢心地といった感じだ。結構強めの術法を使った時と同じ脱力感があるので、かなり濃い生気を受け取って貰えたのだろう。
「今回は特別サービスですが、次回以降はこちらをご参照くださいまし」
私はにっこりと笑ってメニュー表を指さした。
そこに記してあるのは、店主へのお願い権というもので、私から進んでするのではなく、客から望んでやって欲しい行為をお願いする際の注意書きがある。
ほら、色々あると思うんだ。髪を梳かして欲しいとか、軽いハンドマッサージくらいのふれあいをしたいとか。
あとは、私達が猫の頭をこねこねすると幸せになれるように、ちょっと触って良いかとかね。
公序良俗が許す範囲でお願いいたしますと注記してあるので、この店に来るような富裕層なら自分を見失うこともなく、適度に満足することを要求してくれるだろう。
あとは、その時の気分と労力でお値段を決めれば良いだけ。
ふふふ、ボロい商売……いや、お客様が求めているのだからWin-Winだ。
生気をたっぷり受け取って、来訪時に感じた草臥れた雰囲気が一機に吹き飛んだウィルウィエイラ嬢は、その後一刻ほど追加で滞在した上、二回の〝あーん〟を堪能してから元気そうに帰って行かれた。
満足してくれたようで何より。私もお客様が喜んでくれる姿に喜悦を覚えるようになってきたから、やっぱ性根は客商売に向いているんだな。
さぁ、これからも気合い入れてサービスしていきますよっと…………。